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二度目の人生は冷徹に。搾取された社畜はお人好しを捨て、完璧な復讐劇の幕を開ける  作者: 伊達ジン


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第15話 麻衣の虚栄、膨らむ欲望

 休日の夕方。初夏の西日が、都心のサービスアパートメントの広々としたリビングに長く濃い影を落としていた。


 佐野真二は、数日前に裏の資金を使って契約したばかりのその部屋の、機能的なアイランドキッチンに立っていた。前世の自分が住んでいた手狭で埃っぽいアパートや、つい最近まで麻衣と暮らしていた生活感に溢れた部屋とは違い、完璧な換気システムと広大な調理スペースが、彼の動線を一切妨げない。ステンレスと人工大理石で構成された無機質な空間に、まな板を叩くリズミカルな包丁の音が響いている。換気扇の低い駆動音が、外部の喧騒を完全に遮断していた。


 真二の手元には、鮮やかな緑色をした瑞々しいゴーヤーがあった。両端を落とし、縦に半分に割る。スプーンを使い、中の白いワタを丁寧に削り取っていく。苦味を完全に消し去るのではなく、心地よいアクセントとして残すため、ワタの削り具合を指先の感覚だけで微かに調整する。厚すぎず薄すぎず、均一に揃えられた半月切りがボウルに溜まっていく。少量の塩と砂糖で揉み込み、しばらく置いてから余分な水気を固く絞ると、青臭さが抜け、爽やかな苦味だけが凝縮された状態になった。


 隣のコンロでは、沖縄から取り寄せた大豆の風味が強い硬い島豆腐を手で無造作に千切り、油を引かない厚手の鉄フライパンで炒りつけている。パチパチと表面の水分が飛び、微かにきつね色の焼き目がつき香ばしい匂いが立ったところで一度皿に取り出した。


 続けて、豚バラ肉の薄切りをフライパンに広げる。火を入れると、肉から滲み出た透明な脂がフライパンの表面でチリチリと小さな音を立て、動物性の脂の焦げる甘い香りが広がる。そこへ先ほどのゴーヤーを投入し、強火で一気に炒め合わせる。フライパンを振るたびに、豚の脂の暴力的な甘みと、ゴーヤーの青々しい香りが、キッチンに立ち昇り交じり合った。


 豆腐を戻し入れ、酒、醤油、そして削り節を細かく揉み込んだものを一振り。全体に味が回ったところで、あらかじめ溶いておいた卵を回し入れる。火を止め、フライパンの余熱だけで卵をふわりと半熟に仕上げる。長年の自炊生活と、効率を極限まで追求した実務能力が組み合わさった、無駄のないプロ顔負けの手際だった。


 火の前の作業を終え、真二はタイマーが鳴るのを待っていた蒸し器へと視線を移した。

 竹製の蒸し籠の蓋を開けると、もうもうと立ち上がる白い湯気と共に、食欲を直接殴りつけるような肉と玉ねぎの甘い香りが顔を叩いた。


 蒸し上がったばかりの自家製シュウマイ。

 豚肩ロースの塊肉を自ら包丁で粗く叩き、肉の食感をあえて残したタネだ。そこへ戻した干し椎茸、刻んだ生姜、ごま油、オイスターソースを丁寧に練り込んでいる。甘みを引き出すための玉ねぎには、あらかじめ片栗粉をまぶして肉汁を閉じ込める工夫を施していた。一つ一つ均等にひだを寄せて包まれた薄い皮の向こう側で、熱い肉汁がパツンと張り詰め、透き通るような美しい仕上がりを見せている。


 最後に、小鍋で温めていた一番出汁の仕上げにかかる。昆布を水からゆっくりと温度を上げ、沸騰直前で引き上げた後、たっぷりの血合い抜き鰹節で引いた澄んだ出汁。黄金色に輝くその液体へ、新鮮な生モズクを落とす。火を止め、香りが飛ばないように少量の麦味噌を溶き入れた。上品な出汁の香りと、麦味噌の素朴で柔らかな甘みがふわりと立ち上る。


 すべてが完璧なタイミングで仕上がった瞬間、玄関の電子錠が開き、軽いヒールの音が廊下に響いた。


「真二、開けて入るよー」


 甘さを過剰に含んだ声と共に、結城麻衣がリビングに姿を現した。

 彼女が身に纏っているのは、一目でそれとわかるハイブランドの今季のワンピースだ。淡いピンクベージュの生地が彼女の華奢なラインを強調している。手元には、ルシアのハッキング報告書にあった通り、翔太が裏金を使って買い与えたであろう十数万円の新作スモールバッグがこれ見よがしに提げられていた。


「随分と早かったな。ちょうどできたところだ」


 真二は表情を一切変えず、湯気を立てる料理をダイニングテーブルに並べながら言った。


「なんか、すごい匂いがすると思ったら。真二、自分で作ってたの?」


 麻衣はバッグをソファに放り投げ、怪訝そうな顔でテーブルを覗き込んだ。


「豆腐とゴーヤーのチャンプルー。それに自家製のシュウマイと、モズクの味噌汁だ。外食ばかりで胃が疲れているだろうと思ってな」

「えー、せっかくの週末なのに自炊? 私、こないだ真二が連れて行ってくれたみたいな、もっとお洒落なフレンチとか、夜景の綺麗なレストランが良かったな」


 不満げに唇を尖らせる麻衣。最近の真二が立て続けに高級店へ連れて行くものだから、彼女の中でそれが「当然の権利」として処理され始めている。家庭料理などという地味なものを見せられ、あからさまに落胆しているのがわかった。


「たまにはいいだろう。座りなさい」


 真二が椅子を引いてやると、麻衣はしぶしぶといった様子で腰を下ろした。

 箸を取り、まずは最も地味に見えるモズクの味噌汁に口をつける。


 その瞬間、麻衣の動きがピタリと止まった。


 丁寧に引かれた鰹と昆布の合わせ出汁の深い旨味。生モズクの心地よい歯ごたえと、微かな磯の香り。麦味噌の柔らかな甘みが、冷房で冷えた体を内側からじんわりと温めていく。市販の顆粒出汁やファストフードでは絶対に出せない、細胞に直接染み渡るような滋味深い味わいだ。


「……なにこれ。美味しい」


 麻衣の目がわずかに見開かれる。

 次に、シュウマイに箸を伸ばす。少し小ぶりのそれを丸ごと口に放り込み、一口噛んだ瞬間、粗挽きの豚肉から熱い肉汁が弾けるように溢れ出した。干し椎茸の強烈な旨味と玉ねぎの甘みが口いっぱいに広がり、豚の脂の濃厚なコクと見事に調和する。既製品やチェーン店のそれとは全く違う、圧倒的な力強さを持つ味だ。


「熱っ……でも、すごく美味しい! 真二、これ本当にお店で買ってきたんじゃないの?」

「俺が挽肉から叩いた。チャンプルーも冷めないうちに食べるといい」


 麻衣はもう文句を言うのをやめ、無言でゴーヤーチャンプルーを口に運んだ。

 豚の脂を吸ったゴーヤーは、苦味がマイルドに抑えられ、旨味の塊と化している。島豆腐の香ばしさと、ふんわりとした卵がそれを見事にまとめ上げていた。白米があれば無限に食べ進められそうな完成度だ。


 高級レストランのコース料理を気取って食べる時とは違い、理屈抜きで人間の本能を刺激する素朴で完璧な美味。麻衣の箸は止まらず、先ほどまでの不満などすっかり忘れたように、あっという間に皿の上は空になっていった。


「……ごちそうさま。なんだか、食べすぎちゃった」


 満足げに息を吐き、麻衣は口元をナプキンで拭った。


「口に合ったなら良かった」


 真二は空いた皿を手際よく下げ、キッチンへ向かった。


 食後の茶の準備をする。

 南部鉄器の急須に入れられたのは、上質な加賀棒茶だ。熱湯を注ぎ、蒸らす。一番茶の茎の部分だけを浅く焙煎したその茶は、独特の香ばしさと共に、驚くほど澄んだ甘みを持っている。

 薄い白磁の湯呑みに注ぎ、水色の美しい茶を、真二は再びテーブルに戻って麻衣の前に置いた。


「いい香り……」


 麻衣が湯呑みを両手で持ち、目を細めて香りを嗅ぐ。


「それで、真二」


 麻衣は棒茶を一口飲み、上目遣いで真二を見た。


「最近、どうしたの? このマンションだって、急に借りるし。お金、大丈夫なの?」


 心配しているふりを装っているが、その瞳の奥にあるのは純粋な「欲望」と「計算」だ。彼女は今、自分にとってより利益をもたらすのは「幹部候補」として調子に乗っている翔太なのか、それとも急に羽振りが良くなった真二なのか、天秤にかけている。もし真二が無理をして借金でもしているなら、すぐに見切りをつけるつもりなのだろう。


 真二は自分の湯呑みには口をつけず、ただ静かに、凪いだ水面のような瞳で麻衣を見つめ返した。


「心配かけたな。……少し前までは、俺の甲斐性がなくて君に我慢させてばかりだった。だが、もうその必要はない」


 真二はジャケットの内ポケットから、マットな黒色のクレジットカードを取り出した。

 海外のプライベートバンクが発行する、限度額が事実上存在しないデポジット型のカード。数日前に仮想通貨の利益を移し替え、真二が用意した罠の一つだ。


 それを、滑らせるようにしてテーブルの上の麻衣の前に置いた。


「え……これ」

「来月、君の誕生日だろう。プレゼントは一緒に買いに行っても良かったんだが、俺も少し新しいプロジェクトで忙しくなりそうでね」


 真二は低く、落ち着いた声で紡ぐ。


「君の好きなものを、好きなだけ買うといい。限度額は気にしなくていいように設定してある。服でも、宝石でも、エステでも。これまで俺のせいで苦労をかけた分の、俺からの気持ちだ」


 麻衣は息を呑んだ。

 目の前に置かれた黒いカード。彼女の薄っぺらい知識でも、それがどれほどのステータスと購買力を意味するのかは理解できたのだろう。手が微かに震え、カードの縁に触れるのを躊躇っている。


 翔太が武藤常務の威光を借りて裏金で作った数百万円程度の小遣いなど、比較にならない。彼女がこれまで「贅沢」だと思っていた天井を、真二は今、強引にぶち破ったのだ。彼女の目は、ブラックカードの重厚な輝きに完全に釘付けになっていた。


「本当、に……?」

「ああ。君には、それを持つ資格がある。いつも俺を支えてくれているんだから」


 一切の感情を交えない、氷のような嘘。

 しかし、虚栄心に目を曇らせた麻衣には、それが自分への絶対的な愛情と降伏の証にしか見えなかった。


「真二……!」


 麻衣は弾かれたように立ち上がり、テーブルを回り込んで真二の首に抱きついた。彼女の纏う、翔太の車の中で嗅いだのと同じ香水の匂いが、真二の鼻腔を突く。


「ありがとう! 私、すごく嬉しい……真二のこと、見直した!」

「そうか。それは良かった」


 真二は抱きついてくる麻衣の背中に手を回すこともなく、ただ淡々と答えた。


 麻衣は真二から離れると、カードを両手で宝物のように持ち、すでに視線を宙に泳がせていた。


「どうしよう……あのブランドの新作のバッグ、まだ残ってるかな。翔太君……じゃなくて、友達と行くランチのために、今年の冬のコートも予約しなくちゃ。あ、週末は通ってるエステのVIPコースも追加しちゃおうかな。それから、ずっと欲しかったあの時計も……」


 彼女の頭の中では、すでに翔太との密会にこれ見よがしに着ていく服や、女友達に見せつけてマウントを取るためのアイテムのリストが、際限なく膨れ上がっているのだろう。とめどなく溢れ出す欲望が、彼女の理性を急速に塗り潰していくのが手に取るようにわかる。


 生活水準と虚栄心というものは、一度上げてしまえば二度と元には戻せない。

 特に彼女のような、自己の価値を他人の目と所有物でしか測れない人間にとっては。


 真二が与えたのは「無限の金」ではない。彼女の精神を完全に破壊するための、致死量の劇薬だ。


「好きに使いなさい。……君が一番輝けるように」


 真二の口から出た言葉は、恐ろしいほど優しく、そして絶対零度の冷たさを孕んでいた。


「うん! 私、明日から早速お買い物行ってくるね!」


 麻衣の顔は、抑えきれない歓喜で歪み、醜いほどの欲望に満ちていた。彼女はもはや、テーブルの上に残された極上の棒茶の香りにも、真二の冷め切った視線にも気づいていない。


 自分の美しさを飾るための金。ただそれだけが、今の彼女の世界のすべてだった。


 その夜、麻衣は上機嫌で真二のベッドに潜り込み、次の日の買い物の計画を嬉々として語りながら眠りに落ちた。


 リビングに残された真二は、ソファに深く腰を沈め、薄暗い部屋の中で一人、ロックグラスの氷を揺らした。


 彼女が買うものは、すべて真二の口座に履歴として残る。翔太とのホテル代、翔太へのプレゼント、そして自身を着飾るための異常な額の装飾品。翔太の資金源がいずれ枯渇し、彼が窮地に陥った時、麻衣は間違いなくこのカードの力に完全に依存しているはずだ。


 グラスの氷がカランと、冷たく澄んだ音を立てた。


 真二は残った琥珀色の液体を一息に飲み干し、一切の感情を排した静かな微笑みを暗いリビングに落とした。

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