恥 と 貧しさ
『早く消してくれ! 中で、麦わらの山で女の子が眠りこけてるんだ!!』
いくら叫んでも、町の人々に俺の声は届かなかった。
なぜだ! こんなに火があるのに! 俺は『マッチの精』なのに!
そうだ。俺は……マッチの精だ。
ここで火に飛び込めないでどうする?
煙の立ち込める麦挽き小屋へ突っ込むと、燃えるワラに焼かれた両足から、激痛が襲ってきた。
『ハンナ! 起きて逃げるんだハンナ!!』
煙に巻かれた視界が真っ暗になってゆく。
…………ハンナ。
目が開くと、顔面蒼白のハンナが俺を見下ろし、涙ぐんでいた。
「ここは……天国か?」
「違うよマッチの精さん。洗濯場の小屋の中だよ」
「そうか……無事だったか。……良かった。本当に良かった」
「…………」
桶の並んだ小さな物置小屋で、ハンナはマッチを慎重に皿へ乗せた。
おっと、紙と木炭だな。
「私……とんでもない事をしちゃった」
「すまん……俺がちゃんと火の管理をしていれば」
「ううん。マッチの精さんは悪くないよ。私、突然ワラの布団が燃えたから、びっくりして。火を消さないで逃げちゃったの。消そうと思えばすぐに消せたはずなのに……誰かに見られるのが怖くて……逃げちゃったの」
俺を映し出す火を見る少女の瞳に、こころなしか怖いものを見るような怯えが感じられる。
「小屋を弁償するお金、いくらくらいかな。ウチ、ぜんぜんお金ないのに」
「ハンナ…………逃げる所を誰かに見られたか?」
「もうこの町には来られないかも。どうしよう」
「ハンナ……」
「だめだよマッチの精さん。このまま逃げたら私、お婆ちゃんの所に行けなくなっちゃう」
「そうだけど……そうなんだが……」
「私、今から行って町の人たちに謝ってくる」
「おい、ハンナ!ちょっ……」
木炭の火を雪に押し付けて慎重に消したマッチ売りの少女は、俺の声を無視して川辺の階段を勢いよく走り出した。
ハンナが川沿いに走ってたどり着いた時すでに、麦挽き小屋には人影が無かった。
さっきは煙だらけでよく見えなかったが、ワラを焼いただけのボヤで済んだらしい。
自首しようにも相手が見当たらなかったハンナは、そのままの足取りで町の中央へ歩き始めた。
警察だとか町長だとか、処断する権力を持った誰かの所に行くのだろうか。
ハンナが辿り着いたのは、まだ人の姿のほとんどない、聖堂前の広場だった。
そして彼女は聖堂の扉を静かに開け、祈るような表情で中へ進んだ。
「よく正直に話してくれました。火事は幸い小さなもので死人もありませんでした。さあ、聖母の祈りを10回唱えなさい」
ハンナの懺悔を聞き終えた見習い神父は、そう言っただけで彼女を断罪することは無かった。
驚きながらもハンナは何やらの祈りを10回以上唱え、懺悔の部屋を後にした。
帰り際、ベールの向こうにいた見習いの神父が、ハンナに手招きした。
彼女が通された小部屋は聖堂脇の食堂で、少年が一人、青白い顔で冷めたスープを見つめていた。
孤児院だろうか? それなら話が早い。
ハンナの窮状を知って、世話をしてくれるのではないだろうか?
「良かったら、スープの一杯でも飲んでいかないか?」
「あの……私……」
顔を耳まで真っ赤に染めたハンナは、食堂の扉を蹴飛ばすような勢いで、聖堂から走り出た。
あれか……昨晩、俺がクリス・マスでやらかしてしまったせいか?
スープを貰わなかった理由について、ハンナは一言も語らなかった。
俺は俺で何も聞かず、お詫びの品の木炭を黙々と産出した。
日が昇り、通りを町の人々が歩き始めた頃。
聖堂前の広場から少し離れた十字路で、ハンナはマッチと木炭を売り始めた。
マッチは幾つか売れたが、木炭はあまり売れなかった。
このフランデレンと呼ばれる地方は、石炭が豊富に取れるため、木炭の人気があまりなかったのだ。
それでも、こんな重い商材を持って歩くのは骨が折れると、捨て値で売り終えた時。
歯のあちこちが抜けた爺さんが、ハンナに近寄って来た。
「お嬢さん、マッチを一本、一本だけ譲ってくれんかね?」
「ごめんなさい、バラ売りはしてないの。でも試供品ならどうぞ」
そう言ってハンナはマッチを一本、すきっ歯の爺さんへ手渡した。
「あぁ、これは有難い。今ちょうど手持ちの金がなくての。お礼と言っちゃなんだが、コレと交換ということにしようじゃないか」
ボロ着の爺さんが差し出したのは、小さな瓶に入った牛乳だった。
大丈夫かこの牛乳? 腐ってたりしないだろうか?
ハンナは嬉しそうに牛乳を受け取ると、爺さんに小さく手を振った。
爺さんはニタリと笑い、マッチ棒で歯をシイシィ掃除しながら去っていった。
ハンナよ……ちゃんと匂いを嗅いで、駄目だったら捨てるんだぞ。
美味しそうに牛乳を飲み終えたハンナはマッチの籠を持ち、元気を取り戻した様子で歩き始めた。
…………。
次の売り場は、子どもの絵のコンクール会場の前か。
確かに。子連れの親ならハンナの様子を見て、マッチの一つでも買ってくれるかも知れないな。
ハンナが俺を呼び出しもせず売り子を始めたので、チラリとコンクールの会場で油を売って来ることにした。
優勝は、趣味の悪い金キラの額縁に飾られた、色を塗りたくっただけの絵とも言えない絵だった。
どうせ金持ちのボンボンが賄賂でも送って、優勝したんだろう。
それが証拠にS・キースリンガー、お前の名前なんぞ後世(前世)で聞いたこともないわ。
籠いっぱいだったマッチは、昼過ぎにようやく売り切れた。
余分に木炭を売ったはした金でパンの欠片を買い、牛乳の残りを飲み干したハンナは、空き瓶を換金するとマッチも擦らずに空に向けてつぶやいた。
「ちょっと家まで帰って、マッチを補充してくるね」
昨夜のハンナの親父の半狂乱ぶりを思い出し、俺は何とか引き留めようとした。
『ハンナ……家に帰るのはいろいろとマズイんだ。別の道を進むんだ』
けれどもハンナは町を離れ、雪の平原を村へ向けて進んでゆく。




