─ 小さな友人─
服を着替えてくるように言われて、向かう先は彼女が経営する隣の診療所だ。
邸の一階から診療所に繋がる鍵付きの扉があり、宏朔はそこから直接リシェルの診療所へ出向く。ガーゼや点滴など彼が触れてはいけないものも多くあるが、そんな彼にリシェルはとある仕事を任せた。
「待合室の整理?」
「ええ。掲示期限の切れた広告を外すだとか色々……本当は二人でやる仕事なのだけれど、今日は朝から急用で一人来られなくなったの。仕事内容はもう一人に訊けばいいから、あとよろしく」
リシェルはそう言い残しバックヤードに繋がる扉に手をかける。宏朔は少し戸惑い、自分の聞き間違いかと思い、彼女に声をかけた。
「了解っス。……ところでもう一人というのは?」
「ほら……アナタの隣にいる子」
宏朔は視線を横にやるが、そこには壁に張られた広告しかない。
「ん……?」
「ちょっと貴方、失礼ではなくて⁉」
可愛げのある声に視線を下げると、そこには紺色をしたチュニックとパンツのセットアップを着た少女が、彼を恨みがましそうに見上げていた。
プラチナブロンドの髪をツインテールにした、どこか高貴ささえ感じる少女。ヘーゼル色をした瞳には子供とは違う確かな大人の知性を感じさせるが、声とその童顔は、その認知を中学生レベルにまで歪めてしまうほど可愛げのあるものだった。
「お嬢ちゃん迷子かい? 親御さんは……」
「ハッ倒しますよ?」
眉を顰めて宏朔を睨みつける少女。そんな彼女に目線を合わせるように、宏朔は義足の膝を軋ませながら折り、しゃがみ込んだ。
「冗談っス。名前はなんて言うんスか?」
「……それより、私は立派なレディなんですから。子供扱いは止めてください」
奇妙に足元をふらつかせる宏朔に、彼女は自然体で努めようと極めて冷静な装いで目を眇めた。
「それは失礼しました。お名前を伺っても?」
「紳士なら、まず自分から名乗り出るものではなくて? あと、普通に立って貰って結構ですから。目線とか合わせないで結構ですので」
プルプルと拳を震わせる彼女を見て、宏朔は口元を抑えて笑いを堪える。そしてプルプルと膝を震わせ、義足の重心を探りながら立ち上がると、改めて自己紹介をした。
「鶴ヶ峰宏朔っス。芸名なら、フランケン・コウサクってのもあるっスよ。よろしく」
「芸名って……貴方コメディアン?」
「違うっスよ? 職業不定っス」
二人の間に生ぬるい風が通り抜けた。
「不定って……けど、先ほどリシェル先生と一緒の扉から出てきましたよね。……まさか、リシェル先生のとこに住み着いたとかいう、噂の“ヒモ”って貴方のことですか?」
自分より先によからぬ事前情報が流布されている件について、返答を差し控えたそうな宏朔。あながち間違いでもないのが、彼にとっては質の悪い冗談だった。
「……訳あって居候させてもらってるっス。あくまでも“小間使い”なんで、ヒモほど上等な肩書きでもないっス」
「ヒモを上等という時点で、底の浅い方のように聞こえますよ。言葉を改めた方が良いかと」
「ハハッ、手厳しい。分かりました。直すっス。……それで名前は?」
「クラリス・ベルモントです。聞き分けの良い人は嫌いじゃありません。さっ、早速仕事に取り掛かりましょう」
最初に任されたのは、待合室に張られた古い広告の張り替え作業だ。
チェックリストを渡され、リストに名前のある広告を取っては、その場所に新しい広告を張り付けて行く。天井にも広告が貼り付けられているから、脚立を使って張り替える必要があった。
『んっ……』
義足の爪先が段を探るのに一拍遅れる。危なげなく脚立を上りきると、天井の広告張りに着手した。
脚立の上から作業の合間に受付カウンターへ目をやると、すでに電話応対からカルテの整理まで、クラリスは一人で淀みなくこなしていた。
『……小さいから、狭い場所でも小回り利くのかな……? 関係ないか。出来る人間は、どんな体でも出来るよな』
素直に感心する宏朔だが、その視線に気づいたクラリスは片眉を上げてこちらを一瞥する。
「見てないで手を動かしてください。開院時間はもうすぐなんですからね」
「はいよ。丁寧なのに仕事速いっスね。こりゃ、リシェル先生も大助かりだ」
「口を動かす暇があったら、作業を続けてください」
「……ハハッ、手厳しいっスね。すみません。ただ、あまりに手際がいいので感心しちゃって。作業が完璧に終わるまで黙ります。その代わり、この広告がバッチリ貼れたら、少しお喋りでもどうっスか?」
「はいはい……全く、新手のナンパ男ですね……」
キッチリと注意された宏朔は、大人しく手元に向き直り、平たい籠から新しく丸められた広告を開いて、天井に貼り付けた。
『医薬品の広告に……葬式の広告……それになんだこれ、高齢者用の尻尾の広告?』
張り替えられた広告を見て、首を傾げる宏朔。邸の外の世界ではそんなものが流行っているのかと、広告を見つめる。
写真に写った老人の腰には、足ぐらいの太さのプラスチック製の尻尾が付いている。売り文句には『軽い!』『安い!』『安定する!』の三拍子が並んでおり、『還暦のプレゼントにもオススメ!』と書いてあった。
予告通り完璧に仕事を終えたので、さっそくクラリスに訊いてみる事にした。
「何すか、あれ」
「……新型装飾尾の広告ですね。体のいい遺産回収システムですよ。足腰の悪くなったお金持ちのお爺さんお婆さんに売りつけて、いつまでも元気に外で動きまわって貰おうって、ことですよ」
「ほう……? 爺さん婆さんが尻尾をつけて大はしゃぎ……っスか」
宏朔の頭の中では、ケツ穴に尻尾をさして笑う老人たちの奇怪な光景が映し出されていた。
「喜ぶもなにも、ないと家から出られないじゃないですか」
さも当たり前の常識みたいに、クラリスは訊き返す。そこで初めて宏朔は、この世界には尻尾をつける習慣があるらしいことを知った。しかしそうなると、ミルツェラやリシェル、それにクラリスが尻尾をつけていないのが不思議に思えてくる。
「リシェル先生は尻尾をつけてないっスよね」
「何変なこと言ってるの? 外出時はみんなつけて出るでしょ。でなきゃ死にますよ?」
「あ、ぅん……そう、だね」
衝撃の事実に、宏朔は思わず呆然と口を開けてしまった。
彼女は今何といったか。
『し……死ぬ? 尻尾をつけてないと死ぬって、重めなジョークがお好き何スかね?』
宏朔は戸惑いを隠しながら作業を続ける。張り替えは恙なく終わりはしたものの、疑念は残ったままだ。
『いや待てよ……。もしやこの世界、外は合法的に猫尻尾とか生えてる女子が歩いてたりするのか? だとしたら行きたい……早急に……!』
宏朔はケモナーというわけではなかったが、そんな存在が一般道を闊歩しているのなら、見てみたくないといえば嘘になる。
逸る肉欲を抑えて機会を望む彼だが、しかし実のところ彼が外に出たことは今まで一度もなかった。
なにせミルツェラ邸には一切の『窓』がない。唯一といっていい二階の天井にも、緑色に光る悪趣味な採光窓が一つあるだけ。彼は未だ、外の景色を見たことがなかった。
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