第4話「かつての聖女」
大聖堂の中心で、フィーネだったものが、こちらを振り返った。
白かったはずの法衣は黒く染まり、背中からは禍々しい触手のようなものが幾筋も伸びている。整っていた顔立ちは半ばひび割れ、隙間から赤黒い光が漏れていた。もう、誰の目にも彼女が人間だとはわからないだろう。
「フィーネ」
私が名を呼ぶと、その化け物はぴたりと動きを止めた。
「せ……れす……?」
かすかに、人間の声が混じった。まだ、完全には喰われていない。
「あなたを、止めに来た」
「止め、に……? わたしを断罪して、追放した、わたしを……?」
嗤うような、泣くような、歪んだ声だった。触手が私に向かって振り下ろされる。とっさに、体が反応した。今まで一度も使ったことのない速さで、私はそれを避けていた。
――思い出す。この動き。この力。三年間、意識の奥底に眠っていたもの。
「あなたが陥れたのは、私です」
「知って、る……知ってた、わよ……! あなたの浄化の力が、本物だって……! わたしの称号なんて、まがい物だって……!」
叫びとともに、また触手が振るわれる。今度は防御に回った。腕を交差させ、淡い光の盾を展開する。とっさに使った技術のはずなのに、体は迷いなく動いた。
「だから、わたしより先に、消えてもらわなきゃ、いけなかった、の……!」
フィーネの叫びに、胸が締め付けられた。彼女もまた、追い詰められていたのだと、今更ながらに気づく。教会という組織の中で、“聖女”という肩書きを守るためだけに生かされていた、一人の人間。
「教会が、あなたに何を吹き込んだんですか」
「秘術を、受ければ……本物の聖女に、なれるって……もう、誰にも、疑われないって……」
言葉の端々から、絶望が滲んでいた。禁術に手を出したのは、フィーネ自身の弱さもあっただろう。だが、それを利用した者がいる。
「教会は……あなたを、使い捨てるつもりだった」
言った瞬間、フィーネの目に、一瞬だけ理性の光が戻った。
「わたし、を……?」
「浄化士だった私を追放させたのも、教会の指示だったんじゃないですか。“本物”の浄化士がいては、いずれあなたの化けの皮が剥がれる。だから先に排除した」
「そんな……」
「そして今度は、あなた自身を”更なる力”の実験台にした。上手くいけば教会の武器が一つ増える。失敗しても、痛手はない。……最初から、そういう計算だったんじゃないですか」
フィーネの体を包む黒い光が、大きく揺らいだ。
「いや……いやぁあああああ……!!」
絶叫とともに、暴走がさらに激しくなる。理性を保てなくなった呪詛が、彼女自身を喰らい尽くそうとしていた。
「ザガン様!」
私は叫んだ。遠くで見守っていたザガンが、静かに近づいてくる。
「呪詛を祓うことはできる。だが――お前の力でなければ意味がない。人間を騙してきた”浄化士セレス”の力ではなく、監視者シェアラとしての本当の力でなければな」
「わかっています」
私は目を閉じ、三年間、封じてきたものを解き放った。
黒く染まった髪が、銀色の光を帯びる。体の奥から、これまで感じたことのない力が溢れ出す。これが――本当の私。
「フィーネ」
目を開けて、彼女を見据える。
「今のあなたを消すことはできる。でも、私はそうしたくない」
「な、ぜ……わたしを、断罪、したのに……」
「あなたも、教会に利用された被害者だから」
手をかざす。淡い、けれど圧倒的な光が、フィーネを包み込んでいく。
「呪詛だけを、剥がします。痛いかもしれない。でも――生きて」
フィーネの絶叫が、次第に人間のものへと戻っていく。触手が崩れ落ち、黒い法衣が本来の白へと戻っていった。
すべてが終わったとき、そこに残っていたのは、ただの一人の少女だった。気を失い、涙の跡を頬に残した、フィーネの姿。
「……終わったのか」
リュカが、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
私は静かに、フィーネの体を抱き上げた。
「終わっていません。むしろ、ここからです」
「どういう……」
「彼女をこんな目に遭わせた教会が、まだ何も裁かれていない」
振り返ると、ザガンが満足げに笑っていた。
「いい顔になったな、シェアラ」
大聖堂の外では、事態を見守っていた民衆が、ざわめきながらこちらを見つめている。誰かが、ぽつりと呟いた。
「あれは……追放された、浄化士様じゃ……」
その声が、次第に大聖堂の外に広がっていく。
私を断罪した聖女は、私が救った。
そして今、教会の”正義”に、初めてひびが入り始めていた。




