─ 思い違い ─
広告の張り替えを終え、そのあともいくつか雑務をこなしているうちに、時間はあっという間に朝の7時を過ぎていた。
開院は7時半から。
それまでに正装をしていない宏朔は、退室しておく必要があった。
「ふぅ……」
辛うじて仕事は全て終えていた宏朔は、受付をクラリスに任せ、ミルツェラ邸に戻ることにした。
「最後に……こっちの重い水を運んでもらってもいいですか?」
「ん? ……遠慮しないで任せて下さいよ、なんでもやるっスよ?」
「……な、なんかタダ働きさせてるのが申し訳なくって。ごめんなさい」
「良いっス、良いっス。こっちも良いトレーニングになるんで」
蒸気で動くウォーターサーバーに重い水の入ったタンクを追加し終わると、最後に水が出るか、冷水側のバルブを捻った。
出て来た水を紙コップで受け止めると、
「よし。問題なし」
紙コップに入った水を一杯飲み干して、クシャと握り潰した。
「───それじゃあ、クラリスさん。お仕事頑張って」
宏朔に反応するように、クラリスは窓口から小さい体を乗り出して頭を下げた。
「コウさんもお仕事探し、頑張ってくださいね」
「ハハッ。こりゃ一本取られたっス。……それじゃ、またね」
「また来てくださいね」
「困った時はまた手伝いにくるから。重いものとか、困ったら言って欲しいっス」
バイバーイと手を振って、宏朔は別れを告げると、ミルツェラ邸に繋がる扉へ向かった。
待合室を横切るその道すがら、外界と診療所を隔てる三重扉の前を通りかかる。
───ふと吸い寄せられる視線。
近寄ると、なぜか産毛が逆立つような気がして、宏朔はすぐにその扉から離れた。
『な、なんだ……?』
無意識に後ろへ下がると、
「おわっ!」
ドシン。
瞬間、足が絡まって宏朔は後ろに尻もちをついてしまう。
「アイテテテ……」
お尻の痛みに悶えるのも束の間、転んだ衝撃で左足が取れてしまう。
「あらら……」
宏朔は繋ぎ目を抑えながら立ち上がろうとするが、片足では立つのに心もとない。
なんとか壁のある側へ這って移動する必要があった。
だがそこへ、異変を感じたクラリスが出てきた。
「何か凄い物音しましたけど、って、……コウさん?」
「あっ、ゴメン。転んだだけ」
「……」
宏朔の取れた足を見て、唖然とするクラリス。
それまであまりにも自然に振る舞っていたせいで見逃していたが、宏朔の体の異常に、彼女は今になってようやく気づいたようだった。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「ビックリさせちゃったっすね。だいじょうぶっスよ。手、貸してもらえる?」
なぜか自分より慌てているクラリスを見て冷静になった彼は、彼女に手を借りて、何とか立ち上がることができた。
「ごめんなさい、まさか義足だなんて……」
「え? ジブン、なんか謝られるようなことされたっけ?」
宏朔が訊き返すように顔を向けると、クラリスはハッと息を呑んで口ごもる。
「……う、ううん。そうですね、ごめんなさい。なんでもないです」
「そうっスか? じゃあ……その、とりあえず足を返して貰えると───」
「あっ、ハイッ! どうぞ!」
押し付けられるように義足を手渡されると、宏朔はそれを脇に抱えて一礼した。
「どうも。ありがとうね。それじゃあまた」
「え、ええ。また……」
小さく手を振るクラリスの視線がどこかチクチクとして、宏朔には痛かった。
『怖がらせたかもしれないっスね……』
そんなことを思いながら、宏朔はミルツェラ邸に続くドアノブを捻った。
◇
邸へ戻ると、丁度一階の玄関でサンダルを脱いだミルツェラと鉢合わせした。淡いミントグリーン色の髪が、ピョンピョンと跳ねている。
寝起きなのは間違いないようだった。
ジャージメイド姿にヤブイヌのスリッパを履いて、手には水滴のついた、黒く平たいカバーケースを抱えている。
「えっ。足折れたの? まじ? ウケる」
食べかけのチュッパチャップスを口から出して微笑うミルツェラ。低血糖なのか、朝は笑い方も大人しい。
「ちょっと転んで外れたんスよ」
「へー……アホだねぇ……」
”これはこれで、あんまりな対応だな……”と宏朔は思いつつ、ミルツェラの抱えているものに視線が動いた。
「それ、外からきたものっスか?」
「あぁ、そう言えば記憶ないんだっけ? これも忘れるなんて難儀だねぇー。これはね、〈朝刊レコード〉っていって、"朝レコ"とかって呼ばれてる情報媒体。朝のニュースとか、バラエティー番組とか。全部コレに入ってんの。一緒にみる?」
宏朔はもちろん、と頷いた。
外の世界の情報は、今の彼にとって貴重な資源だ。
「だったら朝食は任せた。もちろんあんたとウチのね。出来たらリビング来て。それまでに私が番組選んどくから」
ミルツェラはカバーケースの水滴を払い、リビングへ向かった。
『労いで椅子とか持ってきてくれてもいいと思うんだけどなァ……』
片手に抱えた義足を一瞥したあと、宏朔はどこかにソファがないかと辺りに視線を巡らせると、締まり掛けの玄関先に垣間見えた、奇妙な長い尻尾に意識が向いた。
「そういえば博士、博士って尻尾ってつけたことあるっスかー?」
少し声を張って訊いてみた。
すると、遠のいていた彼女の足音が"トトトトトッ"と、戻ってきた。
レコードを置いて来たのか、少し焦ったような顔つきで───
「ま、まさか尻尾まで忘れた、なんてこと言わないよね? 命に関わるから、嘘はつかないでよ?」
焦りの滲む目でミルツェラは宏朔を睨んだ。
「ほ、本当に知らないっス。尻尾ってなんスか」
「……アンタって本当に異世界人?」
「そうっスよ? ……あと足はめるんで、椅子持ってきてくれません?」
宏朔が尻尾の存在すら知らないことに、彼女は"えぇー嘘でしょー……信じられない"と小声で漏らしながら、椅子を探しにリビングへ歩いていった。
少し書き方を変えてみました。
読みやすくなっていれば幸いです。(=゜ω゜)ノ




