第三話 賀茂茄子の田楽
戸を開けると、先客がカウンターに座っている。後ろ姿だけで誰かわかるキラキラとした金髪。
「局長、もう来てたんですか」
「先にやってるよ」
お猪口を少し掲げて優しい笑みを向ける。いつも通りの隣に腰掛けると、何も言わずに大将がお猪口を置いてくれる。
「それ、旨いですか」
「うん。とりあえず味見してみるかい」
「ぜひ」
なみなみと注がれる光景だけで満足感を得られるが、口に含んでこそ。慎重に傾けて舌の上に転がす。
よく冷えていて、とろりとした甘さ。しかしすっきりとした後味。お米の香りも抜群である。
「美味しいですね、これ」
「流石大将だね」
大将が付き出しをすっと出してくれる。中を覗くとそれは里芋とイカの煮物。少し茶色がかった色味と、照りが微かに反射して、見た目からすでに美味しそうな仕上がり。丁寧な下処理を施して煮込まれたことがわかる。
「局長、これもしかして初めてじゃないですか」
「あぁ、そうだね。イカも絶品だったけど、里芋とやらの食感と甘みはまさに甘露だったよ」
「甘露、ね。よく知ってますねその言葉」
「最近は辞書を読むのが趣味なんだ」
なかなか生活を楽しんでいる様子に、柊太も呆れながらも安堵したような笑みが浮かぶ。
「まだ料理は頼んでいないけど、柊太はどうする」
「そうですね……」
黒板に目を向けると、美味しそうな料理名が並んでいるが今の気分はこれではない気がした。
「そうだな……大将、賀茂茄子の田楽をもらおうかな」
「へえ。じゃあ私もそれをもらっておこう」
「あいよ」
しばらくの間、無言で大将の手元を見つめる二人。丁寧に包丁で切り込みを入れた後、ゆっくりと火入れ。すでに良い香りが漂ってきていて、これだけで酒が進む。
「いいねぇ、すでに幸せだ」
「賀茂茄子がまた並ぶようになって良かったです。ね、大将」
「そうですね。農家さんが頑張ってくれました」
視線は茄子から離れないが、大将の明るい声には喜色がたっぷりと含まれていた。
そして、焼き上がった茄子に仕上げを施し、すっと目の前に出される。
でっぷりとした賀茂茄子が分厚く輪切りにされ、その上に黒みがかった田楽味噌。
しばらく二人ともその素朴な姿を楽しみ、やがてゆっくりと箸を入れる。
知っている味ではある。このどこか懐かしい甘み。
茄子のとろけるような柔らかさと砂糖とは異なる特有の甘み。それに甘辛い田楽味噌が合わさると、全てが折り重なって強烈なコクを作り出す。この絶妙なバランスが郷愁の想いを感じさせるのだろうか。
「こういうのがいいんだよなぁ……」
安心する味。お酒も合わせるとさらにノスタルジックな気分に浸ることができる。
特別であり、そして普通。
ふとした時に食べたくなるのはこういう物なのだろう。
「たまに食べるとこれはいいんだよね」
「局長もそう思っちゃいますか」
「不思議なものだね」
柊太が追加で酒を頼み、今度は局長のお猪口に酒を注ぐ。
「そういえば、今日帰ってきたのだったね」
「はい。お昼過ぎには戻ってこれました」
「その割にはあまり愚痴がないようだけど」
いつもの調子で何も言い出さないので、少し不気味さを感じている局長。それに対して頭を掻いて柊太は苦笑いを浮かべる。
「珍しいことに、本当に何も起こらないっていう意外な監査任務になりましてね」
「シュエンナ王国だったかな?」
「えぇ。極秘に入り込んでずっと監察していたんですけど、驚くほど何も起こりませんでした。強いて言うなら逆ハーを狙おうとしていたぐらいで、それもすぐに諦めたようです」
「逆ハー、というと、うん?」
視線が天井へ飛び、必死に思い出す風の姿に思わず柊太は笑ってしまう。
「そんなアニメで見るような考え方しなくても」
「なかなか思い出せなくてね。——あぁそうだ。逆ハーレムってやつだね」
「正解です」
女王蜂のようなものだ、と真顔で言うものだから思わず吹き出してしまう。
「まあ、そんなところです。それで、見てきた中でもかなりぶっ飛んだ特典や能力を持っていたことを掴んだんで、たまたま課長の目の前にいた俺が慌てて派遣されたわけですけど」
「そういえばそんな感じだったね」
「本当に何も起きなくて」
「何も」
「ええ、何も」
なんとも言えない表情となった二人は無言のまま茄子の田楽に手を伸ばし、ゆっくりと味わう。
「かなり荒れてはいたので相当苦労はしていましたけど、穏やかな立ち回りで危機をこっそり裏から救って」
「……そんな自制の効く人格者だったんだ。たしか若い女の子だったよね」
「ええ。ほとんど能力も使わなかったんじゃないですかね」
そっかぁ、と言いながら局長は感慨深い様子で深く頷く。少し笑みを浮かべながら、杯を少し傾けて満足そうに酒を楽しむ。その姿に柊太も思わず笑みがこぼれる。
「でも後始末は大変です。課長もカンカンに怒ってました。向こうの管理者が知らぬ存ぜぬを通すものだから、直接乗り込みに行ったみたいです」
「え」
思わずといったように固まる。
「聞いてないんですか」
「聞いてないね。それを先に聞くべきだったよ。大将、会計をお願いできるかい」
「あいよ」
慌てて残っていた田楽を食べ、お酒も飲み干し、いそいそと帰り支度をする局長。気もそぞろな様子で会計を済ませ、戸に手をかけてから振り返る。
「柊太はゆっくりしていくといい。私は彼女を追いかけてくるよ。報告書は帰ってから見る」
「はい。お気をつけて」
「うん」
ちょっと悪いことをしたかな、と内心焦りながらお酒をちびりとやる。なんだか甘みがねっとりとしたような気がして顔をしかめる。
「あいつ……でもいい気味だ。課長と局長にボコボコにされればいい」
独り言を呟いてから、ふふっと一人で笑う。やっぱり今日も酒と料理が美味い。




