─科学の街へ行こう─
「街を案内するわ」
早朝、リビングで端を発したのはミルツェラだった。
「リシェル先生は『一年外出禁止』って言ってたっスよ?」
「そりゃ私だってできる事なら、ずっと家の倉庫に押し込めて置きたいけどさ。煩いんだもん。アピールがさ」
リビングの机には、宏朔によって広げられた様々な雑誌が散らばっている。
散らかした張本人は、新しい工具に赤ペンで丸を付けては、紙の端を折って畳んでいく作業を止めようともしない。
「……はて」
ジブン欲しがりません、出るまでは。という文字が、宏朔の顔に浮かび上がっているように見えるミルツェラ。
呆れて溜息が漏れた。
姑息な手で遠回しにおねだりをしてくるこの大型犬に、痺れを切らしたのだ。
「あんた、居候の身でおねだりまでして恥ずかしくないの?」
「……何のことでしょう」
「チッ……。正直に白状しなさい。そうしたら一つだけ買ってあげる」
「えー……じゃあ、この尻尾を!」
「誰が欲しいもの白状しろって言った? アンタのしていた狡猾な手法について、自ら告白し、悔い改めるつもりがあるか訊いてんだけど?」
「……尻尾があれば外壁塗装が剥がれたとか。ファラデーケージが壊れたとか。そう言う場所の修理にだって、今じゃいけないっス。外注したら高くつくっスよ」
「つまり尻尾を手に入れて外を出歩きたいってわけだ?」
「……ジブンはいつだって博士のためだけ動くっス。滅私奉公の極みっス」
「ウソくさっ……というか、アンタって胡散臭いって言われない?」
「別に阿諛したくて言ってるんじゃないっス。そもそも、そんな酷いこと、記憶によれば初めて言われたっスよ。ジブン悲しいっス」
「記憶喪失がなに言ってんだか……たく。準備しなさい、下の通りぐらいなら案内してあげるから」
「お店あるっスか?」
「はいはい、あるっスあるっス。アンタみたいなヲタクが好きそうな、フルマップとか、アニマートとか虎穴堂とか。ぜーんぶあるんだから」
「おぉ、なんか聞いたことあるようでない店舗名ばかり……。やはり異世界っスね。自分的にどっちかって言うとセ○ストとか、コ○ナンとか、そっちの方が嬉しいっスけど」
「なにそれ何処だよ……聞いたことない店ばかりだわ」
「実は博士が世間知らずで、本当はある説をジブンは推すっス」
「はんっ、なわけ……ありそうなのがショックだわ……。確かに私は研究ばっかりだけど、それでも一応外にもでます……からね、一応?」
「そこで自信無くすのは、もう筋金入りじゃないっスかね」
薄い髭を剃って眉毛整えて後は髪の毛をちょっと遊ばせたら、それで宏朔の準備は終わった。
思えばこの世界に来てから、単純に「出かける」というだけの用事は今回が初めてのこと。柄にもなく浮ついている自分に気づいて、宏朔は誤魔化すように緑茶を啜った。
後は忙しなく階段を往復する彼女の動きを、リビングで待つこと一時間と三十分───。
玄関に現れたのは、いつものジャージメイド姿のミルツェラではなかった。
黒を基調としたドレスの腰には、赤い革のベルトのようなものが幾重にも編み上げられて締まっている。留め具の並びを見るに、あれもきっと脱ぎ着に手間のかかる代物だ。裾は幾層にもフリルが重なり、肩口には真っ白な毛皮があしらわれている。足元は白黒の太い横縞のハイソックスが膝上まで伸び、先には赤い靴。
いかにもなお嬢様がそこには立っていた。
「お出かけの服。めっちゃ似合ってるっスね」
「は?」
眉を顰めるミルツェラ。
なにかまた打算的なことを考えているのではないか、という疑いの眼差しだ。
「ちょ、なんで怒るんスか」
「……アンタが変なこと言うから」
無理もない。先ほどまでカタログ攻撃を仕掛けていた男の言葉だ。どんな意図が込められているか、分かったものじゃない。
しかし宏朔にしてみれば、普段の芋ジャージのギャップで、彼女がちゃんとオシャレが出来る人間なのだと知った驚きの方が大きかった。
「似合ってるは、別に変な事じゃないっスよ。ジブンと出かけるのに、おしゃれしてくれたんでしょ? ありがとうござい、ます」
宏朔は軽く頭を下げた。
「外出る時はいつもこの恰好だし。別にアンタのために特別じゃないから。ご愁傷様」
「そうなんスね。外に出る時はじゃあ、大人っぽい感じで」
「別に。外見だけ大人なだけで、中身はそんな大人じゃないし……」
「いいんじゃないスか。……中身まで大人びてたら、ジブンの出る幕がないっス。言いわけしてるぐらいが可愛げあって良いっスよ」
「はぁ?……なにそれ……意味わかんない」
ギュッと握りしめられた拳と、紅くなる耳。むず痒い空気に思考が占領されるミルツェラに、宏朔は一度リズムを整えるように話題を切り替えた。
「……それで? 今日はどこに行くんスか?」
「……色々見て回ろうよ。それで、なんかいいお店あったら入る感じで」
つまり、行き当たりばったりのぶらぶらだ。
「ふーん、了解っス。それじゃあ行くっスかー」
「ちゃんと予備の白尾、つけなさいよ? それに今日は曇りだからイオンブロワーもいるから。それつけるのも忘れずにね」
イオンブロワーとはなんぞや───などという質問より先に、彼女のテキパキと準備に少しばかり驚く宏朔。
休日は家で自堕落に生活し、仕事場への立ち入りは原則禁止であるため、彼女がこれほど手際よく動くさまを見たことがなかったのだ。
「博士って家じゃのんびり屋なのに、面倒見とかは良いっスよね」
「えっと、それは馬鹿にしてるのかな……?」
「まあ半分馬鹿にはしてるっスけど、半分はマジで尊敬してるっスよ。ジブンが普通に生活できてるのは、割と博士のおかげっス」
「……あっそう。良かったわね。でもそういうの今後禁止ね。こっぱずかしいから」
ミルツェラは小走りで逃げるように玄関へ。
妙に挙動不審な彼女は、出発の準備とばかりに給填装置からイオンブロワーを取り出した。
二つで一対のイオンブロワーはベルトの両脇に差し込まれ、カチッと音が鳴ると同時に白い霧が噴き出し、透明な膜のように彼女を包み込んだ。
宏朔も尻尾を腰に巻き、見様見真似で不慣れなイオンブロワーを両脇に差し込んでみた。
香水のような色のついた匂いというより、鍾乳洞や滝の前で深呼吸をした時のような、新鮮な開放感だけがスゥーと肺に流れ込んできた。
しばし、二人分の呼吸の音だけが玄関に満ちる。
「……必要なことは前もって伝えておく、これ常識っス。でないと、大切なことを伝え忘れてたんじゃ、事故の素っスから」
「後悔先に立たずってこと?───まぁ、言わんとすることは分かるけども……だからって、恥ずかしげもなくいえるか普通……やっぱり異世界人だから?」
そう言って肩を竦めた博士は、玄関のドアを開け放った。
外はどんよりとした緑色の雲が、空を隙間なく覆っている。
今日は曇り──傘はいらないが、イオンブロワーの出番だ。腰のブロワーが低く唸る起動音を確かめてから、宏朔は彼女の後に続いた。
坂を下る石畳の道には、丘の上らしく大きなドーム屋根の家が等間隔に並んでいる。森閑とした住宅街。人の気配はまばらで、聞こえるのは二人分の足音と、遠くで唸る蒸気自動車の低い音だけだ。
「......静かっスね」
「ここらへん、金持ちしか住んでないもん。うるさい人いたら、即効で退去勧告出るし」
「デストピアっスね」
「規律があることは良いことじゃない? 『自由』なんてナイーブな奴隷の考えだわ」
バッサリと切り捨て、街路樹の横を歩き進めるミルツェラ。
やがて坂道は緩やかに右へ折れ、視界の端に森の輪郭が滲んでくる。丘と繁華街を隔てる、境界線だ。
「あの森抜けたら、もう賑やかっスか?」
「うん。びっくりするくらいね」
言葉の割に、彼女の歩調はいつもよりずっとゆっくりだった。......博士にしては珍しく、歩く事そのものを楽しむように。どこか浮足立っているようにも見えた。
「楽しみっスね」
「そんな珍しいものはないけどね。───まぁ、アンタは違うかもしんないけど」
やがて木々の匂いが濃くなり、二人は森の入り口をくぐった。
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