第85話 仮面の意味と代償。
人の襲撃を受けた俺達は、更なる襲撃を防ぐ為に拠点周り、そして既に探索を終えているエリア全体に小型ドローンを展開させ、東西南北あらゆる方向を死角なく監視する体制を整えた上で、その全ての管理をリアに任せた。
それだけでは足りないと判断し、遠征に参加していなかった探索班のメンバーにも今回の一件を詳細に説明し、対人戦を想定した訓練を新たに組み込むと同時に、拠点の防備そのものも見直して再構築し、侵入経路の制限や監視の強化など出来る限りの手を打った。
準備にはそれなりの時間と労力を要したが、それでもここまで徹底してようやく“守り”として最低限の形になったと判断し、俺はようやく自分本来の役割――外での探索と移動を再開することにした。
扉の色を黒色に変え、前回まで進んだSAへと再び戻る。
わずかな時間の経過だったはずだが、その間にも施設内にはゾンビが入り込んでおり、静まり返っていたはずの空間には再び腐臭と足音が満ちていた。しかし、その程度の数であれば脅威にはならない。
リタが軽く間合いを詰め、無駄のない動きで次々と首を落とし、抵抗らしい抵抗もさせずに処理を終えると、俺達は再び高速道路へと戻り、そのまま進行を再開した。
◇
隊列は前回と同じ構成で維持されている。
先頭のバイクはリルが運転を担当し、その後ろでリタが戦闘を担うことで前方の脅威を排除し、後方のバイクは俺が運転を行い、その背後に祈が身を預ける形で乗っている。
さらに俺は運転だけでなく、高速道路上に放置された車両の処理も担っている為、戦闘に関しては完全に他のメンバーへと任せ、全体の流れを止めないことに専念していた。
そうして役割を明確に分担しながら進み続け、俺達は名古屋を抜けて静岡県へと入る。
このルートにおいて静岡県は最も時間を要する区間であり、全体の所要時間がおよそ5時間であるのに対し、そのうちの約3時間をこの区間だけで消費することになる。
つまり、この遠征における最大の難所――そう言って差し支えない場所だった。
そんな長い道のりを、淡々と、しかし確実に進み続けている最中――
後ろから、祈の声が聞こえた。
「‥‥最近、正人‥‥ずっと暗い顔をしてるよね。」
風に乗って届いたその小さな声には、どこか躊躇いと、それでも踏み込まずにはいられない強さが滲んでいて、顔を見なくても何を確かめようとしているのか、その言葉の裏にある想いまで痛いほど伝わってきた。
それでも俺は、視線を前に向けたまま答えるしかなかった。
「そんなことない。いつも通りだよ。」
短く、そして曖昧に言葉を返したが、その程度で誤魔化せる相手ではないことは分かっていた。
祈はこの世界に来てからずっと隣にいた存在であり、そして――俺が初めて心を許した相手だからこそ、その違和感を見逃すはずがなかった。
「‥‥ほら、またしてる。どれだけ声を作っても、どれだけ顔を変えても、私には偽物だって分かるの。この間の探索班の襲撃からずっーーと、正人としてじゃなくリーヴァとして、私たちにも接してるよね?」
「‥‥」
言葉が出ない。否定することも誤魔化すことも出来なかった。なぜなら――その全てが事実だったからだ。
あの襲撃以降、俺は“正人”として振る舞うことが出来なくなりつつあり、仲間の前でさえ自然と“リーヴァ”という仮面を被り、感情を切り離したまま接するようになっていたが、それは意図してそうしているわけではなく、ただそうせざるを得なかっただけだった。
俺は勇者ではない。誰かを導く存在でもなければ、誰かの命を背負う覚悟を持って生きてきた人間でもなく、ただ少しだけ力を持った“普通の人間”に過ぎない――だが、この世界ではそれでは通用しないし、祈との約束もあれば、俺を信じて付いてきている人達もいる以上、出来る出来ないではなく“やらなければならない”のだ。
だから俺は仮面を被った。弱い自分を押し殺し、無理やりにでも強い存在を演じる為に――だがその中身は何一つ変わっておらず、どれだけ外側を取り繕っても内側にいるのは弱いままの自分であり、その歪みがあの一瞬の判断の遅れを生み、結果として襲撃を許した。
あれは偶然ではない。俺の弱さが招いた必然だった。
だからこそ、もう二度と同じことは繰り返さない。誰も死ななかったのは奇跡でしかなく、ならば次はないと理解したからこそ、俺は弱い自分を捨てると決め、どれだけ無理をしてでも仮面を被り続けると覚悟を固めた。
だが――そこまで思考を巡らせたところで気付く。
祈は、それをすべて見抜いていた。俺が言葉にしていないはずのものを、何一つ取りこぼさずにな。ならば、もう隠す意味も誤魔化す必要もない。
全て吐き出すべきだと、そう結論付けた。
「‥‥あぁ、祈が思っている通りだ。」
風の音にかき消されないよう意識して、はっきりと声にする。
「俺は、弱い俺を捨てた。もう二度と油断などしない為に、みんなの為に俺は変わった。」
そして間を置くことなく、逃げ道を塞ぐように最後の一言を口にする。
「もう、俺に仮面は必要ない。ずっーーと、リーヴァとして生き続ける。」
それは迷いを断ち切る為であり、同時に自分自身を縛り付ける為の宣言でもあって、この言葉を口にした時点で後戻りは出来ないと理解しながらも、これで祈も納得するはずだとどこかで思っていた。
だが――後ろから聞こえてきたのは、かすかな嗚咽だった。
「‥‥っ、グスン‥‥」
背中越しに伝わる小さな震えは、喜びでも安堵でもなく、むしろその正反対の感情をはっきりと示していて、祈は、声を押し殺したまま静かに涙を流していた。




