プロローグ.part2
彼が目を覚ましてから、三ヵ月が過ぎた。
体は順調そのもの。途切れ途切れだった意識も、今では痛みを痛みとして感じ取れる程度には回復していた。
『痛い。……モーレツに』
なんて。
本人は心の中で吐き捨てた。
実際のところ、唇一つ、喉一つを動かすにも、痛みという対価を要求される状態だった。鼻をつくのは消毒薬の匂い。聞こえるのは、モニターを動かす蒸気の音だけ。
それでも、
『一歩間違えばダークサイドに落ちてしまいそうだ……』
などと、飄々とそんな自己分析ができてしまうくらいには、彼の精神状態は安定していた。
そこへ、コツコツと足音を鳴らして、年若い女性が一人、階段を降りてきた。
今度はゆっくり降りてきたおかげか、こけずに済んだらしい。
彼にとっての命の恩人、ミルツェラ博士だった。
「やほっ。今日も元気に瞳孔動いてんねぇ。とてもよいですよ。よいよいよい」
サムズアップする女性……ミルツェラ博士は、会話が出来るようになった彼に、どのような過程で蘇生に至ったのかを、掻い摘んで説明し始めた。
曰く、彼女たちの(非合法だけど)献身的な機械化と、(未認可だけど)よく効く薬剤投与と、(不法入国だけど)優秀な医者の仲間たちのおかげで、何とか一命を取り留めている状態とのこと。
『……違法な藪医者の実験体にされた?』
全身を包帯でラッピングされた青年は、自分に取り付けられた無数の細い管を眺めた。話を聞いた後では、この線全てが生命線のように見えてくるから不思議なものだった。
「私の説明はまぁ、ざっとこんなもん。後は君の主治医になってくれる女医と話をしなさい。わかった?」
「えっ、博士が治してくれたんじゃ……」
痛む喉から掠れ声を絞り出す彼に、ミルツェラはケラケラと笑った。
「いやいや、ウチはあくまで第一発見者。後は場所と素材の提供者に過ぎないよ。強いて言うなら、君を助けようと出資したのがウチかな。だから私にもの凄く感謝しなさい。分かったね」
「あ、ありがとう……絶対にこの借りは返します」
引きつる唇を無理やり動かして告げた青年の、強い意志を秘めた瞳に、彼女は満足そうに目を細めた。
「あっそう、じゃあ十倍返しで利息付きね」
「恩に利息付けるんスか」
「当たり前よ。……まぁでも、私も丁度いい器が見つかって助かったし。無利息ぐらいは許してあげないこともない。んじゃあ、そういうことで。治ったらバリバリ働けよ~。ド・スコーラヴァ~」
ひらひらと手を振って、ミルツェラはガラス張りの治療室から出て行った。
陽気な足音が遠ざかった途端、室内の温度が数度下がったような静けさが落ちた。
そんなミルツェラと入れ替わるように入ってきたのは───
「……驚いた。本当に蘇生するなんて」
感情の薄い声と共に現れた、白衣の女医だった。
どの業界にもプロはいるものだが、彼女もまたその一人だと、一目で思わされた。落ち着き払った所作と、無駄のない視線。そう信じさせるだけの貫禄が、そこにはあった。
治療室の中に立ち入ったのは彼女だけで、ガラスの向こうには部下らしき者たちが立ち並んでいる。実験室のモルモットを見るような、眼鏡の集団。その頭目と思われる彼女の視線もまた、実験動物と相対する研究者のそれだった。
歳はおそらく、自分よりも何歳か下……だと思う。自分の歳すら曖昧ではあるが、感覚的には。
白衣の下は、黒いパンツに黒のボタン付きシャツ。細い腕回りには余裕があるのに、胸回りだけが不自然なほど撓み、布が悲鳴を上げていた。
艶のある唇には薄い微笑。ただし、目は笑っていない。優雅に彼のベッドの前へ立った紅いウルフカットの女医は、じっくりと体の様子を観察して、頷いた。
「うん、……顔の包帯、外すよ」
寡黙な中に誠実さを感じる声音に、青年は頷き返した。
今日は、何回かに分けて行われた皮膚移植の、経過観察の日だった。
彼はまだ、自分の姿をハッキリとは見ていない。
顔は特に念入りに包帯で覆われ、鏡も見せてもらえなかった。
感電した自分の顔がどうなっているのか、本人は知りもしない。ただ漠然と、凄惨な顔面になっている予想だけが、澱のように積もっていた。
細い指が、包帯を一巻きずつ解いていき───新しい皮膚に、ひやりと空気が触れた。
「ブラックジャックはゴメンっス……ツギハギは嫌っス……」
内心ガタガタ震えながら、掠れ声で訴えてはみたものの、女医はそれをガン無視。テキパキと包帯を取り換えて、最後に彼の顔の前へ手鏡をかざした。
鏡の中にいたのは、思い描いていた怪物ではなかった。
ところどころに赤みの残る新しい皮膚が、輪郭に沿って綺麗に馴染んでいる。継ぎ目らしい継ぎ目も見当たらない。
「───ほっ。……記憶はないっスけど、ハンサムフェイスで安心したっス」
「そう。……それにしても貴方、驚異的な再生能力をお持ちなのね……本当に人類?」
「ヒトデの近縁種って言ったら信じるっスか?」
「それはないわね。F-01、貴方を今後そう呼称するけれど。構わないかしら」
「もっとプリティな名前ないっス?」
「ごめんなさい。これ以上贅沢な名前は挙げられないわ」
『モルモットでももうちょっとイイ感じの名前もらってそうだけど。まっ、いっか』
内心でぼやきながらも、紳士的な対応を心掛けた。
「ジブン、製品番号みたいっスね……」
「売り物にはなれないから安心して。……聴覚異常なし……と。認知障害はともかく、記憶障害の方は大丈夫?」
カルテにペンを走らせる女医に、青年は小さく呻いた。
「ウッ……お姉さん手厳しいっスね。あと残念なことにジブン、何処の誰かサッパリっス。ただ、知識とかは別枠なんスかね。結構憶えてることも多いっス」
「そう、誰かもわからないのね……好都合だわ」
「……ん? 先生……?」
「こちらの話よ。他には? 感情が抑えられないとか、集中力が低下したとか」
「特には」
「鬱っぽいとかは? 雷に打たれるとよくそんな症状が出るの」
「……そういうのも特にないっすね。気づいたら膝と肘から先がなくてビックリはしたっスけど。何すかね、感覚がマヒしてるかも知れないっス。感電だけに」
シーン、と静まり返る室内。
どれだけ冗談の通じない相手でも、一回ぐらいはジャブを打ちたくなる。彼は笑いに対して我慢弱い男だった。
『医者って笑いの沸点高めなのか? 全然ウケない』
口笛で誤魔化そうとして、喉のイガイガを思い出してむせた青年。頭が重症なのは間違いないようだった。
「見たところ敷島人のようだけれど、どうして外人特区なんかに入り込んだの? 物珍しさで見物にでも来たとか? その……空から」
「それ……記憶失ってる人に話す内容であってるっスか? 自己紹介からしません? ジブン、誰か分からないっスけど。ハッハッハッ! ゲホゲホゲホ……」
シーン。再び、室内が静まり返る。
彼にとっては、爛れた皮膚の痛みよりも、彼女の沈黙の方が針のように痛かった。
これで平気なのだから、自分の心はとっくに壊れているのかもしれない。
彼がそう思うのも、無理からぬことだった。
「……ミルツェラから私のことを聞いていないの? 私はリシェル・J・ヴィラール。平たく言えばココ一帯の面倒を見て回っている、外国人専用の医者、と言ったところかしら」
外国人専用の医者? という妙な単語に引っ掛かりつつ、青年は軽く会釈を返した。
「凄腕の町医者なんスね。ありがとうございます。リシェル先生」
「お礼を言うにはまだ早いのではないかしら。ダメな心臓を摘出して、代わりのものを詰めてあげはしたけれど。貴方、生きているのが不思議なぐらいだし……」
リシェルは、青年の胸元を細い指先でトントン、と突いた。その奥では、心臓の代わりに据えられた機械が、ほとんど音もなく駆動している。それが完全人工心臓であることを、青年の知識は教えてくれた。
「私が作った違法な人工心臓よ。この特区の外でなら重罪で死刑になるけれど……運が良かったわね」
「意味が分かると怖い話っスか……?」
「どうかしらね。そのままでも十分に怖いと思うけれど」
青年は、自分の心臓に耳を傾けた。
音はない。前の心臓がどう動いていたかなんて、覚えてもいない。
ただ、上手くやっていけそうな期待を孕んだ、漠然とした律動がそこにはあった。
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