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132/227

■第132話 二人の距離


 

 

  ◆大丈夫です!


   日曜、いつもの時間に行くね。

 

 

リコがコースケに返信メールをした。

メールが送信されたことを表す小さな機械音が軽快に響く。


コースケから、久しぶりに日曜に園のイラスト描きの手伝いを依頼する

メールが届き、優しく目を細め画面を見つめていたリコ。

 

 

しかし、嬉しそうに緩んでいた頬が少しずつどこか切なげなそれに変わ

ってゆく。コースケと2人で過ごせる嬉しさと、その反面、胸に引っか

かった小さな棘がリコの笑顔を翳らせた。


コースケとどう接して良いのか分からず、無意識のうちに溜息が落ちた。

 

 

  

そして、日曜。


約束の時間に園へ行くと、既に裏口に佇みコースケがいつもの笑顔で出

向かえてくれた。

その笑顔にニッコリ微笑み返し、『お邪魔しまーす。』と呟き中へ進む。


リコのスリッパが立てるペタンペタンという足音が、誰もいないのんび

りした雰囲気の遊戯室に響く。

 

 

遊戯室の真ん中に模造紙が広げられている。


リコは画材道具が入ったトートバッグを壁際に置き、床にぺたんこ座り

をする。どんなイラストがいいか事前に考えてきた案を簡単に説明しな

がら鉛筆で軽く下書きしてゆくそのリコの横顔を、コースケはそっと見

つめていた。大きな窓から差し込む午後の陽がリコのまつ毛に積もって

キラキラ眩しい。瞬きに合わせてその長いまつ毛が揺れている。

 

 

ふと、リコが模造紙から顔を上げ目を向けると、いつにも増してコース

ケの笑顔が優しい気がした。

  

 

 

 『なんか・・・ イイコトでもあったの?


  ・・・今日のコーチャン先生、すごいニコニコしてない?』

 

 

 

コースケの笑顔の理由を知りたくて、小首を傾げ覗き込む。


それでもまだコースケが微笑み続けるから、思わずつられてリコまで笑

顔になった。コースケのこの笑顔が大好きだった。出逢った頃から変わ

らないこの笑顔。思わず瞳の奥を探るようにコースケをじっと見つめる。

 

 

すると、コースケもリコを見つめ返した。

まるで瞬きするのも惜しいくらい、じっと。


それは、世界の時間が止まってしまったかのように。二人だけの時間が

進むのをやめてしまったかのように。


どのくらい見つめ合っていたのだろう。数秒か数十秒か分からない。

でも確かにその瞬間、二人の気持ちは通じ合っていた気がした。

 

 

リコが思わず目を逸らした。


吸い込まれてしまいそうなコースケの優しい眼差しに、急に恥ずかしく

なってしまって、ガバっと俯いてせわしなく瞬きを繰り返す。

 

 

コースケもハっと我に返ったように、慌てて下を向いた。


言葉にはしていなくても視線だけで ”好きだ ”と言っているようなも

のだと、無意識に取った自分の行動に一気に体中が熱くなる。心臓がも

の凄い速さで脈打った。

  

 

 

 

 

遊戯室に広げた模造紙の前で座り込むリコの隣にコースケが胡坐をかき、

出来上がった下書きに互いに色を付けはじめた。

 

 

リコは真剣な表情で絵筆を握っている。


瞬きも忘れてイラストに見入っているその凛とした横顔を、コースケは

こっそり盗み見ていた。リコにばかり目が行ってしまってコースケの筆

は一向に進んでいない。


リコの呼吸に合わせ背中が上下するわずかな動きでさえ、見逃したくな

くて見つめていたくて、コースケは息を潜めて切なげに目を細める。

 

 

すると、リコのまとめていた髪の毛がハラリと垂れて落ち、絵の具が付

きそうになった。水がたゆたうように黒髪が流れ、左右に揺れる。


コースケは慌てて指先で髪の束をすくうと、そっとリコの耳にかけた。

 

 

ビクっと驚いて小さく跳ね、身を固くしたリコ。

微かにその指先が触れたリコの耳輪は、右側だけ真っ赤に染まってゆく。


深く考えずに取った行動に自分自身驚き、コースケの心臓はこれ以上な

いほど激しく打ちつける。その音が隣のリコにまで聴こえてしまうので

はないかと思うくらいで、恥ずかしくて恥ずかしくて呼吸が苦しい。

 

 

思わずガバっと勢いよく立ち上がり 『な、なんか飲む?』と呟いて、

リコの返事も待たずに慌ててコースケはその場から離れた。

 

 

 

静けさが漂う日曜の保育園。


そこにあるのは、模造紙とコースケとリコとだけ。

そこに響くのは、壁に掛かった大きな時計が秒針を刻むそれと、二人が

互いを意識して息苦しそうに吸っては吐く呼吸の音だけ。


改めて、この空間に二人きりだという事をひしひしと感じる。

 

 

飲み物を取りに行ったコースケがまだ戻らないのを確認すると、リコは

前屈みになっていた体を起こして座り直す。そして、そっと心臓に手を

当てた。小さな掌にコトンコトンと振動が伝わり、目を閉じてひとつ大

きく深呼吸した。


”あの棘 ”は無かったことになど出来ないけれど、それでもやっぱり

コースケへの気持ちが確かにここに在ることを感じ、その掌はぎゅっと

胸元のブラウスを握り締めた。

 

 

 

 

 

 

  ♪ン~ンン・・♪ンン♪~ン・・・

 

 

やたら時間を掛けコースケが缶ジュースを2本持って戻ると、遊戯室に

リコの鼻歌が小さく響いていた。


コースケに気付かずに、リコは再び前屈みになって集中して絵筆で色を

付けている。午後のあたたかな陽が床に反射して、少し眩しそうに。

でも、なんだか幸せそうに。

  

 

 

 『・・・なんの曲? それ。』

 

 

 

少し不安定に聞こえるその音程に、リコのことが愛しくて仕方ないコース

ケは思い切り微笑む。


出来るならばもっと近付きたくて、もっと聴いていたくて、もっと見つめ

たくて。

 

 

すると、

 

  

 

 『ぁ。これ・・・


  キタジマさんがいっつも聴いてる曲なの・・・

 

 

  いつの間にか、うつっちゃったみたい・・・。』

 

 

 

リコの口から出た、その後ろめたさの欠片も無い固有名詞。


あまりに簡単に飛び出すそれに、コースケはリコに気付かれぬよう俯いて

本当は不満が募る歪んだ表情を隠した。

 

 

リコからは見えない角度の奥で、コースケは奥歯を噛み締め、頬が引き攣

る。缶ジュースを握り締めた手には力が入りすぎて、アルミが少し凹んだ。

 

 



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