間6 出会いは貧血と共に
勝太郎は、山形大学教育学部へと進学した。
勝太郎の志望理由を聞いた清は、すぐに勝太郎の意図を汲んで、何の反対もせずに納得したのである。
一人酒田を離れ山形市に拠点を移した勝太郎は、狭いアパートを借りて自炊し、アルバイトを複数掛け持ちし、学業に打ち込み奨学金を確保する事によって山本家にかかる金銭的負担を限りなくゼロにしていた。
山本家にかかる金銭的負担がゼロにならなかったのは、清と紫が結託し、毎月お小遣いと称した現金を本人限定受取の現金書留で郵送したためである。
最初の現金書留には、一通の手紙が添えられていた。
その手紙の内容とは要約すれば以下の通りである。
一、この現金書留は必ず受取り、常に使えるようにしておくこと。
二、この小遣いは、必ず遊びや交友などに使うこと。
三、何か不測の事態で金銭が必要になった場合等は必ず連絡すること。
四、受取を確認できない場合は、様子を見に行くので覚悟すること。
五、返送した場合も、様子を見に行くので覚悟すること。
本人限定受取の現金書留とは、本人以外に受け取ることができず、配達完了後にのみ発送者の元へ配達証明が郵送され、郵送の完遂を確認できる郵便システムの一つである。
これは勝太郎にとって、黙って受け取る以外の方法を選択すれば、どう足掻いても山本家に面倒な手間をかけることになるという、回避困難な極めて悪質な方法であった。
しかし山本夫妻にとっては、勝太郎の手元に確実に否応なく現金を送り届ける画期的な方法である。
腹を立てた勝太郎は近くの銀行で新たに口座を作り、そこに全額貯金する事を選んだが、何かあったときのために現金を渡しておきたいという山本夫妻の本当の狙いは完全に達成されたと言えた。
山本夫妻にとって予想外だったことは、並外れた体力を持つ勝太郎が、多忙を極める大学生活に早い段階で適応してしまったせいで、この小遣いが使われる機会がついに四年間で一度も訪れなかったという事であるが、それはまだ未来の話である。
勝太郎が大学生活を始めて一年が過ぎた。
履修すべき講義が年を追うごとに少なくなる事に気が付いた勝太郎は、虫食い状にできてしまうであろう時間を、講義の予習や復習にあて、今まで学業の為にまとめて確保していた講義後から夜のアルバイトまでの自習時間を、サークル活動に使うことに決めたのである。
高校三年と大学一年を殆ど一人で忙しく過ごしたという認識がある勝太郎は、大勢を相手に交友した経験が少ない事を気にしていた。
将来的に教員になろうという者が、何の対策もしないで体当たりで実践。と言うのはいかがなものかと考えたのである。
やはり、剣道に関わることが良い。人と比べても腕前には自信があるし、術理の理解に関しては一家言持っていると自認する勝太郎であった。
剣道に関わるサークル活動は二つあった。
一つは剣道部、大学設立時から存在する由緒正しい部活動で、大会などでの実績もあり、部員数も多く、剣道に打ち込むのに最適な環境が出来上がっていた。
もう一つの剣道同好会は、少人数で和気あいあいとした雰囲気の同好会で、一人だけ並ならぬ技量を持った遣い手が在籍しているようだったが、楽しく剣道をするのが目的のようだった。
勝太郎は、二つのサークルを実際に見学し、これらの所感を得たのだが、何かが腑に落ちず、どちらのサークル活動にも参加することはなかった。
けれども、時間は余っていた。
勝太郎はとりあえず、今までは疎かになりがちだった竹刀を使った稽古を、一人で行うことにした。
袋にしまった竹刀だけを持ち、近くの武道館に行ってみたのである。
勝太郎はいつも個人での利用であり、道着も着ず、普段着のまま竹刀だけを持ち込む風変わりな利用者だったことから、あっという間に顔と名前を覚えられた。
受付の人と顔なじみになるまで、一週間しかかからなかったのである。
小中学生向けの少年団の稽古と鉢合わせたのは、そんな時であった。
勝太郎は顔なじみとなった受付の人から、今日は少年団の稽古があるのだけれども、指導役の先生も気心知れた人だから、一緒でもよければ使っていいよ。と言われ、一人隅の方で稽古をしていた。
少しすると、指導役らしい老齢の先生に導かれるようにして、三十人ぐらいの小学生らしき集団がわちゃわちゃと稽古場にやってきた。
無視をするというのも不躾だと思った勝太郎は手を止め、指導役の先生と視線を合わせ、会釈をした。
指導役の先生は勝太郎に向かって笑顔で返礼し、稽古の用意を済ませて、元気の良い子供たちに指導を始めた。
その集団に、一人だけ異様な男が混ざっていることに、勝太郎は竹刀を振るいながら気が付いた。
少年団の年齢層には多少の開きはある様子だったが、受付が言っていた通り、小学生や中学生を対象とした活動であることは勝太郎にもすぐに理解できたが、その男だけは、明らかに年齢が上だと一目でわかったのである。
全体を見れば背の高い子はいた。体の成長の早晩には個人差があるから、多少の差はあるだろうが、その男だけは、どこをどうみても成人男性だ、と勝太郎は思った。
あれは一体どういうことなのだろう。と勝太郎は疑問に思ったが、可能な限り気にしない様に努め、稽古を続けた。
一時間ほど経過して、少年団の稽古は小休憩の時間になった。
勝太郎は、そろそろ稽古を切り上げて汗を流し、夜のアルバイトの準備をするために一度帰宅しようか、と考えていた。
「ねえ」
一人異彩を放つ男が、十人ほどの子供たちに囲まれたまま、唐突に勝太郎に近づき、真剣な表情で言った。
はい、と勝太郎は答えた。
「ちょっと見ていたのだけれど、君どこの流派?もしかしてむそう」
男は、最後まで言葉を言い切ることができなかった。
男の周りを囲う子供たちが、一人で稽古をしていた勝太郎に興味を持ち、思い思いに声をかけ始めたからである。
「だーっ!うるさい!僕が一番先に声をかけたでしょ!?僕が先!お前たちは後!わかった!?」
「わかんなーい!」
「ねえねえ、お兄さんどこの人?」
「何で一人なの?」
「何で道着じゃないの?」
「お兄さん強いのー?」
「ああ~~~~!うるさい!僕が先だぞ!」
「なんだとー!へなちょこマサのくせに!」
「皆やっちまえ!」
「「「「「わ~~~!」」」」」
「わぁぁぁ!?卑怯だぞ!」
マサと呼ばれた男は、子供たちにめちゃめちゃにされながら、稽古場を転がりまわった。
転がりまわるマサを子供たちは、笑顔で追いかけまわしていた。
これはいじめなのか、と不安に思った勝太郎は指導役の先生に視線を向けたが、先生はにこりと笑うだけで、全く止める様子がなかった。
「ごめんなさい」
勝太郎のそばに一人だけ残った女の子が、勝太郎に声をかけた。
比較的背が高く、声色にも落ち着いた雰囲気を感じさせるその女の子は、中学生か高校生ぐらいだろうと勝太郎は思った。
「え~と、なにが?」
と勝太郎は答えた。謝罪の言葉を向けられる覚えが、何もなかったからである。それどころか、何が何だか勝太郎にはわからなかった。
「稽古の邪魔をしてしまって」
と女の子は言った。
「ああ、気にしないでいいよ。もう切り上げようと思っていた所なんだ」
勝太郎はそう言って、そこで初めて女の子の顔をしっかりと見た。
少し顔色が悪いように思えるが、年相応な可愛らしい顔つきをした女の子だ、と勝太郎は思った。
「皆その辺でやめてあげて。マサ!伸びてないで、話があるんでしょう?」
子供たちは女の子の呼びかけに元気よく返事をして、ぼろぼろになったマサを放置して、指導役の先生の元へと駆けて行った。
「くそ、あいつら次はコテンパンにしてやる。おい!お前たち覚えてろよ!」
マサは子供たちに悪態をつきながら、勝太郎の近くまで歩いてきた。
ああ、これは本気で腹を立てているな、と勝太郎は思った。
「マサ!やめて、子供相手になんてこと言うの!?」
女の子はにわかに顔を赤く染めてそう叫んだ。
羞恥心とマサの行いに対する怒りとで頭に血が上ったのだった。
ふらりと、女の子の体が傾いた。
近くにいた勝太郎は、急に大声を出した女の子に驚いていて、そのまま倒れてしまいそうな女の子を抱えるようにして支える事に成功した。
女の子の体には力が入っておらず、勝太郎は突然の事態に驚いて、背筋が冷たくなるのを感じた。
「なんだまたか。おい良子~。お前また寝不足か~?起きろ~」
マサは落ち着いた様子で、勝太郎の腕の中でぐったりしている良子の頬をぺしぺしと叩いた。
勝太郎には、この女の子がただの寝不足でこんな状況になっているとは思えなかった。
「ちょ、安静にしないと」
「ん?大丈夫大丈夫。大したことないから」
「だって、意識が」
「ただの貧血だよ。小さい頃から遠足とか楽しみなことがあるとなかなか寝付けなくて、よくぶっ倒れてたんだ、こいつ」
マサがあまりに落ち着き払って言うものだから、勝太郎は、そういうものなのかと納得した。
二人が気安く呼び合う程度にはお互いの事を知っているのだろう、と考えたからだった。
「なかなか起きないな、放っておくわけにも行かないか。すまないけれど、ちょっと良子の様子を見ていてもらえないかな。僕は先生に事情を説明してくる」
勝太郎が返事をするのも待たずに、マサはなんでもない様子で先生の元へと向かっていった。
静かに休憩していた子供たちは、ちらと勝太郎の方を見たが、マサが先生の元へ向かっているのを見て、小休憩が終わったのだと勘違いし、全員がわらわらとマサの元へと群がった。
勝太郎は良子を横抱きにして稽古場の端に移動したが、良子を下ろすべきか悩んだ。
意識を失った人を冷たい床に寝かせた方が良いのか、それとも抱えたままにした方が良いのか、判断できなかったのである。
十秒ほど、勝太郎は立ち尽くしていた。
やはり寝かせた方が良いのではないだろうかと思った勝太郎は、慎重に膝を折って、良子を床に寝かせようとした。
それまでぐったりとしていた良子が、ぴくりと身じろぎした。
「大丈夫?」
半端な姿勢のまま、勝太郎は良子に尋ねた。
良子は薄目を開けていたが、勝太郎の問いかけには答えず、意味のこもらない吐息を吐いた。
「下ろすからね」
「う、え?」
勝太郎は声をかけながら、良子を床に下ろした。




