第四話 僕は ~その後~
大陸最大級の貿易量を誇る港国、ムニナで悪事を働いていた盗賊団、『海坊主』を鎮圧する依頼に参加し、達成した。しかし、それから一年も、一か月も、一日も経たず。それは起きた。
イレギュラーの多い中、何とか真夜中に依頼が終わり撤収を始めた頃、僕は動けずにいた。曲げた膝の上に居るユンクォさんの安眠から来るとろけた寝顔から逃げられなかったからだ。
「――起きないわねえ。まあ、あれだけ頑張ったんだから仕方はないんでしょうけれど」
力仕事を仲間に任せ、僕の横で楽しそうにユンクォさんの寝顔を見ていた。
「人の寝顔を見てて楽しいんですか?」
「勿論。あれだけクールな子の寝顔ってレアじゃない。今の内に堪能しておかなくっちゃ」
「僕達が泊まってる宿に来ればいくらでも見れますよ」
「もう。異性をそんな簡単にベットに誘うもんじゃないわよ? それに……」
笑顔なことには変わりないが、少し視線が鋭くなる。
「キルニのおかげで助かったとはいえ、秘密が多すぎるのは頂けないわね。一つくらいは見せてもらわなくちゃ」
「……」
秘密、かあ。
クアリや、僕ですら知らなかった彼女の秘密。ただでさえ秘匿事項があるのに、更に謎を重ねていた。
秘密というものが何か言ってしまえば、彼女はブルビースである、それに他ならない。確かに素性を隠す人は冒険者で珍しくないが、彼女の素性はもっと大きな疑問に繋がる。セイクレート王国を統べる一家、フリードレート家がティピカルだと装っているということになるのだ。
僕の推測に過ぎないのでもっとファクターが無くては早とちりで終わってしまうが、状況を打開した一手によって、彼女がしていた隠し事が真実であることは裏付けられていた。
「それで……そっちも疲れたのかしら」
「どうやら、そうみたいです」
右側に座るキスリさんの反対側、僕の左肩にクアリが頭を傾けてすやすやと眠っている。
「こういう仕事は初めてですから、大分堪えたんでしょう」
「ふふっ、それはそうね」
二人が居なければこの場所はもっと悲惨になっていたかもしれない。功労者を労うため、誰も二人を起こそうとはしなかった。だが、心配すべき人は他にいる。考慮すべき事柄は幾らでもあるが、今気にすることは一つ。僕は悲しみをぶり返したくはなかったが、だからといって放置して良いものでもないと思った。
「……皆さん、大丈夫ですか」
「皆さん? ――なになに、私達の事も気に掛けてくれるの。優しいわねえ、ニト君は」
「いや、だって、……仲間が……」
「……」
表情は少し真顔に近づく。こちらに向いていた顔は空へと方向を変える。反芻しているのか、心に込み上がるものを退かしているのか。僕には真意を覗き見ることは出来ない。彼女の返答は少し遅かった。声も中身のない明るさで包まれた蒲公英のような儚さだ。……蒲公英? いや、今はどうでも良い。
「……いつぶりかしらね。知り合いを喪うなんて。『北洋道』を結成してからそんな経験なかったから、本当に久し振りだわ」
「……」
「誰かが側に居なくなることにはいつまでも慣れない気がする。」
「大丈夫よ。私は『北洋道』団長。こうなった時に受け止めるのが仕事だから。責任やら何やら、面倒くさいことも付いてくるけど、これだけは絶対に受け止めなくちゃいけない」
「けど……」「大丈夫」
僕の言葉を遮り、キスリさんは強い意思を目に宿す。
「弱気な姿なんて見せられないわ」
「……」
何かを背負う目。思いが込もった力強い瞳や決意の秘めた雄弁な眼差しを見たことはあったが、その目以上に迫力のあるものはないだろうと思った。
自分が要らぬ心配をしたことを今更自覚する。僕は眠る幼馴染を見た。すぅすぅと寝息を立てる彼女の花と柑橘が混じったような香りが鼻腔をくすぐる。
「……かっこいいですね、キスリさん」
不意に言葉が口から溢れ出た。キスリさんは虚を突かれたように止まる。あ、駄目だったかもと慌てて訂正しようとした刹那、彼女は破裂するように笑う。最初はいきなりのことで口を開いて呆けてしまったが、僕もそれにつられて徐々に笑いが込み上げてくる。少しの間それは止まらなかった。少し息が苦しくなってくるくらいにそれは終わった。
「あっははは! ……あー、ははは。――ありがと。褒められたら何だかやれる気がするわ」
「それなら良かったです。キスリさん褒めて」
「本当にね」
キスリさんの顔は幾分か明るくなったように見える。気のせいかもしれないが、気のせいでも良かった。
妙な気恥ずかしさというか、我ながら変な言い方をした後悔みたいなもので僕はなんとなく視線をそらす。すると、たまたまこちらに近づいてくる影に気が付いた。ドキウさんだ。キスリさんも気が付いたようで軽く伸びをしてから立ち上がった。
「――さて、これ以上は休んでらんないかな。私の愛する部下達を手伝わなくちゃ」
「もっと速くても良かったんだぜ」
「ドキウなら私がいなくてもなんとかなるでしょ?」
「どっちかっていえば人手の問題だ。そもそも団の後始末は団長だろうがなんだろうが関係なく全員やるって言ったのは誰だったっけ?」
「分かってる。ちょっとした冗談よ」
「こっちは冗談じゃないんだが……」
呆れているような文言だが、その実安心したような微笑みを溢すドキウさん。なんだかんだ『北洋道』の中でも一番ドキウさんと気が合うかもしれない。僕はキスリさんの後ろ姿を見送っ「そんな綺麗事でお話が終わるとお思いでしたか?」
「⁉」「っ! 誰!」
キスリさんは咄嗟に離れ、僕は太腿に眠るユンクォさんを守る。が、それは僕の身体の反射に近いものであり僕の意識は目の前に居る男に釘付けになっていた。やけに整った燕尾服を仰々しく着こなし、顔につけた白い仮面は汚れが一つもついていない程綺麗だった。僕はそれを知っている。忘れられない姿だ。忘れちゃいけない姿だ。
「――報告代理人」
……なんでここに居るんだ。とまで声が出なかった。キスリさんとユンクォさんまではいい。この男、確かスナグモと言ったこの男。僕の人生に関わる者、それでいてこれ以上交わるとは思っていなかった人物。
「どうも久しぶりでございます、ニト様。それに、キスリ様」
スナグモは丁寧な所作でお辞儀をしてこちらに顔を向ける。どんな表情をしているのか全く読み取れないが、悲しい顔は全くしていないというのはわかる。
名前を呼ばれたキスリさんは一歩退く。顔には明らかな警戒が見えていた。
「安心してください、キスリ様。そんなに警戒されても私はあなたに危害など加えるつもりはありませんよ」
「どうかしらね。先ずは要件を聞かせてもらおうかしら、スナグモ。どうしてあなたがここに?」
スナグモが名前を呼んだ時点で察していたが、キスリさんもスナグモを知っているようだ。そして考えていることもおそらく似通っている。
「……確かに今のタイミングで報告代理人である筈の私が唐突に現れていることはかなり怪しいですよね。もしもの可能性ではあるが、隷属の指輪に関しても何か関与しているかもしれない」
スナグモは自分で僕たちの懸念を口にし、そしてさも当然のようにその指輪の話題をしたのだった。
「見ていたのね」
「はい。自らの能力を出し切りよく戦っていたと思います」
「……随分と上から目線で話すんだな」
僕はスナグモの言いぶりに少し心を逆撫でされた。
「助太刀しようとは思わなかったのか?」
「いえいえ、私の出来ることと言えば精々伝えること。それを生業としていますから」
「至近距離までバレずに近づけるその隠密能力があればやりようはあるだろ」
「勘弁してください。バレずに近づいてどうするのです。あの理性を失った熊に落ち着けとでも言えば良かったのですか?」
「そういうんじゃ……」「ニト君」
「乗せられてるわ。落ち着いて」
「キスリさん……」
熱くなっていた頭がキスリさんの言葉で冷えていく。僕は口をつぐんだ。
「とにかく、あなたに戦うつもりがないのは分かったわ。それならここに何をしに来たの?」
「もちろんお話しに参りました。――練習試合は如何でしたか、お二人とも」
練習試合という単語に僕とキスリさんは眉を顰めた。
「あの熊との戦いが、なんのお試しだって言いたいの?」
「北の大地ですよ」
「「!」」
……訳が分からない。
「あの熊が北の大地の練習台? そもそも練習だって? お前の言っていることは突飛すぎる」
「批判ではなく準備が出来たかをお尋ねしたいのですが……とりあえず先に全員揃えましょうか。少々段取りが悪くなってしまいましたが」
スナグモは反省ですねと呟き、僕達ではなく僕の太腿へと仮面を向ける。そして脈絡もなくうんうんと頷き、唐突に口にした。
「そうですね、ユンクォ様。早く起きなさい」
「……え?」
ユンクォさんが目を丸くしながら目覚め、それをスナグモは満足そうに見てから体を僕達の中心に向ける。
「おはようございます、ユンクォ様。では、改めまして。練習試合は如何がでしたか? ニト様、ユンクォ様、キスリ様」




