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サムライフローマ  作者: いぬっころ
間章 新庄良一郎はこうして生まれた
97/122

間7 吉田良子

 

 良子は混乱していた。

 目覚めると、見知った男性の顔が目前にあったからである。

 良子は、どうして自分が男性に横抱きにされていたのか、を働きの悪い頭で必死に考えた。

 考えたが、良子の今の働きの悪い頭では、結局は正道が悪いに違いない、という考えが浮かんでは消えするばかりであった。


 勝太郎は、正座をしながら困惑していた。

 すぐそばの床で横になっている良子は、ぼんやりと目は開いているのに、何も言葉を発さないからである。

 すぐに目覚めたとはいえ気絶した女の子を放置して帰る、という行いは、勝太郎にはできなかった。

 マサは少年団の先生に事情を説明した後、そのまま再開された稽古に参加した。

 この女の子の事は別にしても、俺に何か話があったのではないのか、と勝太郎は思った。


「あの」


 不意に良子が勝太郎に話しかけた。


「はい」


 と勝太郎は視線を合わせて答えた。


「お名前をお聞きしてもいいですか?」


 この男性には見覚えがある。と良子は思った。

 大学の講義で何度も見かけた顔だ。

 いつも一人で懸命に講義を聞く真面目な人、という印象しかなかったが、なんでも正道が言うには、体幹の安定は尋常でなく、普段の歩き方、呼吸の仕方すら剣術の術理にどっぷり浸かっており、尋常ならざる遣い手に違いなく、剣道同好会に在籍する進藤という有名人と比肩しうるとか。

 でもこの人は剣道部にも、剣道同好会にも在籍していない。

 もし彼が剣道をやる気があるのなら、ぜひご教授願いたいものだと、正道は言っていた。

 でも、名前は知らない。知っているのは一年間、彼はずっと一人で、真面目に講義を聞いていた事だけ。

 この人がこの稽古場にいるという事は、彼は正道の予測通り、剣道をする人なのだろう。

 であれば、正道は勧誘するのだろうから、今後の利便を考えるならば、早くに名前を聞いておかないと。

 と良子ははっきりとしない頭の中を懸命に働かせて、勝太郎に尋ねたのだった。


「新庄勝太郎です」

「私は、吉田良子です。よろしく」


 名前を聞くことに成功した良子は、とりあえずはそのことに満足した。

 考えなければならないことはまだあると、良子は思った。

 なぜ自分が俗にお姫様抱っこと呼ばれる横抱きを、勝太郎にされていたのか、という所である。

 おそらくは気を失ったのだろう、と良子は考えた。

 昨夜は、今日の事が楽しみ過ぎて、いつものように寝つきが悪かった事が原因であろう。

 ちょっと寝不足になれば、私の体は簡単に貧血を起こすのだ。

 昔から私の体は、体の発育自体は並以下としても、それを度外視すればそれなりに健康だったが弱いところもあって、遠足も、修学旅行も、下手をすればプール開きですら満足に楽しめなかったことは忘れようがない。

 幼い頃からの事だから、未だ何の対応もできない自分を情けないと思うことはあっても、誰かのせいにするつもりは毛頭なかった。

 ではなぜ、正道が悪いと思ったのだろうか、と良子は考えた。

 今年度から、ようやっと正道主導のサークルが活動を始めることができたから。

 それが、教員を目指す私にとって、とても楽しみなことだったから、昨日はなかなか眠れなかった。

 剣道自体にはあまり興味はないけれど、実際に子供たち相手に指導する現場を間近にみて、体験させてもらって、機会があれば、先生に話を聞ける。そんなサークル活動は楽しそうだし、とても良い経験になるに違いない。

 それは、半分以上詐欺みたいなものだったけれども。と良子は思い出した。

 結局、指導力向上会という名前のサークルは、正道が立ち上げた、誰の為でもない、正道の為のサークルだった。

 父親からお前に剣の才能は無い、と断言されたらしいことは、道場の息子である正道には受け入れがたいものがあったのだろう。

 反抗心を燃やすのも、わからないでもない。

 父親の教え方が悪いのだと言いたくなる正道の気持ちも、気持ちだけは、わからないでもない。

 でもだからといって、サークルまで立ち上げて、子供たちに混ざって喧々諤々の喧嘩をしながら自分の剣の技量を高める、と言うのは、ちょっと大学生としてどうなのと思わなくもない。

 そんなことだから私が、正道の母親から、あの子が暴走しないか気を付けてあげて、などと言外に頼まれる羽目になったのではないか。と良子は思い出した。

 なるほど、つまりは正道がすべて悪い。と良子は初めの考えが正しかったことを確信した。

 そして全てはあの、すっかり子供たちに交じって稽古に熱中している困った幼馴染という奴が、諸悪の根源である。と改めて気が付いて、良子は体を起こすことにした。

 体を起こして、正道をにらみつけるぐらいの事は許されるであろうと良子は考えたのである。


「体は平気?」


 勝太郎は、体を起こそうとしている良子の背中に手を回して支えた。

 また倒れられてはたまらないと勝太郎は思ったのである。


「ありがとう」


 良子は勝太郎に礼を言って、稽古に熱を上げている正道を見た。

 まあ、頑張るのは良いことだ、と良子は正道を許した。

 突拍子もないことを思いつきもするが、自分の苦手を懸命に克服しようと努力を続ける姿勢を見せられては、幼馴染として憎むこともできないと良子は思うのである。

 しかし、正道は相変わらず薄情だとも、良子は感じていた。

 こうして、時折倒れてしまう私を、なんだかんだと暴走しがちの正道を陰から支えている私を、全く顧みない態度はなんなのだと、不満に思う気持ちを良子は抑えることはできなかった。

 頭の回転が速すぎて言葉足らずになりがちな正道に代わって、市内の剣道の指導に類する活動や施設に、サークル活動の要旨説明と見学と実践の許可をとるために弁を尽くしたのは他ならぬ私である、という自負が良子の心の内にはあった。

 せめて私が調子を悪くした時ぐらいは、私を支えるのが当然ではないのか、正道にそういった考えがあれば、こうして名前も知らなかった異性にお姫様抱っこなどされて、床に寝かせられていた。なんてことに頭を悩ませる必要はなかった。

 と、改めて考えた所で、良子の思考は完全に覚醒したのである。


「あ、あ、あ」


 良子の胸中を急襲したのは羞恥心であった。

 気を失っていたとはいえ、異性にお姫様抱っこなどされてしまったという事は、ある意味で寝顔を見られたに違いなく、さらには、乙女の秘中の秘である体重までもが、なんとなしに理解されてしまっているのではないかと、思い至った良子は途端に恥ずかしくなった。

 このちび女見た目の割に重たいな、などと思われたとしたら、良子はもう顔を晒して外を歩けないに違いないと確信していた。


「す、すみません。重かったですよね、ごめんなさい、急に倒れちゃって、ありがとうございました」


 良子は己の心を守るために、自ら謝罪と感謝の言葉を口にした。

 急に他人からお前は重たい、と言われればショックは大きい。しかし自分から言えば、心の内で一段だけ余裕を持つことができる。

 良子の狙いはそれだけであった。


「いや、軽すぎるぐらいだった。成長期なんだから、もっとたくさん食べた方が良い、あと夜はちゃんと寝ることだね」


 勝太郎は子供受けがよさそうな優しい笑顔で、良子の頭を撫でながら言った。

 完全に子供扱いされている、と良子は直感した。

 勝太郎という極めて真面目に講義を聞く様な男が、同年代の異性に対して軽薄な態度をとるとも思えない。

 頭を撫でるなど恋人同士か小さい子供にするのでもあるまいに、年頃の乙女にするなどもってのほかであろう。と良子は思った。

 良子の中で体重の多寡など些事になり下がった瞬間である。

 良子の成長期など、中学卒業の時には過ぎていた。胸も、尻も、背丈も本人の理想とは程遠い程度にしか成長しなかったのである。

 確かに翌日に楽しみな予定があると寝つきが悪くなるのは子供っぽい、と良子自身も痛切に思う所であるが、それはどうしようもないことなのだ。

 良子は頭に血が上っていくのを感じた。


「私はあなたと同い年です」


 あまり興奮して、また気を失っても堪らない、謝罪の言葉を聞けば溜飲が下がるであろうと考えて、良子は硬い声色で言った。


「失礼しました」


 勝太郎は驚きで一瞬動けなかったが、良子の頭から手を離し、すぐに謝罪した。

 良子は深く息を吐いて、頭に上った血が、下りてゆくのを感じた。


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