迷子の男の子④
「誰にも渡したくない大切なパティシエ」という冴子さんの言葉に、私の頭は少しパニックを起こしていた。
当のりくくんは、「ずるいぞ!おばさんばっかり!」と涙目になりながら私の膝に顔を埋め、余計にぎゅっと抱きついてくる。
「り、りくくん、泣かないで。ほら、冴子さんも冗談で言っただけだから……ね?」
(そう、そうよ百合。だから落ち着きなさい⋯⋯)
背中をトントンとなだめる私を、りくくんは涙で潤んだ大きな目で見上げてきた。
そして、私の抱っこにすっぽりと収まったまま、隣に座る冴子さんをじーっと鋭い目で見つめる。
(……ん?なんだか、雰囲気が変わった……?)
さっきまでの「いじめっこからお姉さんを守る!」という警戒心とは、少し違う。
幼い子ども特有の、妙に鋭くて無邪気な観察眼。
りくくんは、冴子さんを凝視したあと、今度は私の顔をじっと覗き込んできた。
「……ねえ、おねえさん」
「どうしたの、りくくん?」
りくくんは、少し頬を膨らませて嫉妬気味な声で、ぽつりと尋ねてきた。
「おねえさん……このおばさんのこと、だいすきなの?」
「─────!?」
部屋の中の空気が、一瞬で吹き飛んだ。
「な、なにを言ってるの、りくくん……っ!?」
あまりの核心を突かれた問いに、私の声は一瞬裏返り、顔が一気に沸騰したように熱くなった。
心臓が激しく肋骨を叩く。バレているはずがない、だって相手は出会ったばかりの4歳の子どもなのだから。それなのに、どうしてそんな、私の胸の奥に隠し続けている一番の秘密を言い当てるようなことを⋯
「……だってぇ」
りくくんは私のエプロンをキュッと握りしめながら、不満そうに呟いた。
「おねえさん、さっきからこのおばさんのことばっかり見てるもん。お顔もすっごく赤くなってるし……僕のほう、全然見てくれない」
(……見抜かれてる……)
子どもの前で、自分がどれだけ冴子さんに意識を奪われていたのかを突きつけられ、私は恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなった。
(落ち着きなさい、落ち着いて⋯⋯)
「ち、違うんですよ。それは上司として尊敬していてのことですから」
私を見て、向かいのソファに座っていた冴子さんが、ふっと目元を和らげた。
「ふふっ」
静かな部屋に、鈴を転がすような優しい笑い声が響く。
冴子さんはクスッと笑うと、少し身を乗り出して、りくくんの頭を優しく撫でた。
「りくくん、鋭いわね。……でも、私も百合のことが大好きだから」
「〜〜〜〜〜っっっ!?」
心臓が跳ね上がるどころか、一瞬止まった。
冷静になることなんて出来なかった。
(だ、大好き……っ!??)
一瞬で耳の先まで真っ赤になり、固まってしまった私を見て、冴子さんはまるでイタズラが成功した少女のように、楽しそうに微笑んでいる。
「本当に優秀で、気配りもできて……私の自慢のチーフパティシエなんですもの。愛してるわよ、部下としてね」
(……あぁ、やっぱり『部下として』、か……)
一瞬でも期待してしまった自分に、恥ずかしさと愛おしさが同時に押し寄せてくる。
けれど、冴子さんのその「大好き」という言葉の響きがあまりにも温かくて、胸の奥がじんわりと甘い熱で満たされていくのを止められなかった。
「……ずるい。おばさんずるい……」
りくくんは、私の真っ赤になった顔と冴子さんの優しい笑顔を見比べ、勝ち目がないと悟ったのか、悔しそうに私の胸元に「うー!」と顔をうずめた。
「ふふ、ごめんなさいね、りくくん。でも、百合を好きになる気持ちは、私にもすごーく分かるわ」
「冴子さん……もう勘弁してください……」
この人は本当に、どうしてそんなに無自覚に人を翻弄してくるんだろう。
それは、私の気持を知っていて、からかってるんじゃないかって、疑ってしまうくらいに。




