第5話「教会の使者」
フィーネを救った翌日、王都は嵐のような騒ぎに包まれていた。
大聖堂前の広場には、昨夜の一部始終を目撃した民衆が集まり、口々に噂を広げていた。「追放された浄化士様が聖女様を救った」「あれは只者じゃない」「教会は何か隠している」――そんな声が、あっという間に王都中を駆け巡った。
私は郊外の廃教会に身を潜め、その様子を遠くから眺めていた。
「思った以上に広まっているな」
隣に立つザガンが、愉快そうに言う。
「広まってほしかったわけじゃありません」
「だが好都合だろう。教会が最も嫌うのは、民衆の”疑い”だ。信仰は疑いの余地がないからこそ成り立つ。お前が疑いの種を蒔いた」
その時、教会の方角から一台の馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。紋章は、教会本部のもの。
「客人だな」
ザガンの目つきが変わった。
馬車から降りてきたのは、白と金の法衣をまとった初老の男だった。柔和な笑みを浮かべているが、その目の奥には、値踏みするような冷たさがある。
「――枢機卿ヴァルド様」
背後で、リュカが息を呑む音がした。彼も同行していたらしい。
「これはこれは。追放されたはずの浄化士殿が、こんなところにいらしたとは」
ヴァルドは、私の前まで歩み寊り、深々と頭を下げた。
「まずは謝罪を。此度の不祥事、教会本部として深く反省しております」
「不祥事、ですか」
「フィーネへの禁術の使用は、一部の過激な聖職者による独断でした。教会本部の総意ではございません。処分は既に……」
「嘘ですね」
私は、遮るように言った。
ヴァルドの笑みが、一瞬だけ強張った。
「呪詛の準備には、少なくとも数ヶ月単位の下準備が必要です。教会本部の許可なく、そんな大掛かりな儀式を秘密裏に進められるはずがない」
「……随分と、詳しいのですね」
「監視者として、三年間見てきましたから」
その一言に、ヴァルドの目の色が変わった。値踏みの色から、警戒の色へ。
「なるほど。噂は真実だったというわけですか。あなたは、我々が思っていたよりずっと”知って”いる」
ザガンが、私の隣で低く笑った。
「化けの皮が剥がれかけているようだな、枢機卿殿」
ヴァルドはザガンをちらりと見て、露骨に顔をしかめた。
「魔王ザガン。人間の街に姿を見せるとは、随分と大胆なことだ」
「客人として来たわけじゃない。彼女の付き添いだ」
「彼女……ああ、監視者殿の、ですか」
ヴァルドは私に向き直った。表情から柔和な仮面が、少しずつ剥がれ落ちていく。
「単刀直入に申し上げます。あなたには、選んでいただきたい」
「選ぶ?」
「一つ。このまま何も語らず姿を消す。相応の礼はいたしましょう。もう一つは」
ヴァルドの声が、わずかに低くなった。
「教会の敵として、我々と全面的に対立する。……そちらを選べば、待っているのは平穏な人生ではありませんよ」
沈黙が流れた。リュカが不安げにこちらを見ている。フィーネはまだ意識を取り戻していないと聞いた。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「三つ目の選択肢があります」
「――ほう?」
「あなたたちが、フィーネにしたことと同じ手口で、これまで何人の”聖女候補”を潰してきたのか。それを、公にする」
ヴァルドの顔から、完全に笑みが消えた。
「知っているのは、フィーネのことだけではないと?」
「監視者として三年、見てきたと言ったはずです」
風が、廃教会の庭を吹き抜けた。ヴァルドはしばらく私を見つめた後、深く息を吐いた。
「……厄介な監視者を野放しにしていたものだ」
「それは、こちらの台詞です」
「わかりました。今日のところは、これで失礼しましょう」
ヴァルドは踵を返し、馬車へと戻っていく。だが、その背中越しに、彼はこう付け加えた。
「セレス殿……いや、シェアラ殿とお呼びすべきか。教会は、あなたが思っているより広い。今日の話が、“個人の独断”で終わるとお考えなら、それは甘い」
馬車が走り去った後、リュカが恐る恐る口を開いた。
「セレス、いや……お前、本当に何者なんだ」
「もう、知っているはずです」
「教会の”聖女候補潰し”の話は……本当なのか」
私は、しばらく黙っていた。ザガンが代わりに答える。
「本当だ。監視の記録に残っている。過去五年で、少なくとも七人」
リュカの顔が青ざめた。
「七人……その中には」
「お前が知っている名前も、あるかもしれないな」
沈黙が落ちた。王都に落ちる夕日が、廃教会の壁を赤く染めていた。
これは、もう一人の敵との戦いの、始まりに過ぎない。




