第3話「聖女の暴走」
王都の空に渦巻く赤黒い光を見た瞬間、私の中で何かが警鐘を鳴らした。
「ザガン様、あれは」
「フィーネの魔力だ、間違いなく。だが……妙だな」
ザガンの声色が変わった。今までの余裕のある口調から、わずかに緊張が滲む。
「妙、とは」
「あの色は、浄化魔法のものじゃない。あれは――呪詛の色だ」
呪詛。教会が最も忌避し、禁じているはずの力。聖女であるフィーネが、なぜそんなものを。
考えるより先に、体が動いていた。気づけば私は、王都に向かって駆け出していた。
「待て、シェアラ。お前はもう追放された身だ。今更戻って——」
「わかってます。でも」
振り返らずに、私は言った。
「監視者としての契約が終わったとしても、あの街には三年間、私が守ってきた人たちがいる」
背後で、ザガンが小さく笑う気配がした。
「……本当に、お前は変わらないな」
風を切るように黒く染まった髪がなびく。三年間、地味な浄化士として過ごしていた体に、今、明らかに違う力が満ちていくのがわかった。重かった魔力の”蓋”が、完全に外れている。
王都の門は、既に混乱の渦中にあった。兵士たちが右往左往し、民衆が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。空には赤黒い光の柱が立ち、大聖堂を中心に禍々しいひびが走っていた。
「セレス……!?」
聞き覚えのある声。振り返ると、リュカが剣を構えたまま、こちらに驚愕の表情を向けていた。
「なぜ戻ってきた。お前はもう」
「説明は後です。何が起きているんですか」
「フィーネが……儀式の最中に、突然様子がおかしくなって」
リュカの声には、初めて聞く動揺があった。三年間、常に冷静で合理的だった彼が、明らかに狼狽している。
「儀式?」
「次代の”聖女継承の儀”だ。教会本部から、力の底上げのために新しい秘術を試すよう言われて……フィーネはそれに従っただけのはずだった」
秘術、という言葉に、ザガンが舌打ちする音が聞こえた。
「教会め。禁術に手を出したか」
「禁術……?」
「聖女の力を”底上げ”する秘術など存在しない。存在するとすれば、それは他者の魔力を強制的に喰らって己のものにする呪詛だけだ」
その言葉に、リュカの顔から血の気が引いた。
「まさか、フィーネは」
「今頃、暴走した呪詛に飲み込まれかけているだろうな。もう”フィーネ”の意識は、ほとんど残っていないかもしれない」
大聖堂の方角から、絶叫にも似た咆哮が響いた。人のものとは思えない声。
「セレス、頼む……!お前にしか、フィーネを止められない」
リュカが、初めて私に頭を下げた。三年間、一度も見せたことのない姿だった。
皮肉なものだ、と思う。追放したその日に、縋られるとは。
「一つだけ、聞かせてください」
「なんだ、なんでも答える」
「あなたは、フィーネが私を陥れたと知っていて、黙認していましたね」
リュカの表情が固まった。図星、ということだ。
「……知っていた。だが、パーティの和を優先した。すまない」
「今更、謝罪はいりません」
私は静かに、けれどはっきりと言った。
「私はもう、あなたたちの仲間じゃない。行くのは、フィーネを止めたいと”私自身”が思うからです」
大聖堂に向かって歩き出す私の背に、ザガンの声がかかった。
「シェアラ。本気を出せ。もう、隠す必要はない」
振り返ると、ザガンは初めて、どこか誇らしげな顔をしていた。
「三年間、よく耐えたな。監視者としてじゃなく――一人の人間として」
胸の奥が、熱くなる。
「行ってきます」
黒く染まった髪をなびかせ、割れたひびの奥へと、私は足を踏み入れた。大聖堂の中心で、かつての”聖女”だったものが、原型を失いかけながら、なおも力を喰らい続けていた。
「フィーネ……!」
呪詛に飲まれた彼女の目に、もう理性の光はなかった。




