■第135話 留守の間に
『もぉ! なんなのよ・・・
コーチャン先生も、ナチも・・・
・・・なんでみんな、キタジマさんとのこと疑るの?!』
リコは自宅の自室でひとり、ブツブツと呟いていた。
ここ最近、周りの色々な人から言われる ”キタジマとのこと ”に正直
そろそろ辟易しはじめていた。
『ただ絵の師匠だって、あれほど言ってるってのに・・・
・・・そりゃあ、講義以外は最近ずっと
キタジマさんのとこに出入りしてるけど、
それがなんだって言うのよっ!
なんでみんな寄ってたかって文句言うのっ?
もぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
最初、心の声だったはずが、次第に口からハッキリ言葉として出ていた事
にもリコは気付かない。声に出して発してしまったらもう止まらなくなっ
てしまって、仕舞にはそれはキタジマへの悪口のようになってゆく。
『そんなに言うなら、本人を見てみればいいのよっ!
ボッサボサの頭で汚い無精髭で、
服だって絵の具だらけで、
いつ家に帰ってんのか分かんないくらいだし、
お風呂だってきっと入ってないし、
タバコ臭いし、コーヒー臭いし、年齢不詳だし・・・。』
ベッドに腰掛け枕を膝に置いてそれをボフボフと殴りながら、散々ぶつく
さ文句を言った後で、ふと先日のコースケのことを思い出していた。
今まで見たこともないような不満気な顔を作り、機嫌が悪くなって一言も
喋らなくなったあの日のコースケ。あれは、キタジマの話をしていてそう
なったような気がしないでもない。
もしコースケがキタジマとの事をなにか勘ぐって不機嫌になったのだとし
たら、正直それはそれでリコにとってはなんだか嬉しい誤算だった。
『ヤ、ヤキモチ・・・
・・・とか、じゃ・・・ ないよね・・・?』
呟いた自分の言葉に途端に恥ずかしくなって、膝の上の枕に顔をうずめて
膝を抱える。そんな訳ないとは思いつつも、それならあの反応はどう説明
するのかと再び自分に問い掛け、願う結論ばかりが頭の中を占めてしまっ
て慌ててそれを振り払おうとブンブンと頭を左右に振った。枕に向かって
『ああああああああ!!!』と抱えきれない想いを叫ぶも、それはそば殻
のそれに吸収されくぐもって響く。
リコの胸の奥がこそばゆく音を立てた。
翌日。
いつもの様に大学の空き時間にキタジマの元へ行くと、そこにはその姿は
無かった。
『珍しい・・・ 帰ったのかな?』
空き教室を見回して、やはりあの薄汚い長身の姿がないことを確認すると
リコはキタジマがいない間に部屋の掃除を始めることにした。
キタジマが愛用している年季が入った革の擦り切れたイスの背に、いつも
羽織ってるシャツが掛けられている。それは絵の具だらけで、本当は何色
のシャツなのかやはり分からない。
絵具が飛び散った床にゴロゴロ転がる空缶を片付けたり、クシャっと握り
潰されて放置されているタバコの空き箱をゴミ袋に集めて歩く。
いくら空気の入れ替えをしても、どんよりとしたものが籠っている感じが
するこの教室。普段キタジマが描いている時はさすがに窓を全開には出来
ないそれを、リコはここぞとばかりに換気をしようと思い切り窓を開けた。
その瞬間、埃っぽい部屋に一気に爽風が通り抜ける。
黄ばんだカーテンが躍るように流れ、まだ片付け途中だった空き缶が風に
飛ばされカラカラと床を舞う。
一瞬だけ吹いた勢いはあるがうららかな春の風に、リコの黒髪も踊らされ
そっと目を閉じて風が通り過ぎるのを待った。
なんだか心地良くて目をつぶったまま佇んでいたリコが、なんとなく背後
に感じた気配にくるりと振り返った。
そこには、スーツを着た長身のメガネの男性が立っていた。
清潔感があり、穏やかな雰囲気が内面から滲み出ているようなその佇まい。
『ぁ、あの・・・
・・・キタジマさんなら外出してて、今はいないですよ・・・?』
そう、声をかけたリコ。
キタジマ宛に誰かが訪ねて来たことなど今まで一度もなくて、思い切りド
キマギしながら。おまけにキタジマの知合いだとは到底思えないような、
完全にキタジマとは真逆の雰囲気の男性は、20代後半くらいに見えた。
すると、
『んなもん、自分が一番よく知ってるよ。
・・・アホか、タカナシ。』
その声音にリコは目を見張る。
それは、キタジマだった・・・
いつもの汚いボサボサの髪は短くカットしてアップバングスタイル、髭はキ
レイに剃られて顎のラインがハッキリ見えている。
濃色のスーツだと思ったのは喪服だった。
あまりに驚いてしまって声が出ないリコ。ただ目を見開いてキタジマを呆然
と見ていた。
『・・・なんだよ?』
キタジマが上着の内ポケットからタバコの箱を出し、1本咥える。
その仕草に、正真正銘のキタジマだと悟る。咥えたタバコは口の右端に引っ
掛けなんだか危なっかしくユラユラと揺れて、右手の人差し指と中指の間で
浅く挟んで、気持ち良さそうにしかしどこか不機嫌そうに大きく煙を吐くい
つもの、それ。
『わ・・・ わわ、若いんですね。 意外に・・・。』
リコがやっとのことでノドの奥から声を絞り出した。
目が乾きそうなくらい見開いて見つめていたリコは、口もぽっかり開いてい
たようでなんだかノドの奥まで乾いて引っ付いていそうに感じる。
そんなリコの反応に、『ゲホッゲホ・・・』 キタジマが思いっきりむせた。
『俺をどんだけオヤジだと思ってたんだ、お前・・・。』
そう言うと、黒のネクタイを窮屈そうに左右に引っ張りながら緩めて気怠そ
うに首をバキっと鳴らした。
毎日毎日見ていたはずのその姿は、本来はこんなにも大人の男性だったのだ
と知り、なんだかソワソワして一向に落ち着くことが出来ない。
それでもリコは、キタジマから目を逸らす事が出来ずにいた。
瞬きするのを忘れるくらい、じっと見つめる。
胸の奥の奥でこっそり動いていた心臓が、急速に大きな音を立てはじめた様
な気がした・・・




