─家庭内の事情─
暖炉の熾火が爆ぜる音だけが、リビングを軽やかにステップする夜。
宏朔は工具カタログの安売りページを流し読みしながら、ソファの端に体を預けている。向かいでは、ミルツェラが何やら分厚い雑誌に没頭していた。
……何を読んでいるのかは、話が長くなりそうなので訊くのは止すことにした。
さっき視界の端にちらついた表紙には、頬を染めた男女のイラストが描かれていた。
『理系も連載小説とか読むんだ』
胸の内でそう茶化しながら、宏朔は視線を雑誌に戻した。
「……」
顔を上げると、ミルツェラもこちらを見ていたらしい。
「……」
どちらからともなく、また視線が雑誌へ逃げる。
カポンッ。
壁際の配送導管が、乾いた音を立てた。
「荷物っスかね、食料の定期配達は三日前だったし……」
「見てきなさいよ」
素っ気ない返事に反して、ミルツェラの貧乏ゆすりが心なしか速くなっている。気になっていない、というのは無理があるかもしれない。
「どれどれ……」
差出人はお婆さんだった。中身に目を通すと、尻尾の調子は上々らしく、近々改めて礼を持って診療所へ顔を出すつもりだと綴られていた。
「女?」
「少し前に助けたお婆さんっス。お礼しに来てくれるって」
「……そう」
短い返事だけが返ってくる。だが、さっきまでページをめくる音がしていた雑誌が、いつの間にかピタリと止まっていた。
「前に美人の娘さんがいるとか言ってた、あのお婆さん」
意味ありげに、そう付け加えるミルツェラ。
『……なんかすかね、生理?』
静かに不機嫌な彼女に対して、宏朔がどこか白々しいのは言うまでもない。
「さてと……夕飯でも作りますか。なにか食べたいものは?」
宏朔は手紙を机の上に置いて、立ち上がった。
「お腹いっぱいになったら何でもー」
「なるほど……先生にも訊いてくるっス」
宏朔はリビングを出て二階へ。
ノックをすると、くぐもった小さな声で、「どうぞ」と返事があった。
「失礼するっス……ってオワッ……」
ファンシーな熊や犬のぬいぐるみにゴシックドレスを着た骸骨標本。角の丸い足の短い椅子には化粧道具と酒の瓶が転がっている。天井には怪しげな草が吊るされていた。
そんな部屋の中で、リシェルは酸素カプセルの中に横たわっていた。
充満する白い霧の中に、彼女の顔が薄っすらと浮かびあがっている。
「ナチュラルにボケてくるじゃないっスか。思わずツッコミ遅れたっス。先生何してんすか」
「なにって。休憩中よ。見ればわかるでしょ」
酸素カプセルから目を閉じたまま、返事をするリシェル。
食後はリビングで論文を読むなど、向上心に余念のない彼女だが、ここまでくると社畜である。
「サイボーグっスね」
「貴方も似たようなものでしょう……それに、人は誰しも機械なしには生きられない脆弱な生き物だから。大なり小なり、人間の機械化は進んでいるのであって、サイボーグという言葉の触りが異質なだけであって、万民の機械化はもう既にそこまできているのよ」
「みんなサイボーグになったら医者は商売あがったりっスね」
「さぁ、どうかしら。逆に分野が幾つも増えて、人手が足りなくなる未来なら、想像できるけれど」
バタバタバタ。
外から響く足音は、一階から駆け上がって来るものだ。
それが誰のものか安易に予想することができ───
「遅い。いつまで話してんの!」
このとおり、部屋の扉に立ったのは予想通り、ミルツェラその人だった。
ジャージメイドの服装で、全くメイドらしいことは一つとしてしない我が家の大統領。
官房長官は酸素カプセルで休養中であるため、召使いの招集にやってきたのは間違いない。
「ごめんごめん、今聞く。先生、今日の夕飯は───」
「魚か貝のクリーム煮が食べたいわ」
「私はお肉ね!」
リシェルとミルツェラの間に、一瞬火花が散る。予算的には問題ないため、あとは召使いに裁量権があるのかと思いきや───
「じゃあ両方ね」
と、軽々しく法案を通してしまう我が家の大統領。
国民である召使いは平伏するしかないため、後は急いで厨房へ向かった。
時間が掛かればかかるだけ、彼女たちの虫の居所は悪くなる。
『フライパン一つで済むなんて思ってないさ……』
トホホ……となりながらも、ヒモ男は女たちの要望を叶えるため包丁を手に取った。
一方。
「なに話してたの」
「別に。どうってことのない世間話」
リシェルは酸素カプセルの中から軽くあしらう。
カプセルを満たす蒸気も相まって、上位存在のような風格の彼女。
キッと睨みを利かせたミルツェラだったが、大きなため息をついて両手を上げた。
「ねえ、降参。意地悪しないで、なんでもない事なら教えてよ」
「彼が自分の悪口を言ってないか不安?」
「そうじゃなくて……その……気になるのよ……」
口ごもるミルツェラに、酸素カプセルの中の蒸気がボフッと、波立った。
「なんでそこで嗤うかな⁉」
「……別に。隣人を少し羨ましく思っただけよ」
「あのねぇ。ウチを揶揄って楽しいわけ?」
「ネタには困らなくなったわね」
クスッと煙の中で哂うリシェルに、グギギ、とミルツェラは歯を食いしばる。
最悪なのがそんな彼女の反応に、心底安堵している自分だ。
『なんで狙ってないことが分かっただけで、こんな私がホッとしなきゃならないワケ。ハァ?殺すぞ……?』
誰に向けての殺害宣言かは自分自身でさえよく分からない。
ただ一つ言えるのは、どうしたって上気している顔の熱が冷めるまでリビングには降りられそうにないということぐらいか。
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それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




