■第123話 不機嫌ナチ
『ねぇ、リコ!!
アカリがね・・・
アカリが、こっちに出てきてたのっ!
これからリュータさん家に集まるんだけど・・・
リコも来れるよねっ??』
ナチから、興奮した上ずった声で電話が掛かって来た。
声のボリューム調整が効かないくらいにナチは早口で上機嫌にまくし立てる
もリコは相変わらず自分の世界にこもって筆を握るキタジマの背中を横目に
静かに教室を出て廊下でコソコソと話をする。
『ん~・・・
すぐ行きたい気持ちは山々なんだけど・・・
キタジマさん次第なの・・・
・・・なるべく急いで行くから、先に始めてて。』
リコの返答に、ナチがあからさまにふくれっ面をして電話を切った。
ドシンと腰を落とし床にぺたんこ座りをすると、ローテーブルに片肘をつき
頬をぐにゅっと歪ませて頬杖をついて、思い切り不満気に下唇を突き出す。
アカリがその様子を見て、首を傾げる。
リュータと同居するアパートの狭いリビングのソファーにもたれ、煌びやか
なグラデーションネイルの手入れをしていた手を止め、身を乗り出した。
『・・・なに? リコ、来れないって?』
『リコ。 なんか最近、変な人の助手してんの・・・
・・・でも、別にその人、講師でもなんでもないんだよ?
そんなことする必要あるぅ~う?!』
すると、アカリがちょっとニヤけながら言った。
再びソファーに深く背を預け、顔の前に指先を翳しネイルを満足気にチェック
しながら。
『すっっっごい、イイ男なんじゃな~ぁい?』
それを聞いて増々不機嫌になるナチ。
口を真一文字につぐんで、引き攣った顔で一言も発しなくなった。
アカリはイタズラっ子のようにクククと笑いながら、ナチの肩に寄り掛かり
大袈裟に身振り手振りをつけて言う。両の指でハートマークを作って小首を
傾げて。
『冗談だってば~!!
リコは、”コーチャン先生・一筋 ”だもんねぇ~え?』
最近のリコの様子が、どうしても腑に落ちないナチだった。
こんな風に思ったのははじめてだった。リコのする事にはいつも賛成してき
たし応援してきたし、誰よりリコの気持ちを理解してきた自負があったのに。
そんな二人の遣り取りを、壁に背をつけもたれて座るリュータが雑誌に目を
落としながら黙って聞いていた。
リコは、ナチ達と早く合流したい気持ちの反面、キタジマの絵を片時も離れず
見ていたいという気持ちがあった。
ヘッドフォンに咥えタバコという相変わらずのスタイルで絵筆を握るキタジマ。
描いてる最中は声など掛けられない空気だった。
実際、声を掛けたところでそれは呆気なく無視されるのは目に見えている。
キタジマが筆を置いてヘッドフォンをはずし首に掛け、一服休憩のタバコに手
を伸ばすまでは、ただただ邪魔にならない場所でそっとそれを見つめていた。
キタジマがタバコをまた1本出そうとして、それが空だった事に気付きクシャ
っとその大きな手で空き箱を握り潰した。
リコはすぐさま立ち上がり横の棚から買い置きしてあるタバコを取って、無言
でキタジマへとそっと差し出し渡す。
『ん。』 さも当たり前というように、それを受け取るキタジマ。
そして、絵筆を棚に置き汚れた床におもむろに胡坐をかいて座ると、ゆっくり
タバコを吸って天井をぼんやり見つめた。
暫し、ただ白い煙を吸って吐くだけの静かな時間が流れる。
壁掛け時計もないこの教室には、キタジマのそれだけが唯一発する音だった。
リコはぼんやりと煙が天井に向かってゆったりくゆる様を見ていた。
すると、
『・・・タカナシ、ちょっと付き合え。』
キタジマがボソっと呟いた。
しかし決してリコの方は見ない。最初リコは聞き間違えかと思った程だった。
少し間を置きキタジマを軽く二度見して、聞き違いではないような空気にリコ
は驚いて聞き返す。
突然のそれに、ビックリしすぎて思わず口ごもってしまう。
『・・・ど、何処に・・・ です、か・・・?』
今までお使いを頼まれる事はあっても、キタジマと一緒に何処かに行くなんて
事は一度もなかったのだ。
『行けば分かる。』
抑揚なくそう言い捨てると、ガバっと立ち上がってヘッドフォンだけはずし、
一人でさっさと教室を出て行くキタジマ。
目を白黒させ慌ててカバンと上着を持つと、リコはその後を追いかけた。
その背中はリコを振り返りもせず、どんどん大股で廊下を進む。リコはパタ
パタとせわしなく小走りで追いながら、
『・・・き、着替えたりしないんですか?』
絵具だらけのヨレヨレでシワクチャのシャツの背中に、思わず訊いた。
『文句あんのか。』
『ぃ、いいえ・・・。』
ひと気も少なくなった校舎を抜け、夕暮れの並木道を通り、どんどん一人で
行ってしまうキタジマに、リコは息を切らして早足でついて行く。
時折、お尻をボリボリ掻いたり頭をガシガシ掻きむしったりするその痩せた
大きな背中を見つめながら。
リコは、何故こんなキタジマにあんなやわらかい絵が描けるのか、不思議で
不思議でどうしようもなかった。




