間2 気の進まぬ報告
勝太郎は生家を前にして、古びた家だ、と思った。
幼い頃から大してなにも変わらない、昔ながらの日本家屋をおよそ七年ぶりに見ても、勝太郎の心の内にはそれ以外の思いが湧かなかった。
隣に立つ良子が、勝太郎の背中にぽんと優しく触れた。
自分では一瞬程度の時間だと思っていても、そうではなかったらしいことに勝太郎は気が付いて、決まりが悪そうな表情をして見せてから玄関の前まで歩いて行った。
玄関を目前にして、自分は緊張しているのだ。と勝太郎は気が付いた。
脇腹を良子につつかれて、勝太郎は玄関を開けた。
「お、じゃまします」
「それは私のセリフ。あなたはただいまでしょう?」
少し呆れたような表情の良子は、未だ腹が決まりかねている勝太郎の背中をぐいぐいと押し、二人そろって家の中へ押し入った。
「ただいま」
「お邪魔します」
律儀に頭を下げている良子をしり目に、勝太郎はさっと玄関を見渡した。七年前に比べても特に大きな変化は無いように見えた。
玄関には手製の草鞋が一足あった。
ほかに履物は無く、勝太郎と良子以外に来客はないらしかった。
いなければよかったのに
と勝太郎は思ったが、言葉にはしなかった。
そう口にするのは、あまりにも女々しく、情けないように思ったからだった。
良子は、きょろきょろと落ち着きなく、何もかもが珍しいと言わんばかりにあたりを見回していた。
「珍しいものなんか、何もないよ」
「お義父さんは?」
「さあ?多分道場の方か、裏庭か」
特別大きな病や怪我をしていなければ、あの父が稽古を休むことなどありえない。
勝太郎が知る限りでは、その病や怪我だって得ている所など見た事がなかった。
もし稽古をしていないのなら、きっと裏庭の、それも特別大切にしているらしい十本の枝垂桜の世話をしているに違いなかった。
勝太郎が知る父、剣次郎と言う男は、稽古をしているか、庭の桜の手入れをしているか、大抵いつもそのどちらかに熱を上げているのである。
「そうなんだ。じゃあ行こうか、挨拶しに」
行きたくない。と勝太郎は大声を出したかった。
今すぐ踵を返して、あの家賃の安さだけが取り柄の狭い部屋に帰りたい、そして何もなかったかのように、良子と二人でたまの外食にでも行こうかと夢想した。
「はい、行くよ!」
良子は靴を脱ぎ、一足先に新庄家へ上がった。履物を揃えてから、未だ決心が着かない様子の勝太郎を急かすために手首をつかんだ。
女々しい、などとはちらと思いはするけれども、本心から思うわけではない。
多感な時期から七年帰らなかった家に、今帰ってきたのだ。
勝太郎が決まりが悪そうにしている理由も良く知っている。
しかし、この機を逃せばおそらく一生、この親子は顔を合わせないのではないかと思うと、放っておくこともできないと良子は思うのである。
そして勝太郎も、良子がそういう腹積もりであることは薄々ながら承知していた。
年の割に小さな掌が、勝太郎の手首を離すことはない。自分から振りほどくことなどできる訳がなかった。
そう思いだすと、勝太郎の腹も据わった。
渡り廊下をきしきしと鳴らしながら、二人で道場へと向かった。
稽古をしているものは誰も居なかった。
裏庭に面した襖をゆっくりと開けると、少し雑草が増えたかもしれない庭が見えた。
枝垂桜の支柱が増えている
と勝太郎は思った。
言葉にしなかったのは、桜の手前、縁側に敷物も敷かず湯呑片手に胡坐をかいている父、剣次郎が居たからだった。
「支柱をな、新しくした。廃材を安く売って貰って、のこぎりでギコギコやるのにはなかなか骨が折れたが、昨日済んでな」
勝太郎は七年ぶりに聞く父の声に、確かな老いが混じっていることに気が付いた。
「おかえり、勝太郎。その様子だと稽古は続けていたらしい」
かかっ、と振り向きもせず笑った父を見て、勝太郎は堪らない気持ちになった。
「お邪魔しています。吉田良子と申します」
良子が道場の冷え切った床に正座して言った。
剣次郎は体ごと振り向いて、頭を下げて答えた。
「初めまして、大したもてなしはできませんが」
七年分老け込んだ父の顔を見た勝太郎は、自分が何をしにここに帰ってきたのかをすっかり忘れてしまった。
あの父が、老いなど知らぬと言わんばかりに矍鑠としていた父が、人並みに老け込んでいるなどと勝太郎は夢にも思わなかったのである。
「勝太郎、どうした」
剣次郎の問いかけで、勝太郎は思わず目を逸らした。
すっかり老けた父の容貌と、七年前となんら変わらぬ態度が、なんともいえぬ気まずさを勝太郎の心中に湧きあがらせたからだった。
良子は、見ればうろたえているとわかる勝太郎を、じっと見つめていた。
勝太郎も、良子の視線に気が付いた。
「俺たち」
良子のまなじりが、きっ、と上がった。
勝太郎にはそれが何を意味しているのかが良く分かった。
父親と目をそらしたままの状態でそんなことを報告するつもりか、と良子は暗に言いたいに違いなかった。
一息ついてから、老け込んだ父をまっすぐに見据えた勝太郎は、はっきりと言った。
「俺たち、結婚するから」
勝太郎は、そもそもこれを言うために帰ってきたのだと、言ってから思い出した。




