迷子の男の子③
「この子はひとまず、支配人室で保護しましょう。ご両親が見つかるまでの間、ね」
冴子さんはショックから立ち直ったのか、少しだけ大人の余裕を取り戻した笑顔を作り、男の子の保護を提案してくれた。
私たちはそのまま総支配人室へと移動し、ソファに腰掛ける。
けれど、男の子──「りく」と名乗った4歳の男の子は、相変わらず冴子さんを警戒しているのか、私の隣にピタリとくっつき、その服の裾をギュッと掴んだまま離れようとしなかった。
「はい、りくくん。疲れたでしょう、お水飲んでね」
私がグラスを差し出すと、りくくんは「ありがと、おねえさん!」とパッと笑顔を咲かせて受け取る。
その様子を、向かいのソファから冴子さんがじっと見つめていた。
「……ねえ、りくくん。私、そんなに怖い顔をしていないでしょう?ほら、お菓子もあるわよ」
冴子さんは高級なチョコレートやクッキーの箱を差し出し、必死に機嫌を取ろうとする。
しかし、りくくんは一瞥しただけで、ふんっと顔をそむけてしまった。
「いらない!おばさんのなんか、ほしくないもん!」
「お、おばさん……っ!」再びグサリと胸を突かれたような顔をする冴子さん。
「りくくん、ダメでしょ!総支配人にそんなこと言っちゃ……!」
私が慌ててたしなめると、りくくんは不服そうに頬を膨らませた。
「だっておねえさん、この人が話しかけてくると、いつもおねえさんが困った顔になるもん!」
「え……?」
「この怖い顔のおばさんが、おねえさんをいじめてるんだもん!」
りくくんの無邪気で鋭すぎる一言に、私は絶句した。
確かに、普段の私は冴子さんに恋心を抱くがゆえに緊張し、どう接していいか分からず挙動不審になったり、思い悩んだりしていた。それをこの子は「いじめられている」と勘違いしたらしい。
「い、いじめられてなんか。冴子さんは私の上司で、その……とても優しくしてくださるの」
必死に弁解する私をよそに、りくくんはキュッと眉を寄せると、突然私の前に立ちふさがるようにスッと立ち上がった。
そして、小さな両手を広げ、ソファに座る冴子さんに向かって堂々と宣言する。
「おねえさんをいじめるなら、僕が許さないもん!おねえさんは僕と結婚するんだから、あっちいって!」
「……は……?」
今度は、冴子さんが完全にフリーズした。
「け、結婚……?」と呟きながら、目の前の小さなライバルを凝視する。
「そうだよ!おねえさんは優しくて可愛いから、僕が大きくなったらお嫁さんにするの!」
「なっ……!?」
突然のりくくんの爆弾発言に、私の顔は一気に沸騰したように真っ赤になってしまった。
「り、りくくん、そういうのは大きくなってから言うものなのよ」
焦る私を尻目に、それまで固まっていた冴子さんの表情が、ふっと変わった。
どこか面白がるような、けれど、大人の女性としての余裕と独占欲が入り混じった、美しい笑み。
冴子さんはゆっくりと立ち上がると、りくくんの目の前まで歩み寄り、かがみ込んだ。
「…我がホテルが誇る優秀なパティシエを気に入ってくれるのは嬉しいんだけどね、りくくん」
低く、けれどどこか甘さを含んだ声で、冴子さんは言った。
「その『おねえさん』はね、私の優秀で、誰にも渡したくない大切なパティシエなの。だから、お嫁さんにはあげられないわ」
「……えっ……?」
りくくんがぽかんと口を開ける。
私も、冴子さんの予想外すぎる台詞に、心臓が爆発しそうになって動きを止めた。
「……ふん、ずるいぞ!おばさんばっかり!」
りくくんは悔しそうに涙目になりながら、私にギュッとしがみついてしまった。
そんな男の子を困ったようにあやしながら、私はちらりと冴子さんを見上げた。
先ほどの「誰にも渡したくない」という言葉の響きが、ただの上司としての独占欲なのか、それとも──。
頭がくらくらするような、甘く激しい混乱の中で、総支配人室の時計の針だけが静かに進んでいくのだった。




