同じ秘密
ホテルのパンフレットやWebサイトに使用する、PR写真の撮影日。
ロビーの中央、差し込む光の中で、総支配人である冴子がカメラの前に立っている。完璧な立ち振る舞い、誰もが圧倒される美しさ。
その撮影を、少し離れたバックヤードの入り口から、フロントマネージャーの涼香が見守っていた。
元々、涼香は冴子のことをビジネスパーソンとして心から尊敬している。けれど、厨房を仕切るチーフパティシエの百合のことは、正直よく知らなかった。いつも穏やかで、誰にでも平等に優しい。でも、どこか一線が引かれていて、裏の本音が見えない人——それが涼香の持つ、百合への印象だった。
「……綺麗ですね、総支配人」
不意に、隣から静かな声がした。いつの間にか、百合が隣に立って冴子を見つめていた。
「ええ、本当に」と涼香が答えた、その時だった。
カメラのフラッシュが焚かれる。その光に照らされた百合の「横顔」を、涼香はなんとなく視線に捉えた。
百合の瞳は、真っ直ぐに冴子だけを映していた。
それは、単なる部下が上司に向ける「尊敬」の眼差しではなかった。
愛おしくて、切なくて、手を伸ばしたいのに決して届かないことを知っている——胸が引きちぎられそうなほど熱く、そしてあまりにも孤独で独特な瞳。
(あ……)
涼香の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
知っている。この人の気持ちを痛いほどよく知っている。
撮影が終わり、スタッフたちが撤収していく中、二人は誰もいなくなった通路の奥へ移動した。
涼香は、抱えていたバインダーを胸にぎゅっと抱きしめ、歩く百合の背中に、思い切って声をかけた。
「百合さん」
「はい?なんでしょう、涼香さん」
振り返った百合の顔は、もういつもの「掴みどころのない、穏やかなチーフ」に戻っていた。
だけど、涼香は逃げなかった。自分と同じ、行き場のない重い感情を抱えているこの人に、確かめずにはいられなかった。
「百合さんって……総支配人のこと、本当に“尊敬”してるんですね」
あえて「尊敬」という言葉に、少しだけ皮肉にも似た熱を込めて、涼香は真っ直ぐに百合の目を覗き込んだ。
一瞬。本当に、ほんの一瞬だけ。
百合の美しい瞳が、大きく見開かれた。
いつも完璧にコントロールされている百合の呼吸が、微かに乱れる。
それは、百合が生まれて初めて他人に「剥き出しの裏側」を覗かれた瞬間だった。
だが、百合はすぐに細い指先で髪を耳にかけ、何事もなかったかのように、氷のように静かで、綺麗な笑顔を貼り付けた。
「ええ、もちろん。総支配人は、私たちの誇りですから。……それが何か?」
認めない。絶対に、誰にも、この聖域には触れさせない。
そんな百合の、静かすぎる拒絶の反応。
けれど、涼香にはそれで十分だった。いや、その必死な拒絶こそが、何よりの答えだった。
(……やっぱり。私と、おんなじだ)
裏が見えなくて冷たい人だと思っていた百合が、急に、血の通った一人の愛おしい女性に見えてくる。自分と同じように、大人のプライドでボロボロの恋心を隠している仲間。
涼香の口元に、ふっと、これまで百合には見せたことのない、少し悪戯っぽくて親近感の籠った笑みが浮かんだ。
「へえーー、そうなんですか?」
涼香はそう言いながら、バインダーを小脇に抱え直した。その声のトーンは、これまでの「チーフパティシエへの敬意」から、どこか「同じ秘密を共有する戦友」へのそれへと、明らかに変わっていた。
「……じゃあ今度、美味しいお酒の店、教えますね。二人だけで飲みましょうよ。」
「え……?」
戸惑う百合を置いて、涼香は「お疲れ様でーす」と、軽やかな足取りでフロントへと戻っていく。
残された百合は、自分の胸元に手を当て、去っていく涼香の背中を、ただ呆然と見つめ返すことしかできなかった。




