エレベーター急停止
「総支配人、何階ですか?」
従業員用エレベーターに乗っていた私がそう尋ねると、後から入ってきた冴子さんは「7階をお願い」と短く答えた。
私が「7」のボタンを押した、その瞬間だった。
ガタンッ!
激しい衝撃と嫌な金属音が鳴り響き、エレベーターが唐突に非常停止した。直後にパッと天井の照明が消え、暗闇の中に非常灯の心許ない赤い光だけがぽつんと灯る。
「……あ」
「慌てないで、玲。安全装置が働いたようね」
冴子さんは全く動じることなくインターホンを取り、外部の復旧作業員と手際よく連絡を取り始めた。
「総支配人の冴子です。中には私と玲の2人だけ。……ええ、5階手前で停止。他のエレベーターの状況は?⋯⋯復旧作業を最優先で。復旧に集中し⋯⋯あら、切れた。」
カチャリと通信が切られ、エレベーター内は静寂に包まれた。
非常灯の薄暗い光の中、冴子さんは手帳を開いて「さて、復旧まで手持ち無沙汰ね」と、事もなげに呟いた。
「総支配人、怖くないんですか?」
「怖がる理由がないわ。復旧手順は完璧だし、何より……」
冴子さんは少し柔らかい笑みを浮かべた。
「玲とこうして二人で話す時間なんて、滅多にないでしょう?そうね、ホテルのオペレーションについて、現場の意見を聞かせてちょうだい」
「えっ、あ、はい!喜んで!」
暗闇の中で、冴子さんと私は拍子抜けするほど真面目に、けれど穏やかにホテルの改善策について語り合い始めたのだった。
◇ ◇ ◇
「 エレベーターが途中で止まって……! 中との連絡も遮断されたって……っ!」
閉ざされた密室。復旧までの時間。そして何より──玲が、あの圧倒的な魅力を持つ総支配人と二人きりだということ。
「どうしよう、あとどれくらいで復旧するんですか!? 玲が、玲が中で不安になってたら……!
⋯⋯⋯⋯百合さんっ」
作業場の電気が途切れたことで状況を察し、廊下に飛び出してきた百合さんに、私は半ばパニックになりながら叫んでいた。
状況を知った百合さんはほんの一瞬だけ、大きく目を見開いた。
けれど、次の瞬間。
百合さんはふっと静かに息を吐き出すと、いつもの穏やかな、けれどどこか遠くを見るような瞳に戻っていた。
「大丈夫ですよ、涼香さん。作業員の方が最優先で対応してくださっています。総支配人もいらっしゃいますし、パニックになる必要はありません」
「ゆ、百合さんはどうしてそんなに落ち着いていられるんですか……!?総支配人が玲と二人きりだっての、に…………あっ」
私の言葉が、途中でぴたりと止まった。
百合さんは取り乱していなかった。
でも、胸の前でぎゅっと固く握りしめられた百合さんの白い手は、白く関節が浮き出るほど強く力が入っていて、微かに震えていた。
その静かな背中に漂う、隠しきれない深い悲哀と、胸を締め付けられるような焦り。
(あっ…………)
言葉が出なかった。
私は自分の「玲を奪われるかもしれない」という身勝手で子供じみた焦りばかりに囚われていた。
でも、百合さんが見つめているのは、エレベーターのドアの向こうにいる「冴子さん」なのだ。
届かない場所に大切な人がいて、自分には何もできなくて、それでも余裕を演じなければいけない苦しさ。
(百合さんも……私と同じなんだ……)
「届かない人」を想い続けている絶望感を、百合さんもずっと抱えていたのだと悟り、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
◇ ◇ ◇
プシュー……
それから十数分後、無事に動いたエレベーターのドアが開いた。
中から出てきたのは、ノートを開いて手際よくメモを取る冴子さんと、「すごく勉強になりました!」と目をキラキラ輝かせている玲の二人だった。
「玲!大丈夫だった!?」
「あ、涼香。全然大丈夫だよ。むしろ総支配人からたくさん貴重なお話が聞けて、すっごく有意義な時間だった〜」
けろっとした顔で満面の笑みを浮かべる玲。
甘い雰囲気なんて1ミリもなく、ただの「素晴らしい上司と意欲的な部下」の会話が繰り広げられていただけだった。




