■第108話 ビンゴ
両者は鋭い目付きで睨み合っていた。
タケはコースケの胸倉を掴んだまま。コースケはそのタケの拳をほどこうと
手首が鬱血しそうなほどに握り、互いのそれは力が入り過ぎて震えている。
苦々しく噛み締める奥歯の引き攣りが、その引き締まった頬に表れていた。
その時、タケの背中の玄関ドアから小さく音がした。レバーハンドルが上下
して静かに開き、リコの母ハルコが遠慮がちにどこか不安気に顔を出した。
『どうしたの? こんな時間に・・・。』
咄嗟にコースケの襟元から手を離し、距離をあけるタケ。コースケもやっと
息苦しさから解放され背中を丸めて暫し咳き込むも、ハルコには必死に何も
なかった体を装おうとしている。
心配そうな顔をして二人を見つめるハルコ。それは泣いてしまいそうな目で。
どう見ても一触即発な雰囲気のそれを必死に隠そうとしている姿に、ケンカ
の理由は分からないけれど、暴力でなど問題は解決しないと訴えるように哀
しそうに眉根をひそめ、きゅっと口をつぐんで無言の抗議をしていた。
『な、なんでもないよ・・・
コースケさんがリコの心配して来てくれたみたいで。
ほら。
今日遠出して疲れて、
リコ、早く寝ちゃったから・・・。』
タケが、懸命に穏やかな優しい口調でハルコを諭すように笑う。
ハルコのそんな哀しそうな顔は見たくない。コースケへの嫌悪と同じくらい
否、それ以上にハルコへの愛情は深いのだ。逆にタケが泣いてしまうのでは
ないかと思う程に、切なげにハルコを見つめて必死に平静を取り繕っていた。
すると、ハルコはいまだ心配そうに少し訝しがりながらもコースケへと呟く。
『あの子。
タケ君と出掛けて、はしゃぎ過ぎて疲れちゃったみたいなのよ。』
そしてハルコは背の高いコースケを見上げるように見つめ、優しく微笑んだ。
『もし急用だったら、起こしてくるわよ・・・?』
その声色があまりに温かすぎて、コースケは情けない顔で俯いてしまった。
そして口の端に力を入れつぐむと、なにも言わずに首を大きく横に振る。
ガバっと腰を90度折ると深々と頭を下げて、暫くそのまま動かなくなった。
ハルコが慌ててその大きな背中にそっと手を当て、頭を上げさせようとした時
コースケは上半身を戻しもう一度深く頭を下げると『失礼します。』とか細く
呟いて来た道を走って戻って行った。
結局タケが関わっているのどうかは何も分からないまま、ただモヤモヤしたも
のだけ拭いきれないまま。
コースケは胸の中に広がりつつある想いに、必死に目を背けるように全力で夜
の静まり返った坂道を駆けていた。
翌日、コースケにリコからメールがあった。
それは新規作成のメール。コースケへの返信REメール表示がない、それで。
◆ごめんなさい。
昨日、電話くれてたんですね。
何かありました?
そのケータイ画面を神妙な面持ちで暫し見つめ、やはりどうしても腑に落ちな
いコースケはそのままリコに電話した。
『昨日、メールもしてるんだけど・・・
・・・届いてない?』
リコは慌ててメール受信フォルダを確認するも、その履歴は無かった。
タイムラグでセンターに保管されていないかと ”受信問合せ ”もしてみるも
それは ”0件 ”の表示で、リコはなんだか申し訳なくなってきてケータイ越
しにコースケにしょんぼりと謝った。
そんなリコに、コースケが逆に慌てる。
リコが悪い訳ではないし、もしかしたら送信したつもりがちゃんと送れていな
かっただけなのかもしれないと必死にリコをなだめ、そして自分自身を納得さ
せようとモヤモヤを無理やり呑み込んだ。
取り敢えず、伝えたかった用件をそのまま口頭で伝えると、コースケはリコに
『気にしないで。』と最後に付け加えた。心の中で自分へも同じそれを小さく
繰り返して。
リコは自室でトートバッグに画材を詰めていた。
少し調子がはずれたご機嫌な鼻歌が小さく2階の廊下に漏れていて、リコの部屋
を訪ねようとやって来たタケが、リコの愛しいそれに頬を緩めて微笑み部屋のド
アを右手中指の関節で控え目にノックしながらニヤつく頬をいなす。
『どうぞ~!』というリコの返事にゆっくりドアを開けると、沓摺に立つタケは
荷物が詰め込まれているバッグを見つめ『どこか出掛けるの?』と静かに訊いた。
『保育園の、イラストの手伝いなの!』
嬉しそうに微笑むリコの明るい表情に、立ち竦んだままのタケは苛立ちを隠せな
かった。後ろ手に組んだ両の拳が、その瞬間ぎゅっと力がこもる。
リコに気付かれないように俯いて深い深い息をひとつ吐き、急激に上がる血の気
をなんとかコントロールしようとした。
そして、
『僕も一緒に行ってみてもいいかな?
・・・保育園の中に、一度入ってみたいんだ。』
何処か違和感のあるタケの言葉を、リコは真っ直ぐ受け取り無邪気に喜んだ。
『きっとナチもリュータさんのトコにいるだろうから、
また、みんなで集まれていいかもねっ!!』
約束の時間にリコが訪ねると、園にはコースケ・リュータ・ナチ三人の姿があっ
た。やって来たのがリコ一人ではない事に、コースケは分かり易く怪訝な顔にな
りリコの手前慌ててそれを隠す。チラリとタケに視線を向けるも、タケは見られ
ている事に気付いていて、決してコースケと目を合わせようとしなかった。
飄々した感情を読めない表情で、昨夜のことなど何も無かったように笑うタケが
そこにいた。
リコはナチの元へパタパタと駆け寄り、からかうようにニヤけて訊く。
『昨日は何処でデートだったのよ~ぉ?!』
その言葉にナチが『ぇ?』と、身に覚えがないハテナ顔を向ける。
『デートだったんじゃないの? リュータさんと・・・。』最初はナチの照れ
隠しかと思ったリコだが、なんだか話が噛み合っていない空気にリコとナチは
互いに顔を見合わせ小首を傾げる。
『タケから昨日電話いったんだよね・・・?』
リコの言葉に、ナチは首を傾げキョトンとした顔で瞬きをした。
すると、ナチの隣に座っていたリュータがその会話を耳にボソっと一言呟いた。
『ビンゴ・・・。』




