─ 黒鉄祖孫 ─
午睡に欠伸を噛み締める待合室の長閑な空間。 清潔な青い瓦斯灯が、診察を待つ人々に安心をもたらしていた。そこへ空気を尊重するように、ゆっくりと扉を開けた宏朔は、受付のクラリスに視線を送ると、自らの要件を口頭ではなく腕に抱える尻尾で伝えた。
『あっちに進んで下さい』
そんな声が聞こえてくるかのようなジェスチャーで、クラリスが通路の向こう側を指し示すのは、この場所を離れられない彼女にできる、精一杯の道案内なのだろう。
彼は頷くと、咳き込む患者たちになぜか一礼しながら、ゆっくりとした足取りで処置室に向かった。
処置室に到着すると、お婆さんはベッドに仰臥状態のまま、すでに意識を取り戻していた。青白い瓦斯灯の光がその横顔をぼんやりと縁取り、深く刻まれた皺の一本一本が、まるで解体前提で組み直された廃品のように、それぞれ意味ありげな影を作っていた。
継ぎ接ぎだらけの寝間着は、しかし雑ではなく几帳面な運針で繕われ、布団の上に投げ出された両手は節くれ立って骨ばっていた。──ジブンの義手と似た無骨さだな、と宏朔は場違いな感想に自ら苦笑した。
処置はすでに終わったのか、リシェルは別の患者の診察に移っており、部屋にはお婆さんが一人寝ているだけだった。宏朔は"失礼します"と、それとな~く声をかけ、お婆さんの反応を伺った。
「……どうやら、あたくしの尻尾を盗んだ泥棒が帰ってきたようだねぇ……!」
首だけを動かして、おばあさんは宏朔を、炯と睨んだ。
突き飛ばされた後で心が弱っているかと思いきや、それは宏朔の大きな思い違いだったようで、油の差していないブリキ人形が軋みを上げるように、お婆さんは腰を起こした。
萎びた矮躯とは裏腹に、気迫さえ感じる怪しげな妖気。妖怪というのは、こういう人間を夜に見た画家が生み出したに違いないと、宏朔は震えあがった。
「こ……壊れてたんで直したんスよ」
「おだまりっ……! 勝手に修理したんだ……修理代は払わないからね!」
「もちろん。お婆さんから何かも貰おうだなんて思ってないっスよ」
「あたくしが貧乏人だと思ってるのかい⁉ 払えるぐらいの蓄えはしっかりあるんだよ⁉」
天邪鬼な物言いに動揺しながらも、宏朔はやみくもに言い返さず、平静を装った。
「大変失礼致しました。お金持ちだったんっスね」
無意識な煽りに、お婆さんは皺を一段と深めた。現場を転々としていた男の本領が、こんなところで発揮されていた。
「おだまりっ! いいかい、アンタがどれだけ腕のいい義肢装具士か知らないけれどね。人様のモノを勝手に持ち出したら犯罪だよ⁉」
「お婆さん本当にごめんなさい。家に帰れなくなると思って、出過ぎた真似をしたっス」
皮肉なしでは謝れない性分の男に、ドッと疲労感を募らせるお婆さん。彼女もまた、面倒な男を相手にしていると理解したのか、これ以上の攻撃は不毛と判断して、逆に冷静になった。
「全く……親にどんな教育をされたんだか。───それで? ちゃんと動くんだろうね⁉」
「動くっス。確認してもらえますか」
「良いさ。こらッ!───……ボサッとするんじゃないよ! アンタが手を貸さないで、誰が老婆を起こすんだい!」
ベッドに横になったままあれこれと指図してくるお婆さんに、宏朔は尻尾をベッドに置いて指をポキポキと鳴らすと、本当にどうしようもなく、一発ぐらいならお婆さんの顔面に叩き込んでも良いかと義手の出力を確認した。
体感では右手だけ握力が五百キロほどの出力が出せる。なので破壊力は、当然『握力、体重、スピード』の公式に則り、お婆さんの顔面どころか頭蓋をコンクリに叩き潰すことだって可能だろう。
が、しっかりとそこは二十八年間積み重ねていた良心が、お婆さんの破滅を食い止めていた。
『そもそもこちとら切符切られたら終わりの人生なんだ。こんなマヌケな方法で捕まってバラバラにされたらたまったもんじゃない』
宏朔は留飲を呑み込み、笑顔を軋ませた。
「うん。おばあちゃん、人にモノを頼む態度じゃないっスよ?」
「うるさいね! アンタは言われた通りにしたらいいんだよ!」
高飛車な態度に、苦笑しながら、宏朔は彼女の肩に手を回して体を支えた。
「ヨッと。……全く……凄いおばあちゃんだな……」
立ち上がったお婆さんの目が不意に鋭くなり、鑑定士が値のつく品を見定めるときのような、糸目からは想像もつかない眼光で、尻尾の付け根から先端までをゆっくりと検分していった。宏朔はその視線を受けながら、努めて平静を装った。
「アンタその腕、どうしたんだい?」
「え?義手だけど。どうかしたっスか?」
「生まれつきかい?」
「いえ、事故で両手両足ちょっと切断しなくちゃいけなくなって……」
そこまで言ったところで、部屋の中から音が消えた。
瓦斯灯の光が、皺の谷を一段深くお婆さんの顔に刻む。彼女の視線が、宏朔の目を素通りして、ジーパンの裾に隠れた義足のあたりに静かに落ちた。指図ばかりだった口が、しばらく開かない。
「あッ! でも、ぜーんぜん平気って言うか。ちょっと歩く普段より疲れるなぁ~!みたいな程度っスよ。ほら、ぜーんぜん指先だってほーらこんなに精密に動くっス」
必死の抵抗もむなしく、お婆さんの顔は徐々に曇っていった。孫がそうだったら、自分はどうしただろう、などと妄想に浸っているに違いない。そんな憐れみにも似た表情を向けられ、宏朔にはそれがとても面倒に思えた。
「……アンタも苦労してるんだねぇ……義手は自分で整備してるのかい」
「そうっスね。その延長線上で、尻尾も何とかって感じで」
「はぁー……そうかい。うちの孫もね、尻尾を作ってるんだよ」
「そうなんスか。お孫さん、天才じゃないっスか」
「あぁありゃ、間違いなく天才だろうよ……それでウチの孫がね───」
三十分以上に渡る孫自慢が一段落すると、お婆さんはかえって宏朔を褒めだした。
「───あんた、腕は悪くなさそうだね」
「そりゃもちろん、悪い腕はもう取ったんで」
宏朔はそんなジョークを飛ばしてケラケラ笑ったが、お婆さんの顔は険しくなった。
どうやらお好みではなかったようで、彼はもう少しちゃんと話題を考える事にした。誰かに評価されることに慣れていない彼は、礼を言うという当たり前のことにさえ、不自由していた。
「でもまぁ、あんまり評価されたことが記憶にないんで、褒めてもらって光栄っス」
「そうかい。でもアンタはね、人の評価を気にするようになったらお終いよ?」
「え~? おばあちゃんまた説教っスか? もうお腹いっぱいっスよ」
「いいからいいから、こういう年寄りの甲はね、聞いておいて損はないのよ」
ニコニコ笑顔のお婆さんがさらにニ十分ほど、楽しそうに宏朔に説教を続けていると、救いの手を差し伸べるように受付からクラリスがやってきた。
「お婆さん、タクシーに乗ってお孫さんが来てくださいましたよ」
「なんだって⁉ ……宏朔、手を貸しな」
「しょうがないっスねぇ……ほら、おばあちゃん」
「そういや、アンタもしよかったらウチに婿に来るかい。顔も良いし、孫も気に入るよ」
「残念だけど、こっちはもう長蛇の列が出来てるっス」
「へっ、そうかい。確かにお前さんには出来過ぎた子だったよ」
お婆さんはそう言って笑みを浮かべると、満足したのか、尻尾を廊下に、ビタンビタン、と叩きつけながら歩いて去っていった。
───そして廊下を出て待合室で、お婆さんが笑顔を見せる女性の姿を見て、宏朔は廊下で頭を破壊したくなるほど後悔した。
『な、何すかあの激メロ女……!褐色のギャルじゃないっスか!』
激しく廊下に頭を打ち付ける宏朔を見て、ドン引きするクラリスが狂人の肩を叩くように、恐る恐る彼の正気を確認してきた。
精神病棟で実習は受けていない───そんな心の声が聞こえてきそうな、クラリスの表情に宏朔は己の気を引き締め、凛とした対応を心掛けた。
「どうかしたっスか?」
「あ、あの……大丈夫そうなら、あちらでご挨拶したいと……」
「分かったっス。リシェル先生は?」
「治った患者に用はないと……。薬も既にお孫さんに手渡し済みです」
問診ちゃんとしたのかな、という宏朔の疑問はそっちのけで話は進んでいった。玄関入口の、あのギャルの弾けるような笑顔に気圧されて、思わず顔を歪める宏朔。彼女の陽のオーラがあまりにも強かったからか、顔の半分は笑顔で、半分は引き攣っていた。
「どうしたんですか、宏朔さん。貌が整形失敗したみたいになってますよ」
「逃がした魚は大きいっス」
「……何の話ですか?」
「……そうだね」
宏朔は少しでもこの褐色ギャルと仲良くなるために、診察室に出る前に眉毛をビシッと整えてから玄関入口に向かった。
「どうもっス。こんにちは」
「こんにちは~!」
ギャルの快活な声がスゥーと脳みそに入り込み、宏朔は一瞬で、 "あぁ、この子はとてもしっかりした親御さんに育てられた良い子なんだろうなぁ" という気持ちの悪い予想まで立て終えていた。
「迎えに上がって頂きありがとうございます。黒鉄様のご家族でいらっしゃいますか?」
宏朔の人が変わったような立ち居振る舞いに、クラリスは唖然としながら彼を見上げた。
「はい、間違いありません! 黒鉄です。……おばあちゃん大丈夫? また悪い人に突き飛ばされて、気絶したって聞いたけど?」
「ああぁん、もう大したことないさね。ソーニャ、ほら帰るよ」
背中を押されるように、黒鉄祖孫は玄関口に歩いて行く。途中、
「……あれ?尻尾は今回壊れなかったの?」
「ああ、尻尾ならそこの若いのが勝手に直したんだよ。お代は取らないってさ。そうだろう、宏朔」
そう言ってお婆さんは一度宏朔に振り返った。
「もちろんっス。ジブンが勝手に直したんで。もし不具合とかあったら教えてください。って言っても、お孫さんも尻尾作りの専門家ならそれも必要ないっスね」
「えぇ、おばあちゃんそんなことまで話したの? もー、お喋り御婆ちゃん♪」
ソーニャはそう言って笑いながら、ちらりと宏朔の方に視線をよこした。廊下で頭を打ち付けていたことなど当然お見通しだと言わんばかりの、悪戯っぽい流し目だった。
「馬鹿言ってないで帰るよ。リシェル先生に伝えておいておくれ。また来るよ」
「ありがとうございました!」
二人はそうして去っていった。彼女がいるだけで、待合室という陰気な空気が立ち込める場所が一瞬で華やいだ。そんな不思議な元気をくれる存在が、黒鉄ソーニャという女性だった。
高評価・ブックマークが執筆の燃料になります。
ブックマークして、次のお話も読んで下さい(強欲)!
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




