第六話 雑炊
戸が開いて、冷気がひゅっと店内へ流れる。厚手のダウンジャケットを何故か手に持っている柊太が現れ、すぐに戸は閉められた。倒れる寸前といった様子で、這いつくばるような勢いでカウンターへと座る。
「大将、しばらく何も食べてないんだ。お酒は後にして何か優しいものが食べたいんだけど、何がいいかな」
目をしばたたかせて驚いていた大将だったが、すぐに我を取り戻す。
「でしたら雑炊はいかがでしょう」
「それで」
即答してカウンターへ伸びる柊太。大将はほんのりと笑いながら料理にかかる。
少しして冷静さを取り戻したのか、投げ出されたダウンジャケットを拾い、のろのろと椅子に掛ける。お店中に広がるよい香りで少し生気を取り戻したようだ。
ゆっくりと流れる時間。店内BGMも少しかかっているが、薄く聞こえるか聞こえないかのぎりぎり。歌は聞こえないので、おそらくインストゥルメンタルの音楽。
いつもの光景に、ようやく帰ってきたという実感が湧いてくる。
やがて、柊太の目の前に小ぶりな鍋が出される。湯気に包まれているが、色とりどりの野菜がたくさん乗せられていて、仕上げの卵がさらに良い彩りになっている。
「何も食べてないとのことだったんで、柔らかめに炊きました。野菜もしっかり火を通したのでほろほろだと思います」
「ありがとう、大将」
心からの感謝を込めて手を合わせる。
蓮華で掬い息を吹きかけると、それだけで心が躍る。
少し冷ましたそれを我慢しきれずに口元へ。
「ほへ、はふ」
当たり前だが熱い。しかし、優しい出汁と塩味が一瞬で身体に染みわたる。
「あぁ、生きてるって最高」
普段はやけどなどすることは有り得ない体だが、耐性をゼロにすることで子供の頃から慣れ親しんだ風情ある雑炊の食べ方ができる。
もうすでに大満足。
二口、三口と次第に食べるペースを上げていき、そのたびに具材の美味さに唸る。卵が絶妙な固さに仕上げられていて、どこにも抜かりがなく、ただただ感嘆する。
白菜が旨い。にんじんも旨い。しいたけも旨い。いや、全部旨い。
底が見えるまではあっという間だった。
蓮華を手にがっくりと肩を落とし、あまりにも落胆した姿になるものだから、それを見た大将は思わず笑みを零してしまう。
しばらく放っておいても面白そうだったが、せっかくだからと声をかける。
「たくさん作っておきましたよ。もう一杯いきますか?」
「あるの!? いやもうぜひたくさん食べます!」
「あいよ」
食べる勢いから、もう何杯か食べるだろうと予想していた大将。にっこり笑いながら新しい鍋の仕上げを始めた。
お洒落なコートを完璧に着こなしすぎている局長が現れた頃には、柊太は雑炊を綺麗さっぱり平らげ、お酒と漬物を楽しんでいた。
「あ、局長、お疲れさまです」
「どうやら生き返ったようだね」
コートとマフラーをハンガーに掛けて、いつも通り柊太の隣へ座る。
「雑炊は美味しかったかい?」
「え、なんで食べたの知ってるんですか」
ふふっと笑って局長は大将に視線を向ける。その意味深な視線に柊太はびっくりする。
「わざわざ報告してるんですか!?」
「そんなわけないだろう」
今度は呆れてみせられる。ますます混乱する柊太。
「気味が悪いですって」
「簡単なことさ。柊太が死にそうな顔をして歩いていくのを見かけたから、大将に連絡して頼んでおいたってだけだね」
パチパチと数度まばたきする。やがてゆっくりと理解して、少しほっとする。
「なんだ。どうりで出てくるのが少し早いと思ったんだ」
「大変な仕事だったみたいだからね。ささやかな親切心」
「助かりましたけど、でも本当に大変だったんですって!」
「報告は聞いてるよ」
任務のことを思い出したのか、一気に憤慨する様子に局長は肩をすくめる。
「あの野郎——」
「野郎じゃなくて、女性ね」
「そんなのはどっちでもいいです! 失敗したのはいいにしても毒を撒き散らすってなんですか。どうやったらあんな惨状になるんだ」
「本当に知識でどうにかなると思って盛大にやらかしたみたいだね」
まだまだ憤慨し続ける様子を見て、これはなかなか止まらないだろうと諦めを感じる局長。
「あれで日本政府が謝ることになるのも納得がいかない。無理矢理連れて行ってなぜ理不尽に逆ギレされないといけないんだ」
「そうだね」
完全に拝聴する体勢へ移管した局長は、出してもらった付き出しに箸を伸ばしながら、真剣に聞いているふりをする。
「おかげで、二週間前後、だったかな。絶食させられて。現地住民やあの野郎は早々に避難させたからのうのうと飯を喰らってやがったみたいですが、俺なんてずっとあの中で作業してたんで、何も食えなかったんですよ!」
怒りの理由はどうやら飯らしい。もちろん想像はついていたのだが。
「そりゃね、飲まず食わずでも死にはしませんけど。それでも楽しみにしていることを奪われて最悪でした」
どこに行っても粗食ばかりになってしまうので、カップラーメンを必ず隠し持っているらしいが、毒に汚染された場所のせいでそれすらも食べることができなかったのだろう。
「君は日本人に生まれたことがつくづく不幸だったね」
「え、どういう意味です、それ」
「言葉通りの意味だよ」
食への異常な情熱。濃密過ぎるオタク文化。そして巻き込まれ体質。
日本人は生まれながらにして不幸なのかもしれない、と局長は心の中にメモを取った。




