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第9話 搾取の証明

第9話 搾取の証明


 エドワルド王太子は、生まれて初めて逃げ出したいと思っていた。


 王宮中央会議場。


 普段は重要な国政会議が行われるその場所には、朝から王国中の重鎮たちが集められていた。


 国王。


 王妃。


 宰相。


 各省の長官。


 有力貴族たち。


 商業ギルドの代表。


 そして王太子宮の関係者たち。


 誰もが硬い表情をしている。


 会場に漂う空気は重かった。


 窓から差し込む朝の光さえ冷たく感じる。


 長い会議卓の上には資料が並べられ、監査報告書の束が積み上げられていた。


 エドワルドの手は冷たかった。


 ここ数日ほとんど眠れていない。


 食事も喉を通らない。


 今朝も無理に口へ入れたのは薄いスープと小さなパンだけだった。


 胃の中に石でも入っているような感覚が続いている。


 それでも彼は自分に言い聞かせていた。


 大丈夫だ。


 多少の問題はあった。


 だが王位継承権を失うほどではない。


 そう信じたかった。


 やがて国王が立ち上がる。


 白髪交じりの髪。


 厳しい眼差し。


 その姿を見ただけで会場は静まり返った。


「これより王太子宮監査結果の報告を行う」


 低い声が響く。


「クラウス財務尚書」


「はっ」


 クラウスが立ち上がった。


 黒い礼装に身を包み、手には報告書を持っている。


 その隣にはレティシアがいた。


 濃紺の財務官制服。


 金の徽章。


 静かな表情。


 かつて婚約者として隣にいた女性とは思えないほど堂々としていた。


 クラウスはゆっくりと報告を始める。


「監査の結果、過去三年間の王太子宮財務状況について重大な事実が確認されました」


 会場の空気が張り詰める。


「まず、こちらをご覧ください」


 資料が配られる。


 ページをめくる音が響いた。


 エドワルドも手元の資料を見る。


 数字ばかりだ。


 だが嫌な予感がした。


「過去三年間の予算削減実績です」


 クラウスは続ける。


「仕入れ価格交渉」


「輸送費見直し」


「契約条件改善」


「在庫管理最適化」


「重複支出削減」


 次々と数字が読み上げられる。


 その金額は想像を超えていた。


 数百ゴールド。


 数千ゴールド。


 時には一万ゴールドを超える。


 会場のあちこちで驚きの声が上がる。


「馬鹿な……」


「これほどの額を?」


「一人でか?」


 クラウスは淡々と続けた。


「なお、これらの提案書、交渉記録、契約修正履歴を確認した結果、実務担当者は全て同一人物でした」


 沈黙。


 そして。


 クラウスは静かに名前を告げた。


「レティシア・ローゼンクロイツ財務官です」


 ざわり、と会場が揺れた。


 視線が一斉にレティシアへ向く。


 だが彼女は何も言わない。


 ただ静かに立っていた。


 クラウスはさらに資料を開く。


「次に税収改善について報告します」


 数字が並ぶ。


「地方商会との協力体制再構築」


「徴税システム改善」


「未納対策」


「商業振興施策」


 また同じ名前が並ぶ。


 レティシア。


 レティシア。


 レティシア。


 どこを見ても彼女だった。


 会場にいる者たちは次第に理解し始める。


 偶然ではない。


 組織の成果ではない。


 一人の人間が生み出した結果なのだ。


 商業ギルド長ベルンハルトが静かに呟く。


「やはりか」


 その横で宰相が目を見開く。


「この規模の改善を一人で……?」


 信じられないという表情だった。


 だが数字は嘘をつかない。


 証拠もある。


 記録もある。


 否定できない。


 クラウスは最後の資料を開いた。


「外交経費について報告します」


 エドワルドの胸が嫌な音を立てる。


「レティシア財務官は、過去三年間にわたり外交関連支出を平均二割削減しています」


「なお外交成果については、当時の報告書では王太子殿下の功績として記録されていました」


 会場が静まり返った。


 誰も動かない。


 誰も声を出さない。


 その沈黙が何より恐ろしかった。


 クラウスの声だけが響く。


「しかし実際には、交渉準備、予算管理、商会との折衝、各種手配の大半をレティシア財務官が担当していたことが確認されました」


 エドワルドは息が苦しくなった。


 違う。


 違うと言いたかった。


 だが何が違うのか自分でも分からない。


 確かに自分は成果報告を受けていた。


 だが詳細は見ていなかった。


 いや。


 見ようとしなかった。


 いつの間にか、それが当たり前になっていた。


 レティシアが整える。


 自分が成果を受け取る。


 その構図が。


 国王がゆっくりと口を開いた。


「エドワルド」


 その声は静かだった。


 だが怒鳴り声よりも恐ろしい。


「お前はこれを知っていたのか」


 エドワルドは答えられなかった。


 知らなかった。


 いや。


 知ろうとしなかった。


 その沈黙だけで十分だった。


 国王は目を閉じる。


 深い失望がそこにあった。


「成果を横取りしたと言うつもりはない」


 国王は静かに言う。


「だが、お前は誰が支えていたのかを理解しようとしなかった」


 会場の誰も反論しない。


 反論できない。


 数字が全て証明してしまったからだ。


 レティシアがどれほど働いていたか。


 エドワルドがどれほどそれを当然だと思っていたか。


 全て帳簿に残っていた。


 数字は残酷だった。


 感情も。


 言い訳も。


 見栄も。


 全て切り捨てる。


 ただ事実だけを示す。


 そしてその事実は、王太子にとってあまりにも厳しかった。


 長い沈黙の後。


 国王は立ち上がる。


「王太子エドワルド」


 会場の空気が凍った。


「お前は王たる資格を欠いた」


 エドワルドの顔から血の気が引く。


「父上……」


「よって本日をもって王位継承権を剥奪する」


 誰も声を上げなかった。


 歓声もない。


 ざわめきもない。


 ただ重い沈黙だけが広がる。


 その静けさこそが判決だった。


 エドワルドは椅子に座ったまま動けない。


 全てが終わった。


 ようやく理解した。


 自分が失ったものの大きさを。


 だが気づくのが遅すぎた。


 窓の外では青空が広がっている。


 一方でレティシアは静かに報告書を閉じた。


 喜びはない。


 復讐の達成感もない。


 ただ一つだけ思う。


 ようやく数字が真実を語ってくれた、と。


 それだけだった。



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