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甘い甘い、夢の味

 俺は『マッチ売りの少女』を追って、踏みしめられた雪道を進んだ。

 呼び出してもらえぬ『マッチの精』の無力感を、噛みしめながら。


 それなのに何故なんだ!?

 相変わらず突然襲ってくる闇が晴れると、俺は馬小屋にいた。

 けれどもハンナの家に先回りしたのではないと分かり、強く歯がみする。


 この一大事に俺を呼び出したのは、今朝マッチ棒を爪楊枝がわりにした『歯抜けの爺さん』だった。


「何でこのタイミングでマッチを擦るんだよ!?」

「あわわわ。とうとう神の怒りに触れてしまったのか? そうでなければワシの気がふれてしまったのか? お許しくだせぇ。どうか許してくだせぇ」

「…………」


 思えばこの爺さんも、俺が現れるなどと知りもせず、ただマッチを擦っただけなのだ。

 何の悪意があったわけじゃなし、畏怖のあまり馬の糞の匂いのする土にひれ伏すのを見ていると、自分が悪魔にでもなったような気がしてくる。


「すまなかったな爺さん。今朝の憐れみ深い行いに免じて……」

「今朝の憐れみ? な、なんのことだかサッパリ」

「……少女は旨そうに牛乳を飲んでいたぞ」

「へぇ? あの牛の小便みたいなマズイのをですかい??」


 …………なんだと!?

 こめかみの血管が二、三本切れそうになった瞬間、泥にまみれたマッチの火が消え、俺は姿も声も失った。

 爺さんは馬小屋を見回しながら、ひどく狼狽していた。

 握りこぶしが届かぬ以上、かまっている暇はない。

 一刻も早くハンナの元へ戻らなければ。


 出口を探していると、木の扉が向こうから開いた。

 従者を人払いし、煙草をふかしながら入ってきたのは、昨晩マッチを買おうとした所を俺が怒鳴りつけた、金持ちの『紳士様』だった。


「なんなんだ今朝の仕事は。やる気があるのか!?」

「すっ、すんません旦那様……確かに火はつけたのですが、川が近かったせいで火がすぐに消されてしまっ……」

「言い訳ができる立場だと思っているのか、この能無しが!!」


 こいつ……今朝の火事は、こいつの仕業だったのか!

 俺が恥をかかせたせいで、ハンナは殺されかけたというのか!?


「もう勘弁してくだせぇ。ワシぁ……」

「そうか。では借金のカタに孫娘を差し出す決心がついたというわけだな?」

「関係ねぇです!! 娘は嫁いだ家の者、孫娘とワシとは何の関係もねぇのです!!」

「だったら、つべこべ言わずに仕事をして来い!」


 紳士の旦那は、歯抜け爺の頭めがけて数枚の銀貨を放った。


「次は波止場の『キースリンガー』の穀物庫だ。その金でちゃんと油を買って行くんだぞ」

「はっ……ははっ……ひぃ……」


 キースリンガー?? どこかで聞いたような名だったが、さっぱり思い出せない。

 余裕があったら通報しておいてやろう。


「くっくっく。キースリンガーの商材を塵に変えれば年の瀬は大儲けだ……しかし、ウチだけ無傷だと怪しまれるだろう。納屋でボヤの一つでも出しておくことにしようか」


 この悪党の財産を丸ごと灰に変えてやりたかったが、今は打つ手がない。

 そして何より時間がない。


 臭い馬小屋の壁をすり抜けると、そこは見知らぬ大きな町のど真ん中だった。

 どこだよ、ここは!?



 地名も風景も分からず、誰かに道を尋ねることもできないまま、どんどん時間が過ぎていった。

 ハンナの家どころか、ようやくふりだしの聖堂の町に辿り着くころには、とうに日が沈んでいた。


 ……その間、俺は一度も呼び出されなかった。



 夜になり、ようやくハンナはマッチを擦った。

 彼女は昨夜の三倍はあるマッチ箱の籠を抱え、暗い路地裏でしょぼくれていた。

 しかもその隣には、ハンナに負けず劣らず青白い顔をした少年が、膝を抱えている。

 ……なんで俺のいない間に、増えてんの!?


 っていうか、オマエさん、司祭にスープを貰っていた今朝の少年か!?


「マッチの精さん、どうしよう……今度はこんなにたくさん、ぜんぶ売るまで帰ってくるなって」

「あぁ……これは天国からのお迎え??見た目は怖いおじさんだけど、光の色合いがこの世のものとは思えないくらい綺麗だね」

「話を聞いていたのかね? ハンナは今『マッチの精』だと言っただろうに」


 ハンナと同じ年頃の少年は、夢でも見るような目で俺を見ている。


「僕はロースト・チキンが食べたいな……」

「じゃあ私はクルミのたくさん入ったストルがいい」

「おいおい、二人そろって晩飯を食ってないのかよ……」

「今日はぜんぜんマッチが売れなくて」

「僕は家も仕事も、夢も親友も全部なくして……だからもう連れて行ってほしいんだ」


 木炭に火を移すと、少年の瞳の中で小さな炎が燃え上がった。


「僕は画家になるのが夢だったんだ。コンクールで優勝して200フランの賞金を手に入れて……偉大になって僕を冷たくした村の皆らを見返してやるつもりだったのに。……みんなが僕を見ようと村中から押し寄せてくるんだ……あれは靴下も買えないほど貧乏だった男じゃないか……それが今は偉大な芸術家で、世界中に名が知れ渡りまるで王様のようじゃないかって…………そうすればアロアの親父さんだって僕を認めて、向こうから嫁に貰って欲しいと言ってくれたに違いないんだ。コンクールで優勝さえできたなら……審査員が僕の才能を公平に評価してくれたなら……パトラシェにも金の首輪をつけてやれたはずなのに!!」


「おい。今なんて言った?」

「いつの日か、偉大な芸術家になった才能ある僕を一目みようと……」

「最後、最後の部分だけでいい」

「……パトラシェにも金の首輪を……」


「お前、『ネロ』かよ!! 犬ぬきの絵面じゃ、誰か分からなかったよ!」

「…………。」

「おいネロ……パトラッシュはどこにいるんだ?」

「今頃はもう天国だよ……今朝、聖堂教会の助祭様がわざわざお祈りをしてくれたんだ……僕を一晩中、温めようとしてくれて……だからオジサン、僕もお爺さんとパトラシェの所に連れて行って!」


「アロアの親父さんは迎えに来なかったのか?拾った財布を届けなかったのか!?」

「財布なんて拾ってないし、ましてコゼツの旦那が僕を迎えに来るはずなんかないよ。ぼくは旦那に嫌われたせいで仕事を失ったくらいなんだから。……あぁ、コンクールに優勝さえできていれば!」


 俺が干渉したせいで、こいつの運命にまで影響してしまったのか。

 フランダースの犬の主人こと『ネロ』の瞳は、夢とウツツを行き来しながら、あの世とこの世の狭間をさまよっている。

 …………。


「夢はどうするんだ。いつか聖堂の『ルーベンスの絵』を見るんじゃなかったのかよ」

「ルーベンスの絵は、今朝、助祭様がこっそり見せてくれたよ。だからもう……思い残すことは無いんだ。もう天国に行くことしか望みは無いんだ」

「ネロ君……一緒に行こう。天国にはアナタのお爺さんも私のお婆さんもいて、クリスマスの御馳走も食べきれないくらい残っていて、暖かな暖炉の前で天使の聖歌隊に聞き惚れられるはずよ」


 ……くそっ。

 放っといたら二人とも、今夜にもあの世へすっ飛んでいっちまいそうだ。


 そんな長話をしているうちに、小さな木炭の火が消えかけていた。


「ハンナ、マッチをもう一本擦ってくれ」

「…………。」

「おい、ハンナ?」


 ハンナはマッチ箱を握りしめて、凍った路地にうつむいた。


「もう火が消えそうなんだ。頼むよ」

「あと一本しかないの。どの箱も試してみたんだけど、この箱のマッチでしか魔法が起きないの……」


 この時間までハンナが俺を呼び出さなかったのは、残り少ないマッチを節約していたからだったのか。


 正直、ちょっとだけ心が揺れた。

 ずっとこの優しい少女の側にいて、幸せになるまで見守っていたいと。

 それでも俺の決意は変わらなかったし、一本あればそれで十分だ。


「ハンナ。この火が消えたら最後の一本を擦ってくれ。必ずネロと一緒にだ」

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