第5話 誰も来ない会議
第5話 誰も来ない会議
エドワルド王太子は、胸の奥に広がる苛立ちを隠しきれなかった。
ここ最近、何もかもが上手くいかない。
外交茶会では恥をかいた。
騎士団の装備更新では問題が発覚した。
事務官たちは暗い顔ばかりしている。
まるで自分が無能になったかのような空気が王太子宮を覆っていた。
そんなはずはない。
自分は王太子だ。
王国の未来を担う存在だ。
多少の失敗はあったとしても、周囲が騒ぎすぎているだけだろう。
そう考えながら、エドワルドは会議室の窓から中庭を見下ろした。
今日は重要な会議の日だった。
王都の有力商人。
職人組合の代表。
流通業者。
建築組合。
多くの協力者を招き、今後の事業計画について話し合う予定になっている。
レティシアがいた頃には定期的に開かれていた会議だ。
それなら自分にもできる。
いや、自分がやるべきだ。
そう思っていた。
会議室には白いテーブルクロスが掛けられ、焼き菓子や果物が並べられている。紅茶の香りも漂っていた。
マリアンヌは明るい水色のドレスを着て席についていた。
「きっと皆様すぐにいらっしゃいますわ」
彼女は笑顔だった。
「殿下は人気者ですもの」
その言葉にエドワルドも少し気分が良くなる。
「当然だ」
「私は王太子だからな」
約束の時刻になった。
しかし誰も来ない。
十分経った。
二十分経った。
三十分経った。
広い会議室には沈黙だけが流れていた。
用意された紅茶から湯気が消えていく。
焼き菓子も手つかずのままだ。
エドワルドの眉間に皺が寄る。
「どういうことだ」
バルト事務官長が困惑した顔で答える。
「招待状は確かにお送りしております」
「なら何故来ない!」
その時、執事が一通の手紙を持ってきた。
「ベルンハルト商会からでございます」
エドワルドは手紙を開く。
短い文章だった。
『本日は急用のため欠席いたします』
それだけ。
王太子への謝罪もない。
代替日程の提案もない。
まるで取引先への事務連絡のような文面だった。
「失礼な奴だ」
エドワルドは苛立った。
しかし次の手紙も、その次の手紙も似たような内容だった。
欠席。
欠席。
欠席。
誰も来ない。
本当に一人も来なかった。
会議室には重苦しい空気が流れる。
マリアンヌもさすがに笑顔を失っていた。
「何かの間違いではありませんの?」
だがバルトは黙っている。
嫌な予感がしていた。
その日の午後。
エドワルドは怒りのままに商業ギルドを訪れた。
護衛を連れ、豪華な馬車で王都中心部へ向かう。
石畳の道には商人たちの威勢の良い声が響いていた。
香辛料の匂い。
焼き立てのパンの香り。
行き交う荷馬車。
王都は今日も活気に満ちている。
だが商業ギルド長ベルンハルトの執務室に通されると、空気が変わった。
ベルンハルトは立ち上がらなかった。
以前なら必ず玄関まで迎えに出ていた男である。
「お久しぶりですな、殿下」
その声もどこか冷たい。
エドワルドは不快感を覚えた。
「なぜ会議に来なかった」
「忙しかったもので」
「それだけか?」
「それだけです」
ベルンハルトは淡々としていた。
以前のような親しさがない。
エドワルドは机を叩きそうになる衝動を堪えた。
「私は王太子だぞ」
「承知しております」
「ならば――」
そこでベルンハルトは初めて顔を上げた。
「殿下は私の孫の名前をご存じですかな」
突然の質問だった。
「何?」
「孫の名前です」
エドワルドは答えられなかった。
そもそも孫がいることすら知らない。
ベルンハルトは苦く笑う。
「レティシア様は知っておられました」
エドワルドの表情が固まる。
「去年、孫が大病を患いました」
「医師の紹介状を手配してくださったのもレティシア様でした」
「退院した時にはお祝いの花まで届けてくださった」
ベルンハルトは窓の外を見た。
「私はあの方に恩があります」
「だから王太子宮へ協力しておりました」
「恩?」
エドワルドは信じられない気持ちだった。
商人は利益で動くものではないのか。
ベルンハルトは首を振る。
「商売は人との付き合いです」
「数字だけではありません」
その言葉は妙に重かった。
ギルドを出た後も、似た話は続いた。
職人組合の代表は言った。
「娘の結婚祝いをくださったのはレティシア様です」
茶商は言った。
「亡き妻の命日に毎年手紙をくださいました」
建築組合長は言った。
「私が怪我で入院した時、見舞いに来てくださったのはあの方だけでした」
エドワルドは何も言えなくなる。
そんな話は聞いたことがない。
知らなかった。
いや、知ろうともしなかった。
夕暮れの馬車の中。
赤く染まる街並みを見ながら、エドワルドは黙り込んでいた。
王太子宮へ戻ると、バルトが待っていた。
「どうでしたか」
エドワルドはしばらく答えなかった。
そしてようやく呟く。
「皆、レティシアの話しかしなかった」
その声には戸惑いが混じっていた。
「私ではなかった」
バルトは静かに目を伏せる。
それが現実だった。
人々は王太子に協力していたのではない。
レティシアという一人の女性を信頼していたのだ。
彼女が毎年送り続けた手紙。
病人への見舞い。
結婚祝い。
誕生日の贈り物。
困り事の相談。
人と人を繋ぐ紹介。
その全てが十年かけて築かれた信頼だった。
誰も見ていなかった。
誰も評価しなかった。
だが確かに存在していた。
そして今、その信頼はレティシアと共に王太子宮から消えてしまったのである。




