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間話 少年A

 ×××




「やめてください! 強をこれ以上、傷つけないで!」


 上春咲は必死に国八馬達から強を護ろうとしていた。

 咲は正道と強が何か自分に隠し事をしていると気づいていた。


 寂しかった。


 家族なのに、のけ者にされたことが。


 秘密にされたことが。


 強にだけ優しい正道が許せなくて嫉妬した。

 だから、咲は正道達をつけてきた。自分をのけ者にしてほしくなかっただけだった。それだけだった。

 だが、現実は咲が考えるよりもはるかに過酷で残酷だった。


 強はガラの悪い連中と野球をしようとしていた。あの連中は、自分達の家の窓を割った連中だ。

 なぜ、強はそんな連中と野球をしようとしているのか? 正道は何をしているのか?


 咲は怒りで怒鳴りたかったが、様子を見ることにした。

 本当は怖かったのだ。一人で不良に立ち向かうのが。

 自分は朝乃宮千春に護られている。それはよく自覚している。

 咲は自分がどれだけひ弱か、知っている。あそこにいる連中の一人でさえ、歯が立たないことも。


 ベンチには千春以外にも、同じ委員でとても強い御堂優希、長尾順平、黒井麗子、武蔵野猛がいる。

 もし、何かあった場合、彼らが強を守ってくれるだろう。それに、義兄である正道が審判をしてくれている。

 みんなが強を守ってくれると信じていた。けれども、咲の目の前で、強が殴られた。


 もう、我慢できなかった。

 咲はその場から飛び出し、強を庇った。だが、たどり着けない。

 暴力の前では咲はあまりにも無力だった。

 泣いても、叫んでも、国八馬達はやめてくれない。それどころか、咲を見て、笑っている。


 信じられなかった。狂っているとしか思えなかった。

 これが正道や千春がいる世界。不良の聖地と呼ばれているならず者達のいる場所。

 怖い……それが咲の偽りのない本音だった。


「おい、お前。このガキの姉貴か?」

「……そ、そうです。お願い、強を離して……」

「ヤダね」


 咲の願いを国八馬は一蹴する。それどころか……。


「特等席で見せてやるよ。このガキの選手生命が絶たれるところを」


 咲の顔が真っ青になる。

 咲は知っていた。強がなぜ、野球選手になりたいのかを。

 理由を説明するべきか? そしたら、許してくれるのか?

 いや、そんなはずはない。

 彼らはきっと、笑顔で強の夢を踏みにじるだろう。


 誰か、助けて……助けてください……。


 咲は心の中で祈った。

 咲の想いを嘲笑うように、青島西中のファーストが咲を捕まえようと手を伸ばす。

 その手が咲に触れようとしたとき。


「がはっ!」

「その汚い手で咲に触れんとってくださいます? 死にたいんやったら別ですけど」

「……千春」


 千春は血に濡れた木刀を持ち、咲を青島西中の魔の手から救い出した。咲を捕まえようとした相手は木刀で鼻を殴られ、痛みで転げ回っている。

 咲は目に涙を溜め、千春の背中を見つめている。


 いつもそう。

 千春は咲の窮地に必ず助けに来てくれる。あの日の約束を護り、(たが)えたことはない。

 しかし、咲は気づいていなかった。

 千春の心の奥底にある闇を。そして、もう一人、暗い闇を抱えている者が近くにいることを……。


 千春は無言で国八馬を木刀で突いたが、国八馬はそれをかろうじて躱す。頬をかすり、血がにじみ出ているが、国八馬は獰猛な笑みを浮かべ、親指で血を拭う。

 千春は強を押さえていた相手に木刀を振るおうとしたが、すでに千春から遠ざかっていた。

 咲はすぐさま、強を抱き寄せる。


「強! ああっ……強……鼻血が出てる……止めないと……どうして……どうして……こんな目に……」


 咲はひくひくと泣きながら、ハンカチで強の鼻血を拭く。

 千春は振り返らずに、国八馬を見つめる。


「おおっ~怖っ! いきなり顔面を突くとか、容赦ないな、お前。下手したら失明してたぜ。流石は『青島の女夜叉』」

「……」

「だけどな、お前の相手は俺じゃないぜ。ほら、近寄ってくるぞ。少年Aがな」

「ぎゃあああああああああああ!」


 千春は悲鳴が聞こえた方にゆっくりと振り返る。

 そこにはチャフの腕を鷲づかみにして引きずる正道の姿があった。

 正道に掴まれたチャフの腕が赤くなってきている。百八十はあるチャフの体をぬいぐるみを引きずる子供のように者扱いしていた。

 正道の目は真っ赤に充血し、目は色彩を失ったかのように透き通った色をしている。


「離せ! 離しやがれ!」


 チャフは正道の手を叩いたり、爪を立てたりするが、正道は何の反応も示さない。

 チャフの肌の色が赤く黒くなっていく。

 千春はゆっくりと木刀を構える。本能が告げている。

 アイツは敵だと。自分の同類……いや、なにかもっと得体の知れない相手だと。

 ただ一つ言えるのは……あれが次の相手だということだ。

 千春は正道と国八馬の間に立つ。


「藤堂はん。ウチの言葉が通じているんなら、もう、やめ。強はんはもう、大丈夫やから……」


 正道は何も言わない。

 千春との距離を詰め、正道の手が千春の肩に触れそうになったとき。


 ガン!


 千春は正道から距離をとり、木刀を正道の喉元に叩きつける。顔はアンパイアマスクで守られているため、のどを狙ったのだが、正道は咄嗟に顎を引き、アンパイアマスクでガードする。

 千春は更に攻撃の手を緩めず、木刀を振るおうとしたが、正道は顎を引きつつ、攻撃態勢に入っていた。

 正道のパンチの方が速いと判断し、千春は防御に切り替えるが。


「ぐっ!」


 正道の体重の乗ったチョッピングライト(振り下ろしの右右パンチ)が木刀の柄にたたき込まれ、千春の体ごと後ろに押し飛ばす。


「えっ? えっ? どうして、兄さんが千春を殴るんですか?」

「咲! 動いたらアカン! 絶対にこちらに来てはダメ!」


 千春には分かった。

 正道はもう、怒りで正気を失っているのだ。

 国八馬の前に立ち塞がった千春を、正道は敵と認識してしまっている。

 このままだと、正道は国八馬達を血祭りに上げるだろう。処刑人のチャフを離さないのがその証拠だ。

 絶対に許さないという強い意思表示を千春は肌でピリピリと感じていた。


 千春としては、勝手にやってろと言いたいのだが、見過ごせば、強も咲も悲しむ。

 これ以上、咲が泣くのは耐えがたい。それに……咲の姉である陽菜に誓ったのだ。

 どんなことをしても、必ず咲を守り通すと。


 千春は呼吸を整え、正道を見据える。

 相手は怒りでリミッターが外れている。組み手をしてきた正道とは別人と考えるべきだろう。

 油断はせず、本気で一気に決める。

 千春は心を静め、感情を殺す。

 相手への同情は、戦いには必要ない。


「見てくださいよ! 私の想像通り、いや、想像以上だ! あれが少年Aなんですね!」

「……キミの目的はこれ?」

「そうです! あの少年Aがどれだけ強くて、残酷か? 見てみたいじゃないですか? アナタだってそうでしょ? だから、本気で止めようとしなかった」


 千春の耳に淋代波津也と橘左近の声が聞こえる。

 言いたいことはあるが、二人の会話もシャットアウトする。


 正道はゆっくりと千春に近づく。

 正道の左手はチャフの腕で塞がっている。ならば、正道の左を狙うべきだ。

 千春と正道がぶつかろうとしたとき。


「やめて! やめてください、兄さん! 千春! どうして、二人が喧嘩しているんですか!」


 咲の悲痛な叫びに、千春の集中力が一瞬、途切れた。

 大切な者の声に反応してしまったのは人としての当たり前の反応だ。

 だが、その僅かな隙を正道は逃さなかった。

 正道の巨体からは想像も付かないほどの速さで右拳が千春の胸元に飛び込んできた。千春の鳩尾に正道の拳が突き刺さろうとした瞬間、千春は木刀を割り込むことに成功した。


「っがぁ!」


 千春は小さな悲鳴をあげる。咄嗟の防御のため、木刀越しに正道の拳の衝撃が鳩尾に突き抜けた。

 一瞬、呼吸が止まり、体中にしびれが走る。

 千春は大きく正道から距離をとり、追撃を防ぐ。


 千春は舌打ちをした。

 正道は勘で動いている。

 勘とは適当な判断ではなく、積み重ねてきた経験から本能が即座に選び取る判断のため、攻撃の手が速い。

 正道は過去の喧嘩の経験、千春との対戦経歴と手合わせ、長尾と御堂との訓練等から最適解を出して、千春を追い詰めてくる。


 思っていたよりも厄介な敵だと千春は気を引き締める。

 だが。


「ったく、使えねえ女だな!」

「!」


 千春の背後に、国八馬がボールを握りしめたまま、拳を振り上げている。正道に意識を集中しすぎて国八馬を完全に失念していた。

 国八馬は体勢を崩した千春の後頭部を殴りつけようとした。

 当たる。

 千春は覚悟し、殴られた後、反撃を試みることにしたが。


「千春! いやぁああああああああああああ!」

「! その女に手を上げるんじゃねええええええええええええええええ!」


 正道の怒号と共に、黒い影が国八馬目掛けて飛んできた。

 それはチャフだった。


「「ぐあぁああ!」」


 二人はもつれ合い、地面に倒れる。


「……」


 千春は呆然としていた。正道は戦っている相手を助けたのだ。

 咲の悲鳴に正道は一瞬、正気を戻し、千春を助けた。

 それは心の奥底で家族を守る潜在意識が正道を突き動かしたといえなくもない。

 正道は千春を家族だと思っている。そのことが千春の胸を締め付けた。


 千春の想像通り、正道は変わってきている。

 最初、正道は咲達のことを厄介者としか見ていなかった。現にキツく当たっていた。

 千春は正道が咲を傷つけないよう藤堂家に通っていた。正道を監視していた。

 だから、正道の苦悩も家族のために頑張っている姿、必死に隠していたものを全て見てきた。


 痛みや苦悩を抱えながらも、前に進もうとする正道の姿が、千春にとって眩しかった。

 千春は逃げていた。実家から……あの忌まわしい出来事から……自分の名字、朝乃宮から……。

 それゆえ、正道が家族と向き合い、頑張っている姿に目が離せなくなっていた。

 特に正道が家族のために積極的に奮闘し始めたのは、千春が実家から青島に戻ってきた頃だ。

 正道は家族に、千春に気遣うようになった。

 必要最低限の気遣いはあったが、今は少しずつ打ち解けようと努力している。

 正道が嫌っている母親にも接触しようと試みていることがあった。


 なにが彼を心変わりさせたのかは分からない。ただ、そのきっかけを見逃したことを、千春は悔いていた。

 知りたい。正道がなぜ、心変わりしたのか?

 誰が正道を変えたのか?

 それに、正道が自分を女の子扱いしてくれたことに、護ってくれたことに言いようのない恥ずかしさとぎゅっと締め付けるせつない痛みを感じていた。



 正道は千春を素通りし、国八馬とチャフの前に立つ。

 正道は笑っていた。やっと、死ぬほど殴りたい相手を射程に捕らえたからだ。

 正道の脳内に声が聞こえてくる。

 その声は、正道の親友、健司と別れたときから、ポツポツと語りかけてきた。

 そして、あの日、正道はあの声に導かれて、苛めてきた相手を半殺しにした。そのときの声がまた、囁く。


 目の前の男達を殺せと。


 今、殺しておかないと、強が傷つく。

 常識と人の心がない相手にルールなど必要ない。

 正道は間違っていた。正々堂々など彼らの前では全く意味が成さなかった。


 だから、強は殴られた。剛も、倉永、島田も守れなかった。雅を泣かせてしまった。

 もう、間違えない。最初から暴力で片をつければよかったのだ。

 正道に喧嘩を売ったことを一生後悔するように体に刻み込む為に半殺しにする。


「兄さん! やめてください! もういいですから!」


 もういい? 何を言っている?

 邪魔をするな。俺はコイツらを叩きのめしたいのだ。


 正道の耳に咲の声は届かない。護るべき相手は見えていても、声が聞こえていない。

 正道が二人を処刑しようとしたそのとき……。


「!」


 横から強い衝撃を受けた。

 正道を殴ったのは御堂優希だった。


「藤堂……てめえ、何をしてやがる……」


 優希はキレていた。怒りを露わにし、正道を睨んでくる。

 正道は異物が割り込んできたことにより、笑みが消えた。優希が敵か味方か、品定めを始める。

 その視線に、優希が更にブチ切れる。


「お前……私とやる気か? ふざけやがって……ふざけやがってぇえええええええええええ!」


 優希の咆哮に正道は大きく目を見開く。

 ピリピリと肌に感じる殺気にあてられ、正道の殺気も優希に向けられ、雄叫びを上げる。まるで獣だ。

 お互い、力で相手を屈するように視線をぶつけ合い、間合いを計る。



 優希は正道の愚行を止めるために。

 正道は死刑執行を止める優希を排除するために。



 二人の拳がクロスする。

 互いの顔が大きくはじけ飛び、更に拳を顔面に叩きつける。

 打ち勝ったのは。


「……」


 正道だった。

 正道は怒りで肉体が膨張している上、顔はアンパイアマスクで守られている。一方、優希は何もつけていないし、体格の差が大きい。

 今の正道は戦闘に特化している。

 戦いに必要のない味覚や視覚の色の判断を捨て、嗅覚、聴覚、判断力を上昇させている。

 視覚も単純化させることで、大きく視野を広めている。

 肉体も、自分の拳が潰れるのもお構いなしに力を振るうことが出来る。力量の加減が出来なくなっていた。


 百九十を超える体格、喧嘩で鍛えた筋肉をフルに使って正道は戦っている。

 ただ、加減の知らない戦い方はすぐにガタがくる。肉体が悲鳴を上げ、動けなくなる。

 それでも、正道は体が動かなくなるまで戦うだろう。

 目の前の理不尽に噛みつき、殺すために。


 正道はまだ目が死んでいない、闘志が満ちているが、足にダメージがきている優希に更に追い打ちを掛けようとしたが、またもや、邪魔が入る。

 正道の無防備な背中に、強い衝撃が襲った。

 けれども、正道は一歩もよろめくこともなく、受け止める。正道を後ろから蹴ったのは、武蔵野だった。


「正道、ダメじゃん。女の子を殴るのは。俺的にアウトなんだわ、それ。だからさ、友達でも止めないとな」

「お姉様! 大丈夫ですか!」


 鼻血を出している優希に黒井麗子が駆け寄り、ハンカチを差し出す。御堂はその手を払いのけた。

 鼻血をふいたところで止まらない。痛みをコントロールし、御堂は再び戦闘モードに入る。

 御堂は乱暴に鼻を拭き、叫んだ。


「いい加減にしやがれ! 強の喧嘩に水を差す気か!」


 優希の言葉に正道はきょとんとしている。優希が何を言っているのか、分からなかった。

 喧嘩? そんなものはなかった。

 あれはただの暴行だ。尊厳も敬意もない。

 ソレを止めることがなぜ、悪いのか? 何が何でも国八馬の暴挙を止めておかなかったから、強は殴られ、選手生命を絶たれようとした。

 これはもう、喧嘩ですらない。悪質な私刑だ。


「強が戦っているのに、暴力に屈しなかったのに、お前が暴力を振るうのか! 試合をダメにするのか!」


 試合? そんなものはなかった。

 あれを試合だなんて言わせない。言わせるものか、言わせるものかと正道は激しい憎悪にかきたてられる。

 優希の叫びは正道の感情に、理性にわずかだが届いていた。

 強の名前に思考が一瞬だけ戻ってきていた。しかし、それは自分の行動の正当性を確かめるものだった。

 わずかに呼び起こされた正道の理性に、ある声が響き渡る。


「あんちゃん……」


 強の声だった。強は鼻血を流し、唇を切ったところから血が出ているが、痛みをこらえ、正道に語りかける。


「お願い……みんなの声を……聞いて……自分を見失わないで……約束を果たして……」


 約束?

 正道の記憶にある記憶が蘇る。

 それは、正道と強が交わした約束。強が願ったこと。


 強は暴力をふるわない。喧嘩もしない。

 正道は正義のヒーローになってほしい。強の代わりに正道が家族を、友達を守って欲しいと。


 男と男の約束。

 それが完全に正道の闇を打ち消し、理性を呼び起こした。

 目に生気が戻った。自分を取り戻した。


「つ……よ……し……」




 ×××

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