九話 後は任せろ その一
まるで夢を見ていた気分だ。
目が覚めると、強が上春に支えられ、立っていた。
顔は赤く腫れ、鼻血で顔が汚れていて、口の中を切っている。それでも、手は怪我していなかった。
なぜ、上春がここにいるのか? 泣いているのか?
しかも、御堂まで鼻血を出して、顔が腫れている。朝乃宮や黒井、武蔵野がいつの間にかグラウンドに立っていた。
どういうことだ?
「ちっ! くだらねえ。正気に戻ったのかよ。たいしたことねえな、少年Aも。そのまま自滅すれば手間が省けたのによ」
国八馬……。
国八馬の声を聞いた瞬間、ブチ切れた。
そうだ、コイツだ。コイツが全ての元凶だ。強を殴った張本人だ。
コイツを野放しにしてはならない。決着をつける。必ず落とし前をつける。
だが、その前に……。
俺は剛に視線を送る。
剛は雅達に介抱されている。剛達は俺を見て、怯えているみたいだ。
俺は上春に頼むことにした。
「上春、強と剛を病院に連れていってくれないか? 怪我の治療を頼む」
「えっ? ええっ……兄さん。私の声が聞こえるんですか?」
聞こえるかだと? 聞こえるに決まっているだろうが。
もしかして、あまりにも怒っていたため、上春の声が聞こえていなかったのかもしれん。
「ああっ、聞こえている。すまなかったな、迷惑を掛けて。今度、詫びを入れさせてくれ」
上春は泣きながらぷくっと頬を膨らませながらも、笑っていた。
すまない、上春。もう、大丈夫だから。後、泣かせてすまん……。
朝乃宮が上春に寄り添うように肩を抱く。二人は笑顔で見つめ合っていた。
「……まだ、やれるから……」
「つ、強! ダメ!」
強はヨロヨロと自分の力で国八馬に近づこうとするが、途中で足がもつれ、俺は慌てて強を抱き留めた。
「強! 大丈夫か!」
「……ごめん、あんちゃん……勝てなかった」
強のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
俺は強が泣いているところを誰にも見せないよう、強を覆うように抱きしめ直す。
「強……お前は負けてない。野球はみんなでやるものだろ? 後は任せろ」
それだけを伝えるのが精一杯だった。
頭が沸騰しそうなくらい熱くなり、血が逆流しそうだ。
強、任せてくれ。後は俺が引き継ぐ。
強の悔しさも、無念さも全て、俺が背負う。
「僕が強君を背負って病院に連れて行くよ。流石に四人も小学生が怪我して連れていったら、説明が必要になるからね」
左近と朝乃宮が一緒なら強と上春はもう、安全だろう。
心置きなく……やれる。
「待ってください。千春は残ってもらえませんか? 兄さんが暴走したら止めて欲しいんです。千春にしか頼めませんから」
「咲……でも、咲の安全が……」
「私が上春と強達を守ってやる」
意外にも御堂が名乗り出てくれた。
俺も朝乃宮も目を丸くした。
「なあ、御堂。お前、殴られたのか? もしかして、あのクソ野郎に殴られたのか?」
御堂は目を大きく見開いていたが、すぐに激怒し、俺を殴りつけた。
「痛っ! 何をしやがる!」
「てめえ! ぶっ殺すぞ!」
な、なんで俺が怒られるんだよ……俺が悪いのか……。
俺はショックを受けたが、御堂はとりつく島がない。後で誰かに確認しておこう。
俺じゃあ……ないよな?
もし、俺なら……いや、やめておこう。想像するのが怖い。
「麗子、お前は残れ。あの藤堂が暴走したら、どんな手を使ってでも止めろ」
「お任せくださいませ、お姉様」
いや、断れよ。なんだよ、暴走したらって。バカ呼ばわりするな。
「ははっ、後でちゃんと謝っておけよ」
武蔵野まで俺をからかってくる。
謝る? 何のことだ……と言いたい。マジで冷や汗が出てきた。
「あれ? 終わったの?」
順平が俺達の輪に加わってきた。
俺達のベンチを見ると……なんだ? 三十人ほどの青島西中の不良が倒れている。まさか、順平がやったのか?
どうして?
「話しをまとめよう。僕と上春さんと御堂……後、武蔵野君も怪我人を病院へ連れていく。残りは正道のフォローをお願い。審判も二人、必要だしね」
「お、俺も? 俺としては最愛の妹を残していくのが不安なんだけど」
「キミは怪我した女性を放っておくのかい?」
左近の指摘に、武蔵野は首を横に振る。見事にウィークポイントをついたな。
女性大好きの武蔵野が怪我した御堂を助けないわけにはいかないからな。
「分かった。俺がエスコートする」
「おい、武蔵野。御堂に手を出すなよ?」
「お姉様に指一本でも触れましたら、殺しますの」
俺と黒井の警告に、武蔵野はただ苦笑していた。この野郎、手を出す気だったのか?
ったく、油断ならないヤツだ。
「御堂……頼むな」
「……ああっ」
短い言葉を交わし、御堂達は怪我人を連れ、去って行った。上春が最後に心配げに俺を見たが、俺は心配ないと頷いてみせた。
本当は俺が強を背負っていきたかった。そばにいて、守りたかった。
俺は兄貴だから……。
けど、ここでやるべきことがある。
帰ったら、話をしよう。
「審判はどうするん? 正道は試合に出るんでしょ?」
順平の問いに俺は頷く。
「ああっ」
「それなら、二人必要だけど……」
「ウチがやります」
意外にも朝乃宮が名乗りでた。
珍しいな……朝乃宮が自分で動くのは。
俺は朝乃宮を見たが、朝乃宮は頬を膨らませ、ぷいっと顔を背けた。
なんだ? お前も怒っているのか? 俺のせいか?
「えっ? 朝乃宮、妬いてるの? まあ、御堂とわかり合ってます、みたいな空気でしていたからね。けど、意外というか……」
「長尾はん。全く根拠のないデタラメことを言うの、やめてもらえます? ウチは咲がお願いしたことを護る為に名乗り出ただけです。そこの頭でっかちのお馬鹿さんの暴走を止めるには審判でもやらんとウチの声、聞こえんと思いまして」
怖ぁ!
朝乃宮は笑顔だが、背筋が凍りそうな殺気を感じた。俺達、今だけでも仲間……じゃないのかよ。
妬いている? 何の事だ?
「と、とにかく、もう一人は僕がやるから。それでいい?」
「ああっ、頼む、順平、朝乃宮」
俺は二人に頭を下げた。
朝乃宮も順平も苦笑しつつ、頷いてくれた。
俺はもう一度、強の方を見る。強は左近に背負われたまま、動かない。
必ずだ。必ず仇をとる。アイツらに報いを受けさせる。
そう心の中で誓った。
俺がベンチに戻ると、ブルーリトルのメンバーは気まずげな顔をしていた。
剛と強の退場。俺がブチ切れて、怖いと思っていること。
それらが原因だろう。チームの空気は最悪だ。
だから、俺は頭を下げた。
「すまん、みんな。強達を護ることも出来なくて、勝手にブチ切れて、迷惑を掛けた」
息をのむ音がした。俺が謝るとは思ってもいなかったのだろう。
ただ、呆然としている。
俺はみんなに頼んだ。
「だが、この試合に勝つためにはみんなの力を貸して欲しい。俺は負けたくない。あんなクズ野郎共に頭を下げるなんて許せないし、何より、チームメイトを傷つけた。やられた分は倍返しにしてやりたいんだ」
「……そ、それは俺達も思うけど、どうするの? もう控え全員を含めて九人ギリギリだし、ピッチャーとキャッチャーがいない」
強と島田、剛がいなくなってピッチャーとキャッチャーがいないのだ。だが、ここには俺がいる。
「ピッチャーなら任せてくれ。俺がやる。いや、やらせてくれ」
「えっ? お兄さんがですか? 私、てっきりキャッチャーをやると思っていたんですけど」
奏の疑問はもっともだ。
親善試合でも俺はキャッチャーだった。ピッチャーなど体育のときに一、二度したくらいだ。後、強のキャッチボールで遊びで俺がピッチャーをしたことがある。その程度だ。
即席のピッチャーなど、国八馬達には通じないだろう。
だが……。
「ああっ。俺に作戦がある」
俺は考えていた作戦を話した。とはいっても、作戦と呼べるべきものではない。
ただの力業だ。
俺の提案に、予想通り皆が顔をしかめていた。
当然だ。俺のやろうとしていることは野球じゃない。
「私、正々堂々と勝ちたい。あんなヤツらにそんな手を使いたくない」
だろうな。正義感の強い雅ならそう言うと思った。
「だけどよ、アイツらは野球をしないんだぜ? 遊びで俺達を病院送りにしているんだ」
「だからこそよ! 私達は強君のように喧嘩しないで、野球で勝つの!」
「それでどうやって勝つつもりなの、雅ちゃん」
雅の意見に異を唱えたのは、意外にも奏だった。
奏はじっと雅を睨みながら、反論する。
「もう、エースはいないんだよ? 実力も最初からあっちが上なのに、主力メンバーが半分も欠けている状態でどうやって勝つの?」
そう、それが現実だ。実力では俺達はアイツらに遠く及ばない。
負けても、この悔しさをバネに頑張って欲しいと思っていた。
けれども、事情が変わった。
アイツらは俺達をいたぶろうとしている。これはもう、野球じゃない。
喧嘩だ。
雅もバカじゃない。奏の言っていることは分かっているのだろう。
それでも……。
「そ、それは……でも、お兄さんのやり方じゃあ……」
「でも、お兄さんのやり方は私達を守るための作戦でもある。ねえ、雅ちゃん。私達のことを真剣に考えてくれている人の意見を無下にするの? 私としては失敗する可能性が高いと思うけど、試してみる価値はあると思う。みんなはどう?」
奏はみんなに尋ねる。
俺の作戦を受け入れてくれるか?
ハッキリ言う。俺の作戦は真面目に野球をやっている、愛している者に対して、最大の侮辱だ。
その責任は勿論、とるつもりだ。
だが、なるべくなら……巻き込みたくない。俺一人で片をつけたいが、これは野球だ。チームでプレイしている。
だから、みんなの意見を、意思を確認しておきたい。
奏の……俺の意見にみんなは……。
「俺も奏に賛成」
「俺もだ!」
奏の的確な意見のおかげで俺の意見は採用されそうだ。本当に奏は聡い子だと思う。
「なら、俺の作戦でいく。うまくいく保証はないが、それでも、俺はアイツらに一泡吹かせたい」
「俺だったそうだぜ!」
「やってやろうぜ!」
よし、これがうまくいけば、すくなくとも雅達に危険はなくなる。
俺に国八馬達の悪意を向けるようにする。
「後はキャッチャーだが」
「……私がキャッチャーやるから」
雅は拗ねたように俺から顔をそらし、立候補してきた。
「出来るのか?」
「遊びでよく、強君のボール受けてたから」
「なら、決まりだな」
これで準備はできた。後はアイツらを叩きのめすだけだ。
「おい! まだ作戦会議しているのか! 無駄なことはやめて、さっさと殺されにこいや! 残り九人! カウントダウンだな! 全員処刑してゲームセットだぜ!」
国八馬の勘に障る声が聞こえてくる。全員処刑してゲームセットだと? やってみろ!
その口、騙させてやる。
「奏さん。俺がさっき指示したとおりにバットをカスタマイズしてくれ」
「分かりました」
俺はバットを握り、ベンチから出た。




