風前の灯と騒ぎ
抱きついてきた子供の力は、驚くほど弱かった。
すごい。見た目が人間に見えるだけで、こんなに簡単に懐いてくれるものなのか。
場違いにも感動してしまった。
それに、人間から直接触れられること自体、どうにも落ち着かない。胸の奥が妙にそわそわして、鼓動まで速くなっている気がした。
手触りがおかしいと思われていないだろうか。
服越しに触れてくれてよかった。肌を直接触られていたら、何か違和感を覚えられていたかもしれない。
そんなことを考えていると、隣から突き刺すような視線を感じた。
はっと我に返る。
いつまでも何の反応も返さないのは、人間として不自然だろう。
うっかり骨を砕かないよう、細心の注意を払いながら、痩せた小さな背中にそっと手を当てた。
「おかあさん、ねつがひどいの」
子供の声に顔を上げ、先ほどからこちらを睨んでいる男へ視線を向ける。
疑わしげな目つきは気になるが、顔色が悪いのは相変わらずだった。かなり衰弱しているように見えるのに、もう立って歩いているとは驚きだ。
「もう立てるのか」
「……ッ、あ、ああ。カジから、あんたが助けてくれたと聞いたが」
「……結果的にそうだな」
「結果的に?」
男の眼差しが険しくなる。
「助けるつもりではなかった、と聞こえるが」
鋭さを増した視線を受け、私は素直に頷いた。
実際、助けるつもりはなかった。今は死なない程度に生かしておくつもりでいるだけだ。
「病だと聞いて来たが、見てみれば虫に襲われていただけだったからな。虫を払っただけだ」
「虫……?」
「足元を見なかったのか?」
男は怪訝そうに眉を寄せたあと、ためらいがちに足元へ目を落とした。
そして、目を見開く。
床には大量の虫の死骸が散らばっていた。
ひっくり返った虫たちは、ほどなくして身体から青い色が抜け、くすんだ茶色へと変わっていく。まるで、乾ききった落ち葉のようだった。
男はようやく、自分が枯れた薬草だと思っていたものの中に、虫の死骸が混じっていたことに気づいたらしい。ひどく気味悪そうに顔を歪めている。
その一方で、カジは床に足をつけていたくないのか、私の身体をよじ登ろうとしていた。
マスクを引っ張られるのは困る。
片手でそっとカジを抱き上げてみた。カジは思いのほか素直に腕の中へ収まり、小さく丸まって床を恐る恐る見つめている。
「……子供って軽いな」
思わず口から感想が漏れた。
「まさか、すべて虫だったのか……ッ。薬が効かないはずだ」
男は悔しそうに唇を噛んだ。
その視線が、ふと自分の背後へ向けられる。
そこには、庇うようにして守っている女がいた。
私はカジを抱いたまま、そちらへ近づいた。
女の顔を覗き込む。
先ほど見たときよりも、生きようとする力が弱まっているのがわかった。額に触れた手には、焼けるような熱が伝わってくる。
部屋に入ったときは荒いながらも一定だった呼吸も、今は不規則に乱れていた。
このままでは長くない。
「今夜、もたないな」
「……ッ、おい! カジの前で!」
「おかあさん! やだぁ!!」
耳元で突然泣き声が弾け、私はびくりと肩を揺らした。
何事かと目を向ける間もなく、男が私の腕からカジを掻っ攫うように抱き取った。泣きじゃくる子供を胸に押しつけ、まるで何かから守るように強く抱きしめる。
「カジ……っ。ユカラは強いやつだ。小さいお前を置いていくもんか」
男の声にも、隠しきれない苦しさが滲んでいた。
私は、なるほど、と納得して手をぽんと打った。
知識の中にあったものだ。こういうとき、人間は相手を安心させるために、確かな根拠がなくても大丈夫だと言うらしい。
知っていることが実際に目の前で行われると、少し嬉しくなる。
「気休めってやつだな」
「心がねえのか、テメェ!!」
「うわぁあん!」
カジの泣き声が、さらに大きくなった。
男は怒りに顔を歪めている。
しまった。
どうやら、完全に失敗したらしい。
人間のすることではなかった、と知識を訂正する。
私は困り果て、二人から目を逸らした。今にも泣き崩れそうな子供と、こちらを殺しかねない目で睨む男。どちらも、どう扱えばいいのかさっぱりわからない。
それよりも、困ったことがある。
間もなく死ぬであろうこの女を食べるには、どう考えても場の空気が悪すぎた。
そもそも、あの薬草の臭いが肌に染みついている。食べるにしても、一度きちんと洗い落としてからにしたい。
男とカジが騒ぐ声を背に受けながら、私は女の手を取った。
ひどく熱い。
力の入らない指先を確かめてから、身体を傷つけないよう慎重に腕を差し入れる。
そして、弱りきった女をそっと横抱きに抱き上げた。
虫だらけでしたよ




