第99話 三日後。
そうして三日後――依頼の賛否を正式に答える日を迎え、正人とリタは、あの日と変わらない公園の一角で静かに両陣営の到着を待っていた。
空には薄い雲が広がり、吹き抜ける風もどこか冷たい。
公園には静かな空気が流れているが、その穏やかな景色とは裏腹に、今日ここで行われる話し合いの重要性だけが場の空気を重くしていた。ここで両者が正式に協力関係を結ぶのか、それとも最後まで互いを受け入れ切れずに終わるのか
――その答えが、今から決まるのである。
そんな分岐点とも言える時間を前にしても、正人の表情に焦りや不安は見られなかった。ベンチへ腰を下ろしながら入口の方へ視線を向けているその姿には、むしろどこか余裕すら感じられ、その隣には、いつも通り静かに佇むリタの姿がある。
表情だけを見れば普段と変わらない。だが、長く一緒に過ごしてきた正人には分かる。今のリタは、何かを言いたそうにしていたのだ。
どこか迷いを抱えているような空気を感じ取った正人は、小さく首を傾げながら声を掛ける。
「ん?どうした?何か言いたげな表情をしてるけど。」
その言葉を受けたリタは、一瞬だけ視線を伏せた。まるで、自分の中にある感情をどう言葉にすればいいのか考えているようであり、普段の彼女なら、そのまま胸の内へ押し込めて終わらせていたはずだった。
だが、今日は違う。
リタは静かに息を吐き出すと、少し迷いながらも正人へ向けて口を開く。
「そうですね。私は、あの時は何も言いませんでしたけど‥‥正直に言います。」
その声音は普段通り落ち着いている。だが、その奥には普段よりも少しだけ迷いの色が混じっていた。
「あの人達と手を組むのは、私的には嫌です。」
その言葉を聞いた瞬間、正人は僅かに目を見開いた。驚いたのは、反対意見を言われたことではない。リタ自身が、“自分の感情”をこうしてハッキリと言葉にしたことに対してだった。
今までのリタは、常に“主である正人にとって最善かどうか”を優先して動いていた。自分の意思や感情を前へ出すことはほとんどなく、例え納得出来ないことがあったとしても、それを飲み込んで従うのが当たり前だったのである。
だからこそ今回のように、“自分は嫌だ”という感情を真正面から口にしたことが、正人には何よりも新鮮だった。
「へぇ~~」
正人は驚いたように笑みを浮かべる。
「リタが直接そういう事を言ってくるなんて思ってなかったよ。前のリタだったら絶対に言わなかっただろうから、これはむしろ良い変化かもしれないな。」
その言葉には茶化すような響きはない。ただ純粋に、リタが自分の意思を表へ出したことを嬉しく思っている色が滲んでいた。
「で、ちなみに理由は?」
そう問い掛けられたリタは少しだけ考え込むように間を空けてから、小さく口を開いた。
「理由はありません。」
「ないの?」
「はい。ただ、何でかは分からないですけど‥‥あの人達と仲間になるのが納得できないと言うか、モヤモヤするんです。」
そう言いながら、リタは自分の胸元へそっと手を当てる。その仕草からも、彼女自身が上手く説明出来ない感情を抱えていることが伝わってきた。
「もちろん、この間の話し合いも聞いていましたから、マスターの言っていることは理解しています。だから、反対したいわけじゃありません。」
そこまで言った後、リタは少しだけ視線を逸らす。
「ただ‥‥あの人達が気に入らないだけです。」
その言葉はあまりにも単純で、子供っぽい感情論にも聞こえるものだった。だが、理屈では説明出来ない感情だからこそ、そこにはリタ自身の本音が詰まっていたのである。
だからこそ正人は――
「ハハハハハッ!!」
思わず大きく笑ってしまった。
静かな公園に、正人の笑い声が響き渡る。リタはそんな正人を不思議そうに見つめていたが、正人は笑いながら頭を掻き、そのままどこか嬉しそうな表情で言葉を続けた。
「ハハッ‥‥そうか。気に入らないだけか。」
そして笑みを残したまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「なら、当然その意見を飲むことは出来ない。でもさ――俺は、リタがそうやってちゃんと自分の意思を言ってくれたことが嬉しいんだよ。」
その言葉に、リタは少しだけ目を見開く。
「今までは、俺の言葉をそのまま受け入れることばっかりだっただろ?でも、それじゃ駄目なんだ。ホムンクルスだからとか関係ない。ちゃんと自分で考えて、自分の感情を持って、自分の意思を口にする。それは凄く大事なことだと思う。」
その声音は、主として命令するものではなかった。一人の人間として、本心からそう思っていることが伝わってくる優しい声だったのである。
「だから、ありがとな。」
その言葉を聞いたリタは、一瞬だけ静かに目を見開いた後、小さく頷いた。
「‥‥はい。」
短い返事。だが、その声音には、いつもよりも僅かに柔らかな感情が混じっているようにも感じられた。
そんな風に二人で会話をしていると、公園の入口側から複数の足音が聞こえてくる。正人とリタが視線を向けると、そこには学校側とホテル側――二つの勢力のグループが姿を見せていた。
互いに一定の距離を保ちながら歩いてくるその姿からは、未だ完全に警戒が消えたわけではないことが分かる。視線の端では互いを警戒し、空気の奥にはまだ僅かな緊張感も残っていた。
だが、それでも三日前とは明らかに違っている。少なくとも今の彼らには、“同じ方向を向こうとしている者達”としての意識が確かに存在していた。
そして両陣営は、そのまま正人達の前まで歩み寄って来る。
◇
学校側、ホテル側――それぞれの主要メンバー達が公園へ集まったことで、その場の空気は自然と張り詰めていく。ここにいる全員が理解していた。今から交わされる返答一つで、今後の関係も、この先の未来も大きく変わるのだと。
そんな中、正人はゆっくりと立ち上がると、学校側の佐々木とホテル側の成瀬へ視線を向けながら静かに口を開いた。
「お二方とも、この場へ来て頂いたということは、自分の依頼を受けるということでよろしいでしょうか?」
その問いに対し、まず口を開いたのは学校グループのリーダーである佐々木だった。彼は小さく笑みを浮かべながら、迷いなく答える。
「あぁ、喜んでお受けする。」
その言葉には、覚悟と決意が込められていた。簡単な話ではないことを理解した上で、それでも前へ進むと決めた人間の重みがそこにはある。
そして、その言葉に続くようにホテルグループのリーダーである成瀬も静かに頷いた。
「えぇ、私達も引き受けます。」
その返答が告げられた瞬間、その場にいた全員の空気が僅かに変わった。まだ互いへの不信感や警戒心が完全に消えたわけではない。これまで積み重ねてきた対立や感情が、たった数日で綺麗に消えるほど簡単なものではないからだ。
それでも今この瞬間だけは、学校側とホテル側――二つの勢力は正式に“同じ目的のために動く仲間”として手を取り合ったのである。
誰か一人の力では届かない。だからこそ、人は手を取り合う。
それぞれ違う立場で生き、違う考えを持ちながら、それでも“この世界を救う”という目的の為に、今ここで全員が同じ場所へ立った。




