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ウリハラ村
「食べたなー」
目の前に横たわる魔獣を見下ろし、ぽつりと呟いた。
最初は、ほんの少しだけ食べてみるつもりだったのだ。
だが、生まれて初めての食事というものは、思いのほか楽しかった。
一口、二口、三口と
噛むたびに身体の奥へ何かが流れ込んでくるような感覚があった。
気づけば、腹が膨れるまでしっかりと食べてしまっていた。
ひとまず、冷たい川の水で血に汚れた口元を洗う。
水面に映った自分の顔を見ながら、頬についた血を指で拭った。
満足して、岸辺に腰を下ろす。
予想どおり、自分の毒で自分の腹を壊すこともなく食べられた。
これは大きな収穫だ。
毒を持っていること自体も重要だが、食べた相手に自分の毒が回ってたとしても自分には問題がないらしい。
今後、何を食べるにしても役に立つだろう。
それに。
ふと、自分の手を見た。
先ほどまで川の水で冷やされ、青白く色を失っていた指先に、うっすらと赤みが戻っている。
身体の震えも、いくらか治まっていた。
魔力の含有量は、それほど多くない魔獣だった。
それでも、疲れた身体を癒やすには十分だったらしい。
食べれば力になる。
母が言っていたことは、本当のようだ。
「そろそろ街を探さないとなぁ」
腹が膨れたら、次は生活拠点の確保だ。
街にさえ行けば、人間に紛れて暮らすこともできるだろう。
魔力の高い人間を見つけ、食べる機会も増えるはずだ。
……もっとも、あの銀色の目をした騎士がいる限り、あまり悠長なことは言っていられないのだが。
思い出しかけた記憶を追い払うように、青い舌で水に濡れた頬をひと舐めする。
それから、布を口元まで引き上げた。
さて、どちらへ向かおうか。
そう考えた時だった。
ガラガラ、ガラガラ。
遠くから、車輪の音が聞こえてきた。
続いて、蹄が地面を叩く音。
荷馬車だ。
運がいい。
道があるなら、人が住む場所にも繋がっているだろう。
音のする方へ向かって歩き出す。
しばらくすると、木々の向こうから一台の馬車が姿を現した。
藁を山のように積んだ、随分と古びた馬車だった。
それを引いている馬も痩せていて、骨ばった身体にはあまり肉がついていない。
御者台には、疲れ切った様子の老人が座っていた。
俯き、揺れる馬車に身を任せている。
……話を聞ければいいが
道の先へ出て、馬車が来るのを待った。
ところが、こちらに気づいた馬が、突然、鼻をひくつかせた。
耳がぴんと立つ。
次の瞬間、前脚で地面を激しく踏み鳴らした。
ブルルルッ!
明らかに怯えている。
しまった。
魔物としての気配は消しているつもりだったが、先ほど食べた魔獣の血が布に染みついている。
馬には、それが分かるのだろう。
馬が急に暴れ出したことで、老人もようやく顔を上げた。
そして、こちらと目が合った。
とりあえず、手を振ってみる。
「……あんた、こんなところで何してるんだ?」
老人の声は震えていた。
馬と同じように、怯えた目でこちらを見ている。
どうやら、手を振ったところで安心はしてもらえなかったらしい。
慌てて首を横に振り、両手を軽く上げる。
何もしない。
敵意はない。
そう伝えるつもりだったのだが、うまく伝わっているかは分からない。
「いきなりすまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
できるだけ穏やかな声を出す。
「ここらで服を売っているところはないか、聞きたいだけなんだ」
「ふ、服?」
老人の視線が、こちらの身体へ落ちた。
そして、ようやく気づいたらしい。
自分が身につけているものが、服ではなく、ただの布だということに。
老人の目に、警戒の色が濃くなる。
「……あんた、その格好、どうしたんだ?」
この格好は、かなり不審だろう
少し考えてから、あらかじめ用意しておいた言い訳を口にする。
「不審な男に襲われたんだ。仲間は皆やられた。必死に逃げていたら、魔獣にも追いかけられて」
「えぇ!?」
老人が目を見開いた。
……おお。
どうやら、信じてもらえたらしい。
まぁ嘘は言ってない、本当に不審な男に襲われた
「お爺さんも、本当に気をつけた方がいいよ。物騒な森だから」
「そ、そりゃ知ってるが……あんた、大丈夫なのか? ラベルも持たずに森にいたのか?」
ラベル?
知らない言葉だ。
だが、老人の手元にあるものが気になった。
杖の先に、小さな黄金色の鐘がついている。
老人が手を動かすたび、鐘が揺れて、
カラン。
小気味よい音を立てた。
その音を聞いた瞬間、背筋にぞわりとした怖気が走った。
これは。
魔物としての自分が、何かを感じ取っている。
なるほど。
あの鐘には、魔物を遠ざける効果があるのだろう。
ラベルというのは、あれのことか。
いや、まだ決めつけるのは早い。
老人の言葉と、鐘の効果が直接結びついているとは限らないのだから。
だが、知らないことを知らないままにしておくわけにもいかない。
ひとまず、話を合わせることにした。
「襲ってきたのは人間だったから、効かなかったんだ。ラベルは、やられた仲間が持っていて……その時に失くした」
老人は、ますます気の毒そうな顔になった。
……よし。
嘘をつくというのは、なかなか難しい。ボロが出ないか心配だ
「魔獣にも追われて、逃げているうちにここまで来たんだが……ここはどこなんだ?」
「ここはウリハラ村の近くだよ」
老人はそう言って、森の方をちらりと見た。
「近くには炭鉱がそこかしこにある。今じゃ廃炭鉱も多いが、昔は炭鉱で栄えた村でな」
「ウリハラ村……なるほど」
廃炭鉱。
その言葉に、少しだけ考え込む。
自分たちが生まれたのも、そんな場所のひとつだったのだろう。
あの洞窟のような場所がいくつもあるのなら、身を隠すには都合がよかったはずだ。
あの男が現れるまでは。
そこまで考えて、気分が沈んだ。
……いけない。
また思い出してしまった。
今は、先のことを考えなければ。
そんなこちらの様子を見ていた老人が、少し考えるように黙り込んだ。
やがて、申し訳なさそうに口を開く。
「気の毒だが……あの村は、今じゃ服を分けてやれるほど余裕のある場所じゃない」
「そうなのか?」
「ああ。近寄るのも、やめた方がいい」
老人の顔から、先ほどまでの戸惑いが薄れていた。
代わりに浮かんでいるのは、どこか暗い影だった。
「……疫病が蔓延しているって噂だ」
優しいお爺さん




