Chapter 2
翌日
また一日が過ぎた。
昼休みになる頃には、キヨシ、サトウ、セイイチの三人は、もう完全にやることがなくなっていた。
三人は一緒に座り、適当に昼食を食べながら、ぼんやりと教室を見回していた。
セイイチが突然、サトウのほうを向いた。
「なあ、サトウ。お前の父さんって、この町の警察官なんだよな?」
サトウは頷いた。
「ああ。実はまだ警察官になったばかりなんだ。前は警察官採用試験の勉強をしながら、アルバイトしてたんだよ」
サトウは小さく笑った。
「それで、なんとか受かったってわけ。結構すごいだろ?」
「おお……」
セイイチは感心したように頷いた。
そして、自然な流れで今度はセイイチへと視線を向けた。
「じゃあ、お前の父さんは?」
セイイチは一瞬、動きを止めた。
「俺の父さん?」
「ああ。何してるんだ?」
「ああ……」
セイイチは椅子に背を預けた。
「仕事だよ。主に海外関係の仕事」
そして何気なく続けた。
「家では、母さんと祖母さんと俺の三人で暮らしてる」
サトウは頷いた。
「結構普通だな」
「まあな」
そして、セイイチの視線がキヨシへと移った。
「よし、次はキヨシだ」
キヨシは瞬きをした。
「俺?」
「ああ。お前の父さんは何してるんだ?」
キヨシは黙り込んだ。
その瞬間だけ、教室の騒音が妙に遠く感じられた。
キヨシは弁当へ視線を落とした。
「そういえば……」
声が少し小さくなる。
「父さんとは、ちゃんと会ったの……もうずっと前だな」
セイイチの表情が少し変わった。
キヨシは続けた。
「何をしてる人なのかも、よく知らない。でも……たまに帰ってくる」
そこで言葉を止めた。
その表情から、それ以上話したくないことは明らかだった。
短い沈黙が流れた。
サトウはすぐにそれに気づいた。
「え、えーっと……そうだ!」
無理やり笑顔を作り、両手を叩いた。
「そういえばさ……俺、何持ってきたと思う?」
キヨシとセイイチがサトウを見る。
「何?」
サトウはニヤリと笑った。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、足元に置いていた通学鞄を持ち上げ、机の上に置いた。
開け始めた瞬間、キヨシとセイイチも興味津々で身を乗り出した。
「何持ってきたんだ?」
セイイチが小声で聞く。
「まあ、見てろって」
サトウはゆっくりと鞄の中へ手を入れた。
そして、何かを取り出した。
一冊の本だった。
それを妙に丁寧に机の上へ置く。
キヨシが見る。
セイイチも見る。
サトウが表紙を開いた。
三人はさらに顔を近づけた。
セイイチが最初の文字を指差す。
「P……」
キヨシが続ける。
「O……」
セイイチ。
「R……」
キヨシは突然、サトウを見た。
「サトウ……」
表情が真剣になる。
「お前、学校に何持ってきたんだよ!?」
サトウは慌てて両手を上げた。
「落ち着け! 落ち着けって!」
「シーッ、シーッ!」
サトウは得意げに本を見せた。
「秘密の雑誌だ!」
一瞬、完全な沈黙が訪れた。
セイイチは本を見つめた。
「でも……そこに『POR――』って書いてあるぞ!」
サトウは肩をすくめた。
「そんなの気にすんなって」
そして素早くページをめくる。
「ほら、ほら! この辺とか面白そうだぞ!」
キヨシとセイイチは顔を見合わせた。
そして――
二人はゆっくりと、もう一度身を乗り出した。
「……まあ、いいか」
セイイチが呟く。
キヨシも頷いた。
「研究ってことで」
「そうそう!」
サトウは満足そうに頷いた。
三人は、自分たちが教室の真ん中にいることを完全に忘れていた。
その時――
リーーーン! リーーーン!
学校のチャイムが教室中に鳴り響いた。
三人は固まった。
セイイチがゆっくりと時計を見る。
「ああ……マジかよ!?」
そして机を両手で叩いた。
「このチャイム! 誰かいつか盗んでくれないかな!」
キヨシはため息をついた。
「サトウ、お前のせいだぞ。もっと早く見せろよ」
「なんで俺のせいなんだよ!?」
三人は慌てて雑誌をサトウの鞄へ押し込み、その直後、先生が教室へ入ってきた。
こうして、昼休みは終わった。
午後の授業は長かった。
一時間。
そして、また一時間。
さらに、もう一時間。
やがて――
最後のチャイムが鳴った。
リーーーン! リーーーン!
ようやく学校が終わった。
キヨシ、サトウ、セイイチの三人は荷物をまとめ、教室の入り口付近に集まった。
いつものように、三人で一緒に帰る。
毎日、三人が使うのは東門だった。
学校帰りにほとんどの生徒が利用する、いつもの帰り道だ。
門の先は、約七百メートル先にある長野町の大通りへと繋がっている。
午後になると、そこにはたくさんの生徒が集まっていた。
何人かで歩きながら帰る生徒。
自転車に乗っている生徒。
宿題やゲーム、先生の話など、思いつくままに大声で話す生徒たち。
そこは混雑していた。
騒がしかった。
そして――見慣れた場所だった。
しかし、学校にはもう一つ門があった。
北門。
東門とは違い、そこを利用する生徒はほとんどいなかった。
その先には、やがて妻籠と長野町へ続く道へ繋がる、古い土の道があった。
門そのものに、特別変わったところがあるわけではない。
ただ、古びた金属製の門が、風化した柵に囲まれているだけだった。
それでも、学校側は昔から、その門について妙に厳しかった。
生徒は北門を使用してはいけない。
理由は説明されない。
例外もない。
生徒が尋ねても、教師はいつも同じ答えを返した。
「東門を使いなさい」
それだけだった。
そして、いつの間にか誰も尋ねなくなった。
それでも……
北門には、どこか不気味なところがあった。
放課後になっても、そこに生徒が集まらないからかもしれない。
あるいは、学校のその側だけ木々が異様に密集していて、午後の日差しさえも遮っているからかもしれない。
もしくは――
その静けさのせいかもしれない。
学校中が何百人もの生徒の声で満たされている時でさえ、北門の周辺だけは妙に静かだった。
まるで、音そのものがそこへ届く前に止まってしまうかのように。
キヨシも、何度かそれに気づいていた。
だが、誰にも話したことはなかった。
セイイチも同じだった。
そしてサトウは――
ただ、そのすべてを面白いと思っていた。
三人が学校を出ようとすると、セイイチは混雑している東門へ目を向けた。
すでに門の外には、生徒たちの長い列ができ始めている。
セイイチはため息をついた。
「ああ……毎日、あの東門を通らないといけないのかよ」
そう言って、通学鞄を持ち直す。
「いつも混んでるんだよな」
サトウも東門を見る。
「そうだな。みんな一緒に帰るから、時間もかかるし」
すると、サトウの視線がゆっくりと別の方向へ移った。
北門へ。
表情が変わる。
そして、小さな悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なあ、キヨシ……セイイチ……」
二人がサトウを見る。
「何?」
サトウは、校舎の反対側へ顎を向けた。
「今日は北門から帰らないか?」
キヨシの目がすぐに北門へ向いた。
北門は、学校の敷地の端にひっそりと立っていた。
静かだった。
誰もいない。
古い金属の柵には、ところどころ錆が浮かび、片側のフェンスは伸び放題の雑草に飲み込まれている。
その向こうには、細い土の道が続いていた。
生徒は一人もいない。
本当に、誰も。
セイイチはしばらく北門を見つめた。
「でも、学校から使っちゃダメだって言われてるだろ?」
サトウは肩をすくめた。
「そうだけど?」
「じゃあ……なんでそんなこと言うんだよ?」
サトウの笑みがさらに大きくなる。
「だって、使っちゃダメなんだぞ?」
キヨシは短く笑った。
「それが理由なのかよ?」
「もちろん!」
サトウは鞄を肩に掛けた。
「それに、最悪でも何か起きるだけだろ?」
キヨシは呆れたような目でサトウを見る。
「それ、何か起こる前の人が言うセリフだろ」
セイイチが笑った。
「まあまあ、キヨシ。土の道を通るだけだって」
キヨシはもう一度、北門へ目を向けた。
その瞬間――
木々の向こうで、何かが動いたような気がした。
影。
それとも、ただの枝。
キヨシは瞬きをした。
何もない。
「……分かった」
セイイチが笑った。
「じゃあ、決まりだな」
しかし――
北門は閉まっていて、門そのものも錆びついていた。
そこで三人は、東門へ続く道の途中から、木々の間を抜けられる小さな隙間を見つけた。
しばらくの間、他の生徒たちが全員通り過ぎるのを待つ。
やがて、人の姿がほとんどなくなった。
セイイチが周囲を確認する。
「おい、みんな。ここなら入れると思うぞ」
セイイチが指差したのは、木の枝や雑草に囲まれた小さな隙間だった。
「うわぁ……」
サトウが目を輝かせる。
そこは人が一人通れるほどの狭い場所だった。
だが、よく見ると自転車一台くらいなら通れそうな空間が残っている。
三人は慎重にそこを通り抜けた。
枝が制服に引っかかりそうになる。
草をかき分けながら進み――
ついに三人は、北門の向こう側へ出た。
そこには――
古い土の道が広がっていた。
北門は、三人が立っている場所から少し離れたところに見えている。
三人はそのまま歩き始めた。
サトウが周囲を見回しながら言った。
「ほらぁ……ただの普通の道じゃん!」
そして、楽しそうに笑う。
「全然怖くないぞ。景色も結構いいしな~~」
セイイチも周囲を見渡した。
「おお……確かに。思ってたより怖くないな……」
そして、少し嬉しそうに言った。
「なんか、新しい道を見つけたみたいだな」
三人はそのまま、土の道を進んでいく。
木々の間から差し込む午後の日差し。
静かな風。
どこか懐かしいような、森の匂い。
少なくとも今のところは、何もおかしなことは起きていなかった。
――その時。
サトウが、ふと妙な質問をした。
「なあ、お前ら……」
二人が振り返る。
サトウは北門のほうを見ながら、意味ありげな表情を浮かべた。
「なんでこの北門が閉まってるのか、知ってるか?」
その口調には――
まるで、何かを知っているかのような響きがあった。




