プロローグ
「お目覚めになりましたか」
なにを心配そうな声をしているんだ、と青年は暗闇に問う。朦朧とした意識の底に、女性の声が響く。人間の声じゃない。合成音声のようだ。内容は……なぜか理解できた。
「お目覚めになりましたか」
やっぱり間違いなく日本語だった。一言一句違えぬ声掛けに、流石の青年も自分が呼ばれていることは分かった。にしても、依然として彼が得られる情報が増える気配はない。
「ぅふはいへす」
うるさいです、と言おうとした呂律が上手く回らない。口が糸で縫われているような感覚。意識の浮上に伴って、彼は燃えるような熱さとパリパリとした皮膚の感触に眉をひそめる。
『おいおい、北京ダックになっちまったんですか。ジブンは』
パリパリに焼き焦げた?皮膚の感触に浸る間もなく、次に来るのは視界情報。とはいえ、視界は依然として深淵を覗いている。代わりにあったのは、覗く瞳の乾きだった。
『あれ、なんかめっちゃ目が乾く......朝起きたばっかで、目薬さしてない時みたいだ』
目を擦ろうと腕を持ち上げようとするも、鉛のように重い両腕。というより、重い以前に感覚がない。
クソッ、と心の中で叫ぶ。腕はコンクリートで固められたみたいに、頑なに動く気はないようだった。
彼は諦めて、とりあえずここは何処かを知るための情報を知るために、目を開くことに尽力する。カラカラの瞳をギュッと絞って、僅かな涙で乾いた大地にうるおいをもたらす。絞って絞って、やっとの思いで僅かな渇きを満たした眼球が、ゆっくりとシャッターを開けると、そこから差し込む光が目に突き刺さって、脳は金切り声を上げた。
『グハッ......! なんてルーメンの暴力......!』
目の痛みを我慢しながら、薄目で目を慣らすこと五分。シュパシュパとする目を瞬かせながら、外界の情報を取り入れると、さらに彼は混乱した。
『ジブンの部屋じゃない......。何処かの病院......というより、研究室......?』
最初に目に入ったのは、重厚な管の束だった。次に視界を右に振ると、カラーボールを敷き詰めたみたいなドットマトリクス画面に、バイタル情報が映っている。ただその装置は、医療ドラマなんかでよく見る電子モニターなどではないようだった。
『......というかなんでジブン、こんな知識があるんだ? もしかして、機械工学系なのか?』
視界右上につけられた点滴パックに目をやりながら、そもそも自分がなぜこんな場所にいるのか思案する。そしてもっと重大なことに彼は気づいた。
『アレ......そういえば、ジブン、誰だ? ......いや、モラトリアムってわけじゃないっス』
セルフツッコミをしながら、彼は頭を捻る。というか、名前なんてどうでもいい。彼はそんなことより、もっと重大な使命を帯びてココにやってきた。
落ちる雫を呆然と見ながら、彼はその使命を思い出す。
『えーっと、確か。『......を作ってきてください』ってお願いされたのは憶えてる。そんでジブンが、彼女にセクハラ紛いのことを言って......怒られて......、この世界の空に落とされたんだ』
つかみどころのないぼんやりとした回想だが、彼にとっては貴重な情報源だ。
目を瞬かせるように、彼は脳みそを絞って記憶の雫を捻出した。
『そうだそうだ。それで積乱雲? みたいな雲の中に降下して、ウビビビビビッ......って。感電したんだ』
であるならば、生きているのは甚だおかしい。しかし彼は現に全身包帯人間になりながらも、ちゃんと生きてベッドに横たわっていた。医療用のベッドではなく、担架のような台の上で寝ていることから、緊急搬送された? と、推測することもできる。
「こ、コ、ほおっうああ」
ここどこですか、と誰もいない部屋に声を上げる。
彼の視線はさっきの声の主を無意識に探す。すると見つかったのは、レールの上を一輪車のような単脚の車輪機構で走る、一体の自動人形だった。決まった時間に決められた言葉を話す市松人形だ。
彼はその人形を視野に入れただけで、その機能となぜか内部構造までもが鮮明に脳裏に浮かび上がり───
『カムの凹凸で記憶しているみたいだ。この人形さんを作った人の趣味かな』
返事を求めることを止めた。
その代わりに、その内部構造から電池がないことに気づいた彼は、バイタルを計っていると思われた心電図を見て、あまりの違和感にポカーンと口が開く。
『やっぱり何か変だ』
人を呼ぼうにも喉の奥はエアコンと扇風機を浴びて寝た翌朝ぐらいイガイガしている。ベストコンディションとは程遠い喉に、カヒューという、乾いた風が通り抜けた。
『い、痛い。呼吸するだけで、チリチリする』
未だ四肢も上手く機能しないこの体でできることと言えば、頭を働かせることぐらいしかできない彼だが、そんな状態でも努めて冷静に彼は、現状把握に勤しんだ。
『やっぱり……この部屋には電気が流れていないみたいだ。この部屋の灯りの大部分を占めている天井の光源でさえ、電気じゃなくて......蒸気が使われてる。ここまで凝り性なのは見たことがないな。文明嫌いというか。知らない世界に来たみたいだ……』
そんなことを考えて、やっぱり謎の違和感に胸がザワザワした。
なぜか空から落下し、雷雲に突っ込み感電し───そして現在に至る。
なるほど、色々と前提からしておかしい。混乱するのも無理はなかった。
『そもそもジブン......なんで、スカイダイビングなんかするハメになったんだ?』
記憶の限りでは、パラシュートを装着した覚えもない。何か大きな記憶の欠落があるのは間違いないが、一旦別の事に意識を回すことにした。……というよりも、意識を回さざるを得なかった。またあの一輪車に乗った市松人形がこちらの手術台にやってきたからだ。
「お目覚めになりましたか」
「あぁあ、えあえあっえ」
だから、目覚めたって。そんな、言うことを聞かない口に腹を立てていると───ガコン、と音がした。何かの回路が切り替わったような、そんな響きがした。
「お目覚めになりました……ね」
突然内容を理解したような人形に仰天して、彼は担架から転げ落ちそうになる。しかし体が全く動かない以上、それは精神的な行動であり、実際の驚愕は彼の目によって示された。
「うん!」
“言語が通じるなら人形であろうと問題ない!”という彼の寛容さがココで生きた。
「博士がおいでになります。しばらくお待ちください」
人形の問いかけに、彼は首を縦に振る。首の動作を検知できるのか試したのだ。
しかし人形はそこまで高度な処理はできないのか、彼の動作は無視して、一輪車を漕いで替えの包帯を取りに行ってしまった。
『ベテランのおばちゃん看護師みたいだ』
やることもなくなったので、灯りのついた天井を見ること10分後。
”───バタバタガッシャーン!───”
と足音を立てて、白衣の少女が階段から転げ落ちてくる音が聞こえた。
彼は目やにの剥がれる感覚と共に、目を凝らす。
歳は大人なんだか子供なんだか、分からないような歳だ。
リス顔の童顔で背も低い。ただどことなく大人らしく見えるのは、彼女の体型が子供というよりかは、小さな大人のようだからだろう。
顔の小ささも相まって、モデルの人形が歩いているようだった。
薄い金髪を脱色したような淡いライムグリーンのボブカットを掻き上げながら、いたずらっぽく哂う彼女は、どこか小さな研究所に住み着いた悪ガキを想起させる。
少女は青年が仰臥した治療室に入室すると、堪えるように涙を拭った。
その涙は、おそらく彼の生還を喜んでのものではなく、後頭部に新しくできたタンコブによるものだろう。そう彼が想像するにはあまりある悶絶を内包した貌だった。
彼女は、イテテッ、と片目を瞑りながら青年の状態を見て、意識がハッキリしているのが分かると、あからさまに驚いたように包帯の青年に駆け寄った。
「うわっ、マジで生き返った……!」
青年は少女の慌てっぷりを見て、自然と微笑が漏れ出ていた。
『忙しないけど、イイ人そうだ。にしても流暢な日本語だな……』
彼女の行動を目で追っていると、人形に呼ばれた彼女は、ワザとらしく、オホン、と咳き込むや寝台に眠る彼の前に立った。タンコブの痛みはどうやら引いたらしい。
「おはよう、フランケンシュタイン君。まさか目覚めるとは驚いたよ。私はミルツェラ博士……博士と呼びたまえ。ところで単刀直入に訊くけど、君は敷島から私を監視しに来た軍人かい? 答えて。正直に答えてくれるなら、君をこの区の外に出してもいいからね」
「いいえ、いっあんいんえう」
いいえ、一般人です。と、端的に答えて反応を待つ。そもそも敷島とは一体どこのことか。そこから説明願いたいものだった。軍人というのも、当然存じ上げないことだ。
……もしかしたら軍人の経歴があるのかも知れないが、そんな記憶も綺麗さっぱり消えてなくなっているため、現在は存在理由さえもあやふやな、ただの包帯男だった。
そんな怪しい青年を、ミルツェラは怪訝な顔をして覗き込んだ。
「一般人はね、空から私の自宅兼ラボに落ちてくるようなことはしないんだよ。おわかり?」
「そんあお......ああっえいうっう」
そんなの分かってるっス。
そう答えたところで、青年は天を仰いだ。
『あと……ジブン、多分っスけど、フランケンシュタインではないっス……』
むしろ彼は、そうでないことを願った。
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