冴子と百合
夜、照明の落ちたホテルの厨房。
百合は一人、新作アニバーサリー・ケーキの試作に向き合っている。
そこへ、見回り中の総支配人・冴子がふらりと現れる。
「まだ残ってたの、百合。根を詰めすぎよ」
「⋯総支配人。お疲れ様です。キリのいいところまで、と思いまして」
冴子は百合の隣に並び、作業台の上の試作品を覗き込む。
その距離の近さに、百合の背中がわずかに緊張で強張る。冴子はそんなことには気づかず、「そういえばさっき、フロントで涼香と玲に会ったんだけど」と楽しそうに話し始める。
「玲のやつ、涼香が必死に誘った旅行を、また『みんなで行こう』って笑顔でかわしちゃってさ。涼香、バックヤードで今にも泣きそうな顔してたわ。玲は本当に天然っていうか、罪な子ねぇ」
百合は小さく息をつき、静かに生クリームを混ぜる手を動かしながら、
「……総支配人は、玲さんのそういうところが……本当にお好きなんですね」
「え?ええ、まあ。あの子は裏表がなくて、見ていて飽きないもの」
百合の手が、一瞬止まる。胸の奥がキュッと締め付けられるような、なんとも言えない痛みが走る。でも、顔にはいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま。
「……そう、ですか」
後日、完成した試作品のケーキを口にした冴子が、ふと不思議そうに呟く。
「美味しい。……でも百合、これ、いつもより少しビターじゃない?ほんの少し、ほろ苦いというか」
百合は、冴子の口元についた小さなクリームを愛おしそうに見つめながら、静かに微笑む。
「私の隠し味が、少し効きすぎたかもしれません」




