第二話 海老の真丈
綺麗に盛られた鯛の刺身に箸を伸ばし、一口。
「最高じゃね……」
今日も過酷だった調査任務からの帰り。いつもの格好になってからかぐらへやってきた。ささやかで贅沢なひとときをしばらくの間一人で過ごすため。
付け出しの冬瓜の煮物からして絶品だったが、刺身も途方もなく旨い。大将自ら目利きして仕入れているらしいそれが、微妙であることなんておそらくないのだろう。
苦労した調査のときは、その疲労がさらなる最高のスパイスとなる。特に粗食を強いられる調査の後は倍では効かない。何倍もの感動が押し寄せてくる。
柊太にとっては、戻ってきた時のこれを楽しみに日々を生きていると言っても過言ではない。
「あれ、海老の真丈なんてあるの?」
次に何を頼もうかとメニューを吟味していたら気になる一品。
「えぇ。つい最近加えまして」
「お吸い物で?」
「あんかけでもお出しできますよ」
付き出しに出た冬瓜の煮物もあんかけがかかっていたので少し迷う。しかしここは酒に合わせたいところである。
「じゃあ……あんかけでお願いしようかな」
「あいよ」
海老の真丈を食べたことはもちろんある。だが、大将の作るものは初めて。未知のものに対する期待に満ちた高揚感が一気に押し寄せてくる。
美味しいのは間違いない。どう美味しいのか。想像と違うことだってきっとある。しかし、子供の頃に大好きだったハンバーグを前にした時のようなワクワクに顔がにやけてしまう。
鯛の刺身をゆっくりと食べ進めながらテキパキと動く大将の姿をぼんやりと眺める。
料理人というのは見られることも仕事なのだろう。特にこういった対面式のお店では尚更だ。美しい所作にいつも感嘆しているが、期待を込めて眺めるとさらに良い景色になる。
「どうぞ」
厳かに差し出された黒いお椀には、想像していた通りの姿。奇を衒わない大将らしい慎ましい仕上げ。すでに期待以上。やはり大将はこうでないと、と心のなかで呟く。
小さく切り分けてあんかけをたっぷりと掬い、零さぬようにそろそろと運ぶ。
「——!」
まずは海老の旨味がガツンと。そして、あんかけの優しい塩味。ふわふわとしているのに、不思議と弾力を感じる食感。大きく切り取ったつもりはなかったのに、口の中にどこまでも広がっていく余韻。
素材の味を完璧に引き出しているのだろう。期待通りの内容を、もっと上の次元で丁寧に仕上げてあった。
「大将、これすごい」
「ありがとうございます」
少し恥ずかしそうに照れながらも笑顔を浮かべていて、自信の程が伺えた。
じんわりと続く長い海老の残響を感じながら酒も合わせ、さらなる完成へ。
「完璧」
ポツリと一言。じっくりと向き合わなければならない本日の主役に出会うことができ、心の中で強くガッツポーズ。
今日も慌てないよう精一杯自制しながら二口目へ。
「おや、やっぱり来てたのかい」
「あ、どうも局長」
いつもと同じように柊太の隣の席へと着く局長に、盃を掲げて軽く挨拶する。
「大将、柊太とおなじものを」
「あいよ」
おしぼりで手を拭きながら、引き続きメニューを眺めている。きっと今日も興味の赴くままに季節物へと手を出すのだろう。
「それで、柊太の明日からの予定は?」
思わずといったように柊太の眉が上がる。
「それ、知ってて聞いてるでしょう?」
「いや、まぁそりゃあね」
はぁ、と重いため息が溢れる。
「今日も三回目の報告書提出でやっと課長に合格を貰えたところだったんですが、そのついでとばかりに旧首都への出張を言い渡されましたよ」
「そろそろ危ない時期だものね」
「わかってはいますけどね。他にできる人はいないのか、っていう。第二課にもだいぶ人員が増えたって聞いてますよ」
「増えたことは間違いないね。まだ誰にも会ってない?」
「誰にも」
局長がほんの少し苦笑いを浮かべる。
「相変わらず飛び回っているね、柊太は」
「これでも最優先事項しか回してないって言われましたよ」
「その通りではあるね。明日は走って東京に?」
愕然とした表情になる柊太に対して、局長はどこ吹く風といった体で無表情を取り繕う。
「そんなまさか、大変な仕事が待ってるのに走っていくなんて面倒なことするわけないでしょう。だいたい、一般の人の前で走る姿見せるわけにはいかないじゃないですか」
「たしかにね」
たしかにねじゃないんだよなぁ、とぼやく柊太。怒りに任せて大きく分けた真丈を口に放り込む。
ついつい顔が緩んでしまい、慌てて厳しい顔つきに戻す無駄な努力をする。
「課長がVTOL機を回してくれるって言ってました。ジェットでひとっ飛びですね」
「米軍の空母に着いたらそこから現場かな」
「……わざわざ俺に聞かなくても全部知ってるじゃないですか」
「これでも局長だからね。報告は受けているさ」
とびっきりの呆れ顔を向けるが、局長はしたり顔。平然とした態度に格の違いを見せつけられ、諦めの長いため息が漏れ出す。
「で、その後の予定は聞いていますか?」
「軽くね。念のために掃討して再封印だよね」
「ええ、それで合ってますけども。根本的な解決は望めないんですかね、これ」
「規模が大きくなりすぎてね。今のところは封印が限界ってところかな。向こうともやり取りはしてるけど、そもそもあちらの情勢がかなり悪いみたいで、柊太の出張を這いつくばる勢いで懇願されたよ」
「課長を送りつけてやりましょうそうしましょう」
淡々と提案する柊太に対し、さも悲しそうな表情になった局長が低い声で語りかける。
「そんな、課長にだなんて、柊太には人の心がないのかい?」
「その気遣い、俺にも適用できませんかね」
「柊太は大丈夫さ。どんな過酷な状況にも耐えられると課長がお墨付きを出していたよ」
「あの女、いつかどうにかする」
ははっと軽い笑い声を上げる局長に胡乱な視線を浴びせかける。
「あれで彼女も激務をこなしてる。そのうち人員が増えて少しは楽になるだろうから、それまではよろしく頼むよ」
「へいへい。その言葉聞くの何度目ですかね」
やけになった柊太はなみなみと注いだ酒を一気にあおる。
そしてあまりの美味さに相好を崩してしまうのだった。




