間5 将来
勝太郎は、頭を悩ませていた。
大学進学が決定してしまったことも悩ましいが、そこにケチをつけても今更どうにもならないこと勝太郎は理解していたから、悩み所はそこではなかった。
大学進学は決定事項としても、どこの大学に進学するのか、という所である。
勝太郎は、山本家にあまり迷惑をかけずに済む、できるだけ近場の、学費等諸経費が安く済みそうな、公立大学が望ましいと考えていた。
しかし山本家の家長である清は、選択肢を狭めるべきではないとして、公私の別なく、県内はおろか全国を視野に入れるべきだと考えていた。
以上の理由から、もはや何度目かもわからない山本家家族会議が勃発したのである。
当然、未だ何も目的を持つことができずにいる勝太郎には積極的攻勢に出ることなど夢物語でしかなく、会議は終始山本家家長の優勢で一応の決着を見せたのであるが、絶対に許容できない話である。と勝太郎は内心では考えていた。
下手をすると、自分で大学を選ぶことすらできなくなるかもしれないと思ったのである。
例えば県外の私立大学に入学したとして、学費等の諸経費は誰が払うのか、一人暮らしにしろ下宿生活にしろ寮生活にしろ、勝太郎の身元の保証は誰がするのか、もし何か問題が発生した時に長い距離を移動してきて顔を出さなければならないのは誰か、と問われれば、それは当然この私である。と清ははっきりと宣言した。
勝太郎としては、そんな面倒をかけるのはご免である。
せっかく成績優秀で教員からの評価も高いのだから、東京の有名な大学だって目指せるのではないか、と清が言った時など、勝太郎は清の正気を疑ったのである。
清はとにかく好き放題言っていた。
勝太郎の考えに任せていては、どのみち将来の可能性が小ぢんまりとまとまってしまうのではないかと危惧したのだ。
清の大攻勢を前に、勝太郎はなすすべもなかった。
それもこれもすべて、自分に確固たる目的がないせいである、と勝太郎は気が付いたのは、もうじき高校三年に上がるような時期であった。
剣道でもなんでも、勝利しようと思えばまず真っ先に行うべきことは、自分と相手の状況の把握である。と勝太郎は考え方を切り替えた。
清が完全な善意と、実父のような責任感を持って勝太郎に意見している、という事を勝太郎はすでに理解していた。
つまりは公立大学に進学したい理由があれば良いのである。と勝太郎は考えた。
自分の進学したいと思っている大学が、不思議なことに自分にとって都合が良い。というだけの事である。
明確な志望動機がある、という理由を根拠にするのだから、勝負は一点一撃で決めねば説得力がなくなる。
勝太郎は高校の担任教員から、山形県内にある公立大学の情報を入手した。
山形の公立大学は三つ存在した。
山形大学、工業短期大学、最後は米沢女子短期大学だが、名前の示す通り募集は女子のみであるから実質二択である。
諸々考慮し条件として勝太郎が望ましく思うのは二年で済む工業短期大学であったが、今まで機械や工業に殆ど関りを持たなかったのに、急に工業系の短期大学を志望すると言ったら、勝太郎の褒められない企みが露呈してしまうかもしれず、なおかつ山本家家長を納得させる理由付けが困難であるため却下となった。
そうすると、四年制の山形大学しかなかった。
山形大学には最上地区を除いた県内三地区に一つずつ学舎があり、地域の特色に合わせた教育がなされている。
庄内地区の農学部は、研究の為に地域の農地や農家を回ることもあるらしく、勝太郎の個人的都合で却下となる。
村山地区と置賜地区の文理学部、教育学部、工学部の内、工学部は工業短期大学を選択できないのと同じ理由で却下である。
残る選択肢は村山地区の山形市に学舎のある文理学部か教育学部の二択となるが、これらはいずれも教育に関係する学部で、大まかに理解すれば文理学部は教育自体の研究発展を専門とした学部、教育学部は教員になるための学部である。
どちらも、勝太郎にとってはあまり興味がなかった分野である。
しかし、どちらかといえば、教育学部だろう。と勝太郎は考えた。
教育自体の研究と言うと、その道の研究者になるという事に違いなく、そうなれば四年より長い期間大学に拘束される算段が高いように思えるし、教育の研究が気に入れば良いだろうが、そうでもないのに一生その研究をすると言うのも現実味が薄いように勝太郎には思えたのである。
その点、教育学部は単純明快。四年間学べば、教員として働き始めることができる。
勝太郎が思うに教員とは、研究を仕事とするのとは違い、労働をする仕事である。
たとえ教育に興味が湧かなくても、研究職と比べれば、教員という職業を自らの生業とすることができるのではないかと勝太郎は考えた。
そして、剣道部での指導経験が教員という仕事に少しは役に立つに違いない、と勝太郎は直感したのである。
最初の剣道の授業で実力を見せてしまい、授業の時間ではもっぱら指導役に回ることになった。部活動も剣道部に入部させられ、そこでも指導役をしていた勝太郎である。
勝太郎は、剣道を人に教えるのが嫌いではなかった。
体を鍛え、技術を身につけ、心を鍛える。
やることは単純で、目的は明確。
しかし、いろいろな人に剣道を教えることは単純でも明確でもなく、奥が深い。
できないことができるようになる喜びは、他のものに代えがたい感慨を湧きあがらせる事を勝太郎は自己の経験から知っていた。
それの手助けができるというのは、勝太郎にとって嬉しいことでもあり、楽しいことでもあった。
もしかすると俺は、人にものを教える、という事が好きなのかもしれない。
と勝太郎は気が付いた。
そう思うと、俄然教員と言う仕事にも興味がわいてきた勝太郎である。
教員の仕事とはまさしく、人にものを教える事なのだ。
教える内容が剣道でなくても、俺が得られるものは同じはずだ、と勝太郎は考えたのである。




