■第129話 噂話
『キタジマって、結婚とかしてんのかな・・・?』
突然ボソッとアカリに訊いたリュータ。
アカリはソファーの上でちょこんと女の子座りをし、その膝の上に丸く
なって眠る愛猫あおいの背中を毛の流れにそって撫でていた。
5人での集まりはお開きとなって皆はついさっき帰って行き、部屋には
リュータとアカリの兄妹だけだった。
アカリが座るソファーの足元に、脚を投げ出しゴロンと寝転がっている
リュータ。首後ろで両の手を組んで、ぼんやりと瞬きを繰り返している。
『・・・は?
知らないよ、そんなの。
・・・なんで??』
『ん~・・・。』 何故キタジマのことを知りたがるのか、その理由を
説明しようとしないリュータに、アカリはチラリと視線を向けながら再
びあおいへと戻る。そして断片的な情報だが、リコやナチから聞いた話
を繋ぎ合わせてみる。
『でも、ずっと大学にこもって描いてるらしいじゃない?
なんか、いつ帰ってんのか分かんない、とか言ってたじゃん・・・
・・・結婚どころか、カノジョだっていないでしょ~ぉ!!』
リュータは仰向けに寝転がり、天井の継ぎ目を見つめて考え込んでいた。
『ん・・・。』 ハッキリしない声を漏らすと、身体の向きを変え横に
向いてキタジマの財布の中で見掛けた写真のことを思い返していた。
写真の中で微笑む女性がリコに似ているという事が、どうしても引っ掛
かって仕方がないリュータだった。
翌日、リコは同じ講義をとる短大の友人からふいに話し掛けられた。
大講義室の真ん中くらいの位置に席を取り、あと数分で講義が始まるの
を教科書を手持無沙汰にペラペラとめくっていたリコに、その友人は別
席から移動しわざわざ隣に座って、リコを覗き込んだ。
『ねぇねぇ、知ってたぁ~?
リコちゃんが助手やってる、あの変な人。
何年か前までは、あんな感じじゃなかったんだって!』
そう言う顔は、やけに目がギラギラしていて口角がなんだか意地悪く吊
り上がり、リコは瞬時に感じた不快感に咄嗟に目を逸らした。
女の子は噂好きだ。
キタジマを悪く言ったり変人扱いする人が多かったが、リコはその手の
噂話には全く興味が無かった。他人の感覚や感情をそのまま鵜呑みにす
る必要など無いと思っていたし、自分が実際に傍にいて感じたことを、
ただ信じればよいと思っていた。
誰がなんと言おうが、自分が感じるキタジマという人間への感覚だけで
充分で、他人からの情報など必要ないと思っていたのだった。
『髪の毛も短くて~ぇ、ちゃんと小綺麗な格好して~ぇ、
いっつも穏やかな感じだったんだって!
何があってああなっちゃったんだろうねぇ~?
ねぇ、やっぱ失恋とかかな?
・・・チョ~ォ興味あるよねぇ~え??』
リコはそんな言葉に心の底からうんざりし、愛想笑いをその頬に作って
やり過ごした。丁度はじまった講義に集中するフリをして、真っ直ぐ教
科書へと目を落とす。
しかし、内心ちょっとだけ気にはなっていた。
(キタジマさんに、何があったんだろう・・・。)
その時、キタジマはいつもの様にヘッドフォンに凄いボリュームで音楽
をかけ、埃っぽく絵具の匂いがこもった空き教室で絵筆を握っていた。
何も考えなくていいように、否、何も考えられないように、どんどん音
量は大きくなってゆく。
しかし、心に刻み込まれた ”やわらかくあたたかい気持ち ”は、どん
な激しい音楽にもかき消される事なく、絵筆を通してキャンバスに色を
残してゆく。
他の何を描こうとしても、結局はたったひとつの風景に似通ってしまう。
やわらかくて、まばゆくて、あたたかくて、懐かしい風景に。
ミホが微笑んで佇む、あの風景に・・・
色を失った目でキャンバスを見つめるキタジマの右手から力がすっと抜け
てゆき、その指先から筆がコトリと床に落ちた。
気怠そうにゆっくりと体を屈めしゃがみ込んで筆を拾った時、汚れたシャ
ツの中に潜めている、首からぶら下げていた銀色のチェーンが揺れながら
現れた。
指輪が掛かったネックレスだった。
それは、目を逸らしたくなるほど眩しく光る2つの指輪。
内側にキタジマとミホの名が刻まれた、結婚指輪だった。




