─林道にて─
森は紅葉と銀杏が入り交じる、宏朔にとってもなじみ深い匂いのする林道のままだった。
足元では、赤や黄に色付いた葉が幾重にも重なって道を彩っている。
森の中にいる時だけ、日本を感じるのは不思議な気分だったが、植生は紛れもなく日本と同じものだ。
『たまに見かける、妙に黒っぽい......絶縁体のような植物に視線を向けなければ。
......うん、やっぱり日本だ』
時折、風もないのに枯れ葉がひとひら、ふわっと浮いてはまた落ちる。
前の世界ではありえない突発的な放電現象すら、ここでは驚くに値しない。。
林道の中を横切る人達も、注意は向けても声を上げて驚くようなことはなかった。
宏朔は大人げなく声が出そうなのを抑えて、現地民に擬態して歩く。踏まれて湿った葉っぱの隙間に放電現象が起きるなんて当たり前のこと。パチパチとなる足音でさえ、ここでは常識として幅を利かせて歩いている。
「異常が異常とすら思われない……。変な気分だ」
「……アンタのいたところでは、木の葉はパチパチ言わないの?」
「そうっスね。林道はもっと静かだったかも知れないっス」
日本人が震度四で欠伸するように、敷島の人々は突発的な放電現象に欠伸をする。
地震と雷。どちらも危険であるはずのものでさえ、慣れてしまえば驚嘆に値しない。
平和ボケとも違う、一種の自然災害への許容に彼は感心していた。
「どうしたの?」
立ち止まった宏朔をみて、ミルツェラも立ち止まった。。
腰につけたリスの尻尾は体に蓄えられた電荷を効率よく吸収するため、ゆらゆらと揺れている。
「懐かしい記憶を思い出したっス。子供の頃は、こうして森の中を走ってたなって」
「それは家族と?」
「二、三コ上の近所の兄ちゃんたちっスね。家族はジブン……ウッ……」
───ズキン。思わず顔を顰める宏朔。
血に染まる床、手紙、包丁───そこまでフラッシュバックした。
『この記憶はマズい……忘れろジブン……!』
宏朔はすぐさまその記憶を自らの手で再び記憶の海に沈めた。
「ちょっと、平気?」
膝を付き、深呼吸を繰り返す宏朔。
人工心臓の異常か、額には大粒の汗を掻いていた。
「ごめんごめん、ちょっと動悸が……」
「あんたやっぱり肉体的に無理してるんじゃないの?」
宏朔は首を横に振る。
ゆっくりと───
呼吸を整え───
動悸に耳を澄ませ───
次第に呼吸を安定させていく。
ハンカチで汗を拭うと、フゥーと息を吐いて立ち上がった。
「いや、本当に大丈夫……行きましょう? ジブンも楽しみにしてたんで。帰りたくないっス」
「……倒れたら怒るからね」
「了解っス」
二人は赤と黄色のコントラストが美しい林道を抜け、騒がしい人の声が溢れる繫華街へ向かった。
───カッコー───カカコー───カッコー───カカコー───
森林を抜けると最初に耳にしたのはなじみ深いあの音。
視覚障碍者相手にも横断歩道を渡れるように作られた誘導音だ。
続いて蒸気自動車のプシュ、プシュ、という蒸気の音。
雑踏。人の声。様々な音のレイヤーが鼓膜を震わせてくる。
総じて。
この場所そのものが、『チワース、僕が繁華街です』と、プラスチックの写真付き名刺を渡してきたように思えた。
ノリはそんな軽いポップな感じ。
そこで動く人々も、老人ではなく若者ばかりだ。
ただ、うん───言葉を憚らずにいうのであれば、ヲタクという固有名詞の似合いそうな眼鏡女子、眼鏡男子の比率たるや。
約8割以上の人間が眼鏡を掛け、スカーフマスクを口につけて半分以上が顔を隠している。
しかし服装は出歩く人々全てがゴシック基調。男なら誰しもがトレンチコートに襟を立て、女はドレスに身を包んで露出を避けている。シルクハットやレース付きキャペリンを目深にかぶれば、ほとんど出歩く紳士淑女の顔は見えなかった。
ヴィクトリア朝にタイムスリップしたのではないかと疑うような完璧な模倣。
それが今の流行だとしても、宏朔には随分と板についた格好に思えた。
「なんでみんなあんなガチガチにマスクとか付けてるんス?」
「女子はすっぴん隠しとか。……男はしらん。興味もない」
「ひでぇ、絶対にそれだけじゃないのは分かるっス」
目的地を決めているわけでもないのに、ミルツェラの足取りは軽い。宏朔もつられるように、看板から看板へと視線を泳がせながら歩いた。
「......まぁ真面目に答えるならこれが外国人特区の文化ってところじゃない?」
すれ違いざま、露店の店主の威勢のいい呼び込みが割り込んでくる。ミルツェラはそちらへ一瞥もくれずに歩調を保ったまま、答えを続けた。
「みんなの来ている服装の元を辿れば、リシェルの生まれ故郷でもある、〈ブリテン〉っていう欧州の覇権国家の服装に起源があるの」
貴族主義が強く、専制的で、植民地支配とかも凄かったブリテン。各国はその強いブリテンに憧れたとのこと。
「それで敷島はとりあえず形から入った結果、みんなブリテンっぽい服装になったってことっスか」
人波が一瞬狭まり、宏朔は彼女の肩を軽く抱くようにして道を譲った。ミルツェラは気にする素振りもなく、また元の歩幅に戻る。
「けど皮肉なことに、もうブリテンの人はこんな恰好はしてないんだよねー。だから今はこの外国人特区特有の服装になってしまったって感じ」
「じゃあブリテンの人はもっと先進的な服装をしているんスか」
眼鏡屋の店先を通り過ぎた。ずらりと並んだレンズが、街灯の光を反射して一斉に瞬いた。よくよく見たら、そこかしこに眼鏡屋がある。何処も満席でヲタクに溢れていた。
「───そういうこと。敷島って変な国でさ。色んな国の文化をその国よりも理解して、アーカイブにするの。前例主義が服を着たみたいな国よ」
そう言って、彼女は人混みの隙間を縫うように半歩前に出ながら、自分のゴシックスタイルの黒いドレスをヒラリと回転して見せた。
彼女もまた別のクラスナヤという土地からきた外国人であるため、異国の服を着るのに特別感がまだあるのだろう。
「外国人特区って結構昔からあるんスか?」
「設立って確か、敷島第二次世界大戦中期だから......仏歴2485年〜2486年ぐらいかな?」
「へぇ......えーと、今が確か仏歴2570年でしたっけ? かなり昔からあるんスね」
確か少し前に、朝レコのニュースで訊いた年月日を、宏朔は精確に諳んじた。歩きながら思い出した自分の記憶力に、少しだけ気を良くする。
「そっ。でも街並みはほんの数年で変わるのよ。3年経ったら別の街って言われるぐらい、店の入れ替わりが激しいの」
新しい本屋の開店祝いだろうか、店先に積まれた花輪の横を通り過ぎながら、宏朔はなるほどと頷いた。
「じゃあ、ずっと住んでても飽きないっスね」
「そうだねー。───それでね? 一応、うちもココはもう十年そこらぐらい......住んでるわけですけど、もう殆ど建物も入れ替わってるワケ」
薄く微笑む彼女とは対照的に、宏朔の顔色は少し悪くなった。
人の流れに逆らわないよう、いつしか二人は歩みを緩めていた。
「つまり......?」
「私も道案内出来るほど、この繁華街詳しくないってこと。半分引きこもりみたいな私が道案内なんて正気じゃないぜ......まったく」
自分から道案内を申し出た人間とは思えない体たらくに、宏朔は思わず雑踏の中で天を仰いだ。
見上げた空には、相変わらず緑がかった雲が重く垂れ込めている。それでも、案外悪くない気分なのは、きっと前を歩く少女の笑顔にも理由があるのだろう。
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