絵に描いた餅
マッチ売りの少女・ハンナは聖堂から少し離れた、それでも何とか人通りのある商店街で立ち止まった。
本当にマッチを売り切るまで、帰らないつもりらしい。
「マッチはいりませんかー?」
か細い声でハンナは、街ゆく人に声をかけ始めた。
販売業をしていた俺に言わせれば、大声で人目を引いてなんぼだと思うのだが。
「マッチはいりませんかー。そこの紳士様、マッチはいかがですか?」
「そうだな。この雪で湿気てなければ一つ貰おうか」
紳士と呼ばれてニヤついた男が胸ポケットから煙草を取り出し、ハンナの耳元に歩み寄った。
「どうだい、マッチ売りなんかやめて、ウチでもっといい仕事しないか?」
ハンナが試供としてマッチを擦った瞬間、俺はありったけの声で紳士様の耳に怒鳴り散らした。
「おとといきやがれ、このエロジジイ!!」
「失礼なっ!私を誰だと……」
「あぁ知ってるとも。貧しい少女を金で買おうとする変態紳士、町一番の恥知らずだろ!?」
「なん……」
「とっとと失せろ! それとも今すぐ煉獄の業火で焼かれたいのか!?」
俺は紙巻き木炭へ火を移し、顔を下から照らして睨みつけた。
急ぐ足を止めた人々が遠巻きに見始めたためか、エロジジイは捨て台詞を吐いて走り去った。
拍手も喝采もなかった。
あるものは何も見なかったように立ち去り、あるものは見てはいけないモノを見てしまったように呆けた後、黙ってマッチを買って行った。
マッチが5~6箱売れたあと、ハンナは路地裏でマッチを擦った。
「あのぉマッチの精さん。あんな事をされたら、かえって売りづらくなるんですけど」
「でもよ、あの糞エロジジイ……」
「隣の大きな町から最近よく来る有力者なの、あの人。機械で山ほど品物を作って大儲けしてるんだって」
「それを聞いたらなおさら許せん」
「でもね。相手を選んでたら売り子なんてできないの」
「いや……まぁそうなんだが」
「ましてや有力者なんかに目をつけられたら……」
裏路地に面した明るい窓から、小さな子どもが顔をのぞかせた。
大きなテーブルいっぱいの御馳走を、家族で並べて晩餐の準備をしている。
「うっ……目の毒だなこりゃ」
「当り前よ。食べられないご馳走をいくら眺めたって、虚しいだけに決まってるでしょ?」
女子という生き物はいつの時代でも、たいがい男より現実主義者が多いものだ。
やって来ない白馬の王子様を、いつまでも待ったりはしない。
いっぽう男は、いつまでたっても――
一家の主らしき髭の男が窓からこちらを見やり、勢いよくカーテンを引いた。
「くそっ。今すぐ煉獄の業火で――」
「マッチの精が路地裏で物騒なこと言っちゃダメ」
「…………。」
「『どんなに貧しくても、人を恨んだり呪ったりしちゃいけない』……おばあちゃんの遺言なの」
木炭に移り損ねた火が、しおしおと萎んで消えてゆく。
マッチの燃えカスを雪に埋め、ハンナは再び立ち上がった。
「それでも少しだけスカッとしたよ。面と向かって言えなかったけど」
……そっちからは見えなくなっただけで、俺はここにいるんですが。
その後も少女はマッチを売り続けたが、ミサ帰りの人々が街から消えて以降は、一箱も売れていない。
空一面に輝いていた星も、雲に隠れて一つも見えなくなった。
それでもハンナはマッチを売り切るまで、家には帰れない。
そう言えば俺……
この世界へ来る直前まで、クリスマス・ケーキを売っていたんだった。
2017年末、イブの激商を思い出し、俺は密かな絶望に襲われはじめた。
『ケーキはいりませんかー? クリスマス・ケーキは……ゲホッ』
足が震えるほどの寒さを堪えながら、バイト先のコンビニでXmasケーキを売りつくしたのが、午前3時過ぎ。
達成感を噛みしめながら俺は、事務所で寝落ちしたままクリスマスの朝を迎えたのだが。
条件があまりにも違いすぎる。
この時代には『使い捨てカイロ』がないとか、そういうレベルじゃない。
夜中にケーキを売り切ることができたのは、『コンビニ』があったから。
俺がガキの頃でさえ、こんな遅い時間に買い物をする習慣なんて無かった。
つまり、この先マッチを売るには朝を待たねばならない、ということだ。
現代暖房衣を装備していないハンナが、マッチを売り切るまで家に帰れない??
ブラックバイトどころの話じゃない。
このままでは物語の通り、この子は優しいお婆ちゃんに連れていかれてしまう。
再び視線が虚ろになりはじめたハンナに向かい、届かぬ声で俺は叫んだ。
『マッチを擦ってくれ! 身動きできなくなる前に! 早くマッチを!!』




