第92話 中は明るく、外は暗い。
堂島さんを説得したのか、それとも納得させたのか――正直、どちらが正しい表現なのかは自分でも分からないが、少なくとも言えるのは、あの日を境にして堂島さんが無茶をしていた頃の自分から一歩引き、自分の出来る範囲を見極めながら行動するようになったという事実だった。
以前のように全てを一人で背負い込もうとすることはなくなり、訓練への向き合い方にも余裕が生まれている。その変化は決して大きなものではないが、確実に良い方向へと進んでいた。
そして、その変化は目に見える形でも現れている。
あれほど周囲に重苦しい空気を纏っていた堂島さんの雰囲気は消え、表情や立ち振る舞いにも自然な余裕が戻り始めており、その影響か、自分の部下だけでなく他の班である内職班の人間たちとも積極的に言葉を交わしている姿を見かけるようになっていた。
その変化は些細なものに過ぎないかもしれないが、拠点という閉じた空間においては、小さな変化ほど周囲に強く影響する。
実際、堂島さんの変化をきっかけにするように、拠点全体の空気も少しずつ和らぎ、気が付けば皆の表情には以前よりも明るさが戻ってきていた。
「みんなの顔色が明るくなったね。」
そんな変化を眺めながら、隣に立つ祈が穏やかな声でそう呟く。
俺の横では、いつものように祈が寄り添うように立っており、その表情にはどこか安心したような、柔らかい笑みが浮かんでいた。
「あぁ、そうだな。」
その言葉に頷きながらも、改めて周囲へと視線を巡らせる。
確かにそれは良い変化であり、間違いなく前に進んでいると実感できるものだったが、まだ満足はできない。
「この場所だけを明るくしても、世界は暗いままじゃ意味がない。俺たちでもっと世界の闇を払って、明るくしていかないといけない。」
理想論かもしれないが、ここまで来た以上、その理想から目を逸らすつもりはなかった。
祈はその言葉を否定することなく、ただ静かに頷く。
「だね。じゃあ、その為にもそろそろ次に進まないとね。」
その“次”が何を意味しているのかは、わざわざ言葉にするまでもなく、祈が視線で示した先――東京、新宿へと向けたものだった。
少しずつではあるが拠点内で役割を分担しながら確実に準備を進め、高速道路を使った移動も順調に進んでいる俺たちは、今まさにその目的地を目前にした位置にまで到達していた。
だが、その一歩を踏み出すことが出来ずにいるのは、理由があまりにも単純でありながら、それ故に重くのしかかっていたからだ。
――ゾンビの数が違いすぎる。
東京に近づくにつれて、ゾンビの密度は明らかに変わっていた。
人が集まる場所には必然的にゾンビも集まる。日本の中心都市である東京は、その極端な例であり、これまでとは比較にならない数が存在している。
そして問題はそれだけではない。
――生存者も、多い。
ゾンビが多いということは、それだけ生き残っている人間も存在するということだ。
実際、東京周辺では既に複数の生存者拠点を確認している。規模も様々で、小規模なグループから統率の取れた集団まで、その形は一つではなかった。
だが、俺たちはそのどこにも接触していない。
善人か悪人かすら分からない状態で接触するのはあまりにも危険であり、もちろん関わらずに無視するという選択肢もあるし、助ける義理もなく優先すべきはあくまで自分たちの生存と目的なのだが、探索中に背後を突かれる可能性がある以上、完全に無視するわけにもいかない。
それが現実であり、前に敵がいる状況で後ろにも“未知”を抱えるのは致命的だと理解していたからこそ、俺たちはまず“知る”ことを優先し、リアに頼んで拠点の監視に加えて東京周辺の生存者の情報収集を徹底させた結果、ある程度の輪郭が見えてきた。
一応、善人側と呼べる連中と、対立しているもう一つのグループが存在していて単純な構図だが、問題はその中身だった。
どちらか一方が明確な悪であれば話は早いが、実際にはそうではない。
リアの調査によれば、両者ともに略奪や虐殺といった非人道的行為は確認されておらず、それぞれが自分たちの生存圏を守るために行動しているに過ぎない。
つまり、どちらも間違ってはいないが――争いは起きている。
発端は些細な行き違いだった。資源か縄張りか、その詳細は曖昧だが、小さな衝突が引き金となり、互いに武器を取った時点で引き返せなくなった。
一度向けた刃は、簡単には下ろせない。
疑いと警戒が積み重なり、それはやがて敵対という形に固定される。
苦く呟きながらも、平和な時代でも起こり得たことがこの世界ではより簡単に、そしてより深刻な形で現れる以上、人は生き残る為なら鬼にも悪魔にもなるという事実を理解しているからこそ驚きはなかったが、それでも放置するわけにはいかない。
このまま衝突が続けばどちらも消耗し、その余波が必ず周囲に広がって最終的には俺たちの行動にも影響を及ぼすと分かっているからこそ、俺たちは動く必要がある。
――両方を生かす形で、止める。
無茶な考えだという自覚はあったが、それでも止まるつもりはなく、その為の方法を考え続けた上で、実行に移す決断を下した。
そして――今日がその決行日なのだ。
俺は拳を握り、情報も戦力も覚悟もすべて整っている以上、あとは実行するだけだと自分に言い聞かせるようにして、俺たちはその方法を試す日を迎えたのだった。




