鈍感な冴子
仕事終わり。ホテルに併設された静かなオーセンティックバーで、私は冴子さんと二人、カウンターに並んで座っていた。
カクテルグラスを傾ける冴子さんの美しい横顔。その整った眉間には、どこか納得のいっていないような、小さなシワが寄っていた。
「……百合。少し相談というか、聞いてほしいことがあるのだけれど」
「ええ、なんでしょう?冴子さんのお話なら、喜んでお伺いします。」
私が微笑むと、冴子さんはロックグラスに入ったウイスキーを口に含み、少し言いづらそうに言葉を紡いだ。
「先日、取引先の経営者の方と食事をしたでしょう?その後から、なんだか妙な連絡が増えてね。『君の美しさに惹かれた』だの『今度は二人きりでプライベートな時間を過ごしたい』だの……」
「……あら」
思わずグラスを動かす手を止めた。それは、どう考えても典型的な男性からの情熱的なアプローチだった。
けれど、冴子さんは心底不思議そうに、首を傾げている。
「最初のうちは、今後の業務提携に向けた親睦の誘いだと思っていたのよ。でも、提示される場所が夜景の見えるレストランだったり、妙に距離を詰めてきたりして……ビジネスにしては段取りが非効率で、なんだか違和感があってね。……これって、何が目的だと思う?」
アプローチされていること自体にすら気づかず、単に「妙な詰め方をしてくる非効率な相手」として違和感を抱いていたのだ。
冴子さんの自分に向けられる情愛への鈍感さと無頓着さに、私は呆れを通り越して、可憐さすら感じてしまった。
(そっか⋯⋯冴子さんはホテルマンになっても仕事で忙しく、学生時代も、親の言われたことを守り、勉強や部活で忙しかったと聞いたことがある。
ビジネスが絡むと、恋愛というものが分からなくなるんだわ。)
「冴子さん……それは『異性としてアプローチされている』のですよ。相手の方は、冴子さんに恋をしていらっしゃるのです」
「……は?」
冴子さんは目を見開き、本気で予想外だったという顔をした。
「恋……?私に?
……はあ、なるほど。仕事の商談だと思っていたけれど、そういうくだらない意図だったのね。時間の無駄だったわ」
心底くだらなさそうに溜め息をつく冴子さん。恋愛という感情に1ミリの興味も示さないその冷徹なまでの仕事人ぶりに、少しだけ安堵する自分がいる。
「ふふ、冴子さんはお綺麗ですから、寄ってくる男性も苦労なさいますね。冴子さんご自身は、どんな方に惹かれるのですか?」
少しだけ欲を出して、探るように問いかけてみた。
冴子さんはグラスの氷をカラランと鳴らし、私の方を向いて当然のように言い放った。
「惹かれる?そうね……私の仕事を邪魔せず、察しが良くて、有能な人かしら。正直、そんな曖昧な感情に振り回されるくらいなら、あなたとこうして美味しいお酒を飲んでいる時間の方が、100倍有意義で好きよ?」
そう言って、冴子さんは私に向かってフッと満足気に微笑んで見せた。
私の心をどれほど激しく揺さぶっているのかも知らずに。
彼女にとってこの言葉は、「気の置けない最高のビジネスパートナーとの心地よい時間」を称える、ただの友情と信頼の延長線でしかないのだ。
「……本当に、罪作りな方ですね。冴子さんは」
「え?何か言った、百合?」
「いいえ。私も、冴子さんと過ごすこの時間が一番好きですよ……と申し上げたのです」
微笑みながらグラスを傾ける。
私のこの甘い熱を帯びた視線にすら、冴子さんはきっと永遠に気づかない。
そのあまりにも完璧で無自覚な罪深さに、私は今夜も、静かに酔いしれるしかなかった。




