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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第二章 気がつけばローマ市民
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71n3

 私は、予想外の同伴者を得て、別宅の中に入る。

 管理人を起こし、気を回されるのも嫌だから、静かにローと名乗った男を庭に連れ出す。

 庭の手入れは万全だったが、今日に限って言えば、完璧ではなかった。

 お気に入りの椅子と、つまみや果実酒などを置くための小さな机があるだけの質素な庭。

 椅子は一つしかない。そしてそれは私の座る椅子だ。

 椅子がもう一つ必要だと感じて、別宅の中から気軽に持ち運びできる椅子を選んで庭に出す。

 景観の素晴らしい庭で、小さな机を挟むようにして椅子が二つ並んでいる光景は、私の心に小さくない感動をもたらした。


「ロー、それに座って待っていてくれ」

「?わかった」


 私の言った通りに椅子に腰を下ろすローを横目で確認し、少しだけ急いで飲み物とつまみを漁る。

 水差しと取っ手の付いた酒壺、杯を二つ用意する。つまみは、いや、今日はいい。語り合いにつまみは無粋だ。

 小さな机にそれらを置いて、まずは客人をもてなすために声をかける。


「果実酒は?」


 中にはそのまま飲む好き者もいるが、このままでは甘すぎるので、水で割るのが当たり前だ。しかし、どの程度で割るかは人それぞれ。

 一般には既に水で薄めたものが流通すると聞くが、ここには、そんな安物は無い。


「果実酒?」


 もしや、果実酒を知らないのか。

 そう思って果実酒の入った酒壺をローの目前に差し出し、香りを嗅がせる。果実の豊かな香りと、すっと抜ける様な酒精の香りが鼻を過ぎれば、これが何かはすぐにわかる。


「っ、果実酒はいらない」


 嫌そうに顔をしかめたローは、そう言った。

 面白い。私が勧めた果実酒を、いらない、と断られるなんて初めての経験である。


「水ならどうだ」

「水なら良い」


 並べた杯の、片方には水だけを、もう片方にはちょうど半々ぐらいで割った果実酒を注いで、水の入った杯をローに手渡し、私も自分の杯をもって椅子に座る。


「ローは何処から来た?」


 程よく薄められた果実酒で喉を潤し、そう尋ねる。

 西方か、東方か、北方か、もしくは南方か。

 黒髪は珍しくない。肌の色も、月明かりで白く見えることを加味しても、やや明るい程度で居ないほどではない。背の高さも高いには高いが、目を見張るほどではない。

 しかしどうみても、ローはローマ人ではない格好をしているし、顔の作りが根本的に異なるように見えた。

 であれば、どのような場所から来たのかと興味がわいた。


「ジャパン、あー、ヤパン(Japan)?」

「ヤパン?」


 聞かぬ名だった。

 ローマにそのような名前の土地は無い。近隣諸国にも、そのような名前を持った国はない。


「それは北か?南?それとも東か?」

「?わからない」


 自身がどこから来たのかわからぬ者が居るはずがない。ゆえに、言葉が分からないのだろう。

 言葉が通じないというのは、不便なものだ。これでは満足に話も出来ない。

 思わず、空を仰ぎ見る。

 きらめく星々が、視界一杯に広がっていた。

 そも、既に比肩する物がない大国であるローマ、その主要な言語であるラテン語が通じないことがあろうとは。

 ローはどれほどの辺境からやってきたのか、いや、このローマの影響を全く受けないような遠方からやってきた、という可能性もあるか。


「あれは北極星(seirios)。カリストの腰の真上にある。最も強い輝きを持つ星だ。北極星がある方向が、北」


 星を指さしながら、ローに話しかける。

 方位の教え方は、これ以外に思いつかない。

 どこからローマにやってきたにせよ、旅人であれば北極星ぐらいはわかるはずだ。方位を図る方法も知らず旅に出るなんて命知らずであれば、その限りではないが。

 古くから北極星は方位を知るための大事な目印で、その知識は、ローマだけに限らないはずだった。


「あれが北?」

「北だ」

「あっちから来た」

「東か」

「東?」

「あっちは東だ」

「東から来た」


 東方(Orient)か。

 東方と言えば、交易だ。最近は陸路よりも海路が主要交易路になっている。

 アルメニアの動きが不穏であるとの報告もあったはずである。どうせ、パルティアが余計なことをしているに違いない。

 陸路も、海路も、それぞれに問題がある。改善困難な問題が。

 そして、莫大な貿易赤字には頭が痛い。内需で取り戻せるため国庫は痛まない、とはいえ、ローマの金貨が東方に流れるばかり、というのはどうにかならないものか。

 かといってティベリウス帝が行ったような緊縮政策は、私が目指す豊かなローマの生活とは程遠い。

 ゆえに、交易を断つという選択肢は取りたくないし、上質な東方の品々が手に入らないとなれば、有力な貴族や権力者たちが、何をしでかすか分かったものではない。

 理想は、ローマからも金貨が取り返せる強い特産が供出できる環境を作り上げ、東方の外交問題の解決を図ることだが、いずれも簡単には進まないであろう。

 胸の悪くなるような悩み事を、果実酒で飲み下ろす。

 自分で果実酒をつぎ、水で割る。


「大きな水の、あっちから来た」


 大きな水。

 海か。

 私は海を渡った経験はないが、貿易の報告はもれなく確認しているから、知識として知ってはいる。

 特にまだ若い海路に関することは、可能な限り新しい知識を得るため、現場からの報告書も上げさせている。

 その向こう側から来た。

 と言っても、近くには我らの海があり、東方には黒い海、赤い海があるし、もっと向こうには、アラビア海もある。どのあたりから、とローに尋ねても理解しないだろう。

 まて、このローという男、海案内記にサータヴァーハナで取引したと書かれていた、ティン(Thin)という絹の産地の商人の特徴と似ているのではないか。

 確か、癖のない艶やかな黒髪と、ローマ人よりも白い肌、凹凸の少ない幼げな顔つき。前合わせの服を腰帯で留めた姿は、海案内記に記された取引相手と同じ特徴である。

 人の姿など、いくらでも個人差というものがあるが、民族に共通する特徴というものも確かに存在する。

 もし、ローがその絹の産地に住む民族の出身なのだとすれば、とてつもなく遠い所からやってきた、ということになる。


「そうか」


 果実酒をあおる。

 どうして、そのようなことになったのだろう。

 国を追われるような悪事を働いたか。

 違うだろうと即座にわかる。

 見るからに純朴そうな、邪気をまるで感じさせない男である。

 では、自ら望んでローマにやってきたのか。

 それも、違うような気がする。

 まっとうな精神を持ち合わせているのであれば、言葉に不安がある異境に、わざわざ危険な旅をしてまでやってくる者は居ない。

 何か確かな目的があるのであれば、言葉を学んでからやってくる。ぐらいの慎重さは持ち合わせておくべきではあるまいか。

 どのように考えても、どうにもしっくりこない。

 何か理由があって、仕方なくローマに流れ着いた、そんな不自然な印象を受ける。

 であれば、なんと、不憫な。

 知らぬ土地、知らぬ文化、頼れる者も多くはあるまい。

 その苦痛たるや、いかほどのものだろう。

 どれほど心細いであろう。

 そう思ってしまうのは、私の生い立ちと立場ゆえだろうか。

 果実酒をつぎ、水で割る。

 一息で飲み干して、もう一度果実酒をつぐ。

 椅子に腰かけ、深く息を吐く。

 疲労ゆえか、酒精が頭に回るのを感じる。

 少し駆け足で飲み過ぎたか。

 しかし、飲まねばやっていられない。

 素面で話せる話ではない。

 そういう話を、私はしようとしている。

 ローの方へ顔を向けようとするも、首が思うように動かせなかった。

 瞼がやけに重たく感じた。

 しかし私は、この男に、私と同じような状況にあるローという男に、言ってやりたい言葉があるのだ。

 その苦労は、よくわかると。

 私もお前と同じだと。

 力になれることがあるのなら教えて欲しいと。

 私の、友になって欲しいと。

 ネロ・クラウディウス・ドルススと言う名の一人の男は、そのように言いたかったのだ。


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