─ 青い空 ─
『なんなのアイツ……本当に別の世界から来たなんて言う気?』
椅子を片手に、玄関先へ戻るミルツェラ。疑念の対象は、記憶喪失の義足野郎に向けられている。
『……そもそも空から落下してくるなんて、普通に考えてありえない。ないない、ないったらないの!』
彼女は思い出すだけで頭を抱えたくなる。宏朔は外にいたにもかかわらず、尻尾をつけていなかった。つけずに、あの空から落ちてきたのだ。
『……だから彼は何かを隠している。絶対に。それが分かるまで、私が観察しないと』
彼女は片足で立つ宏朔の下へ駆け寄る。彼の秘密を一つでも暴くために。
◇
宏朔は椅子に座り義足の固定をしていると、ジーっと、熱視線を送られていることに気づいた。
「な、なんスか……教えられた通り、義足は付けてるでしょ?」
彼女は顔を上げた宏朔と目が合うと、クルリと向きを変えて玄関へ向かった。
ボソリと、「命がけのミッションだったりするのかな……」と零して。
「そんなに大変じゃないっスよ?」
「え? 何か思い出したの?」
「いや、義足つけるのって話っスけど……」
「あそう。そうだよね、そう簡単に尻尾は出さないよねー」
「なんの話っスか。こっちじゃ尻尾は装着するもんなんでしょう? 早く教えてくださいよ」
宏朔は今まで一度も立ち入りを許されていなかった玄関先へ向かった。
扉の前に立った途端、寒気のような鳥肌が走った。ここから先へ立ち入る覚悟はあるか、それを宏朔に問い質すかのように。
「ううぅ……なんか、ゾワゾワするっス」
「外に出るのに、軽いPTSDになっててもおかしくはないかもよ。死にかけたわけですし?」
ミルツェラは扉の右上にあるランプが青くなっていることを確認し、グレモン錠に手をかけると、重い扉を引いた。一方で、宏朔はその扉の上部に業者が貼ったのであろうシールを見て、あることに気づいた。
「これステンレス製っスか? 重くないっスか」
透視で扉の中身を確認すると、内部には高密度防音ウレタンが入っているのが見えた。
「うるさいのは我慢できないの。ほら、早く入って」
扉の先は、電子部品を扱う工場によくある、静電気を取る前の準備室のようだった。奥にはガラス張りのエアロックが見えた。
「玄関広いっスね。車入りそうっス」
「色々と家から持ってくるのは億劫でしょ? ココで一通り準備できるようにしてんの」
冷風が肌を撫で、かすかに金属とオゾンの匂いが鼻腔をくすぐった。森で滝の近くにやって来たような、人工的であるのに、どこか神秘的な空気感に胸が浮き立った。
壁にはアナログな壁掛け電位同期メーターが設置され、真鍮製の針が揺れている。何のためかと宏朔が訊けば、「電位差がないか調べるためよ」と端的に返ってきた。
それからミルツェラは、箱に入った香水のボトルのような小型の器械を二基取り出すと、腰の両脇に装着した。
「なんスかそれ」
「何ってイオンブロワーだけど……あぁ、そっか。これもなのね。……まぁ、こっちはまた曇りの日に説明してあげる。晴れの日はお呪いみたいなものよ。今はそれより尻尾の説明でしょ?」
厚手のコートの他に掛けられた機械式の尻尾を見て、宏朔は頷いた。
「……にしても色んな種類あるんスね」
彼女の尻尾は黒いリスを模した見た目で、遠目には剥製にすら見えるほど精巧なフェイクファーだ。
彼女は上機嫌にベルト棚から、ベルトを二本取ると、一本を宏朔に手渡した。
「これつけて。ウエストは……たぶん大丈夫でしょ」
渡されたベルトを腰に巻くと、丁度後ろに尻尾を取り付けるためのコネクタがくる。
どの尻尾も付け根の形は同じのようだ。
彼女は先に黒リスの尻尾を装着し終えると、くるりと一回りして見せた。
「可愛いでしょ」
「めっちゃ似合ってるっスよ」
「だよね。知ってた」
得意げに胸を張ると、宏朔の分として、予備の白い尻尾を寄越した。
「こっちのモチーフは何なんスか?」
「えーとなんだっけ。オコジョだったかな」
「オコジョ……?」
宏朔はパッと思い浮かばなかったが、多分可愛い生き物なのだろうと思った。
「尻尾装着っと、どうっスかね」
無機質な樹脂のコネクタに背中が触れた瞬間、宏朔は思わず身震いした。
「どう、重くない?」
「ちょっと重いっスね……」
蒸気がベルトから供給されず、カウンターウェイトが正常に機能していないようだった。
「ちょっと捻って見て? ───これでどう?」
カチカチッ……
一瞬で尻尾が体の一部のように馴染み、軽くなった。どうやら嵌め込んだあとに、回転させるとスイッチが切り替わる仕様らしい。
「おぉ、軽くなったっスよ。コルセット巻いてるみたいで、腰回りがめっちゃ楽っス」
「オッケー。じゃあ外へ行こうか」
いつの間にか身につけたスカーフマスク越しに振り返るミルツェラ。素性を隠すためのものだろうと、宏朔は察した。
「それも必要っスか」
「これはメイクしてないから……誰にも会わないと思うけど、一応ね」
そう言って彼女はマスクで鼻まで隠した。
「なによ」
「美人は大変だなって」
ミルツェラはおどけた口調の彼を、少し顎を上げて見上げるように睨んだ。
「嘘つけよ……どうせ子供っぽいとか思ってるんだろ。ったく。失礼しちゃう」
装着を終えた二人は、エアロックに入った。
「ココで外との電位差を調整するの」
そう告げると、彼女は三枚目の黒真鍮とタングステン網で作られた扉を開いた。
宏朔はその間、宇宙に出るでもないのに、無意識に息を止めていた。
なぜかは分からない。でも、機械の心臓が痛いほど早鐘を打つ。
『なんでだ。なんで、こんなに胸が騒がしいんだ……?』
ギギギ。
重厚な扉が開く。
「───!」
「どうかした?」
「あ、ああ、あああ……嘘だろ……」
溜め込んでいた息が、宏朔の口から漏れ出た。
目を見開いた先にあった空。
青い青い、どこまでも続くはずの青空が───全てが緑色だったからだ。
「み、どり……色……」
青空など欠片としてなかった。帯電した雲が幾重にも垂れ込め、その隙間をオーロラの帯が翡翠の尾を引いてどこまでも流れていく空が広がっていた。
緑に塗られた絵画に迷い込んだような現実感のなさに、宏朔は思わず足元の地面を踏みしめた。
「オーマイガー……」
「なにその顔……まさか空の色まで忘れたの?」
ミルツェラが呆れたように口にする言葉も、もはや彼の耳には届いていなかった。
「青じゃなくて……緑……か」
「ちょっと、本気で驚いてるの……?」
言葉もない、という様子で空を見上げて口を開ける宏朔に、ミルツェラは半笑いで、内心頭を抱えたくなる。
『……駄目だわ、本当に私もアンタが異世界人って信じ始めてる。まさか空すら知らないなんて異常者にも程があるでしょ。……まさか実は地底人だったりして?』
地底なら電気も使えるし、異世界から来たと言われるよりは、説得力があるのでは? 本気で彼が地底からやってきたのではないかと疑い始めるミルツェラ。
一方で宏朔は、これまで居間の窓から差し込んでいた燐光が、偽物ではなく本物の光であったことを思い出していた。
『悪趣味なライトかと思っていたら、世界が緑色だったなんて……誰が思うんだよ』
しかしこの現実を受け入れるのならば、なぜ邸が丸いのか。
なぜロケットを知らないのか。
なぜ複数の扉を挟んで移動するのか。
なぜ扉の前で鳥肌が立ったのか。
なぜ外に出るのに尻尾をつけなければならないのか。
無数のwhyが少しずつほどけていくような気がした。
そしてどうやらここは異世界らしい。
次回は金曜日に。それではまた。




