■第125話 通り雨
突然、通り雨が降り出した。
空から落ちる粒にアスファルトの色が一気に濃いそれに変わり、湿った生ぬる
いにおいが立ち込め、全身が包まれるようで。
キタジマはどんよりとくすぶる夜空を見上げ、ジーンズのポケットに手を突っ
込み背中を丸めて、なんだかどこか愉しんでいるように雨粒を見つめる。
二人はラーメン屋の軒下で雨宿りをしていた。
リコは軒先テントからのぞくねずみ色の雨空を見上げて、眉根をひそめ困惑顔
を作る。スニーカーの爪先が、アスファルトからの跳ね返り水でもう既にしっ
とりとしてきていた。
(あぁ・・・ もぅ。 どうしよう・・・。)
今朝チェックした天気予報の降水確率は確かゼロ%だったはずだ。
勿論傘なんか持って来ていないし、この調子ならいつ止むか全く分からない。
リコの口から思わず諦めの溜息がこぼれ、肩がしょんぼりと落ちた。
すると、キタジマは言う。
『雨が降ったら、やむまでただ待てばいいんだ。』
そう言ってまた絵具だらけでヨレヨレのシャツの胸ポケットからタバコの箱を
取り出し1本咥えた。それは全く焦る様子もなければ、困る様子もない。
『雨の日は、筆が進むんだよなぁ・・・。』
リコに話しかけてるのか独り言か分からないような、その呟き。
ゆっくりと気持ち良さそうにタバコをくゆらせ、ぼんやり雨空を見上げている。
深く静かに上下するキタジマの胸が、シャツの動きでリコの視界に入る。
しかし、リコはナチ達との約束があった為、焦らない訳にはいかなかった。
一人、ソワソワと落ち着かない感じで左手首の腕時計を何度も確かめるリコの
姿にキタジマは目を止め、ほんの少しだけからかうような声色で言う。
『・・・なんだ? これからデートか?』
すると、そのキタジマの揶揄に『ち、違いますっ!!』と、一瞬口ごもり睨む
ように目を眇めてムキになり言い切ったリコ。
”デート ”という単語が、なんだかキタジマの口から出るにはそぐわない気が
して恥ずかしくて仕方がなかった。親と一緒に見ているテレビでラブシーンが
はじまった時の、あの感じとでも言うべきだろうか。
『まぁ、お前に男いないのは見てれば分かるけどな。』
キタジマは口の端で咥えたタバコをモゴモゴと動かしながら、深く煙りを吐き
してやったり風な涼しい顔をしている。そのすっ呆けた横顔が憎らしい程で。
すると、負けじとリコも反撃をした。
『そうゆうキタジマさんは、どーなんですかっ??』
体の向きをキタジマに真っ直ぐ向け睨んで顔を覗き込むと、突然近付いたリコ
の顔に少しひるんで顎を引く長身の汚れたシャツの胸。咄嗟に目を逸らすと、
思いっきりリコへとタバコの煙を吹きつけ、キタジマが言った。
『ガキは黙ってろ。』
すると、
♪~・・♪♪~~♪・・・
ケータイの着信メロディが雨音にまじって鳴り響いた。
リコはカバンに手を突っ込みケータイを探るも、奥の方に入ってしまったのか
中々それを取り出せず、焦ったようにまさぐっている。
◆着信:コーチャン先生
やっと掴んでその画面を確かめると、そこにはコースケの名前。
リコはせわしなく瞬きをし、慌てながら電話に出た。
『コーチャン先生・・・?』
コースケはこれからリュータの家に向かおうと思っていた。一度リュータに
連絡したところ、リコがまだ合流していないと聞きそろそろ用事が済みそう
なら一緒に行こうと思って連絡して来たのだった。
『うん・・・ ごめん。 もう少し、かかるかもしれない・・・
今は、えーぇっと・・・
・・・雨宿り中です・・・。』
すると、ケータイを耳に当てたままのリコの視界の端に、キタジマが急に走
って何処かへ行ってしまう姿が映った。
『キ・・・』 名を呼び掛けようとして、それを飲み込む。
勝手に一人で帰ってしまったのだと、リコはいい歳したひねくれ者に呆れて
いた。帰るにしても何か一言ぐらいあってもいいではないか。
こちらの都合も聞かず気ままに連れ出したかと思ったら、なにも言わずに帰
るなんて普通の大人がすることではない。
不貞腐れ溜息まじりのリコは、足元に跳ね飛ぶ雨の雫に目を落としていた。
耳にはまだコースケの声。傘はあるからどこかで待合せてリュータの家に一
緒に行こうかと、気を遣ってくれている。
すると、雨道を駆ける濡れた足音と水の跳ねるそれがだんだん近づいてきた。
俯いていた顔をふと上げると、ズブ濡れになりながらキタジマが走って戻っ
て来て店の軒先前で立ち止まる。
『ん。』
そう言うと、コンビニのテープが持ち手に貼られたビニール傘をリコの手に
押し付けるキタジマ。それはまだ透明フィルムで覆われていて、今、この雨
の中でも使わずに握り締めていたものだと気付く。
『ぇ・・・
・・・わざわざ、傘・・・ 買いに・・・?』
咥えたタバコは、このどしゃ降りの雨のせいで火が消えくったりと萎えてし
まっていた。その痩せた大きな肩は濡れてシャツが透け、ボサボサの髪の毛
の前髪からは次から次へと雫が滴り落ちて。
呆然とその姿を見つめ中々傘を受け取らないリコへ、キタジマは半ば強引に
押し付けると、再び雨の中をひとり走って行ってしまった。
『リコちゃん?・・・ リコちゃん??』
リコは、コースケとの電話中なのも忘れてキタジマの背中を目で追った。
駆ける足の踵から跳ねた水が勢いよく飛び、腰の辺りにその跡が付いてゆく。
ケータイからコースケがリコの名を繰り返し呼びかける声が響くも、なんだ
か水の中のようにくぐもって遠くそれは不鮮明に感じる。
咄嗟に傘を広げさして、駆け出した。
リコのアスファルトを蹴り上げるふくらはぎのあたりにも、雨の雫が跳ねて
冷たい。
背の高いキタジマの、ずぶ濡れの猫背が次第に近くなってきた。




