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偉大な輝かしい頭脳を持った祖先のやらかしたことはさておき、一つ疑問があった。
なぜ急に数字なのか。
数字を教える前に、もう少しまともな意思疎通ができる様に教えた方が良いのではないだろうか。
夜番明けの癖に、やけに元気なティベリアに尋ねれば、昨晩神殿の前でローと会ったのだと言う。
なぜかローは逃げる様にして帰ってしまって心配していたのだが、先程いつものように薪割りに来た。とほっとした表情で語っている。
ロー、哀れなり。
万事格好をつけたがる男という生き物が、一人で涙を流している場面を目撃された挙句、幼子のように抱きすくめられ、慰められたと勘違いしてしまったとしたら。
何も言えずに走って逃げたとして、誰が責められようか。
むしろ責めるべきは、全く無邪気に女神ディアナの神話を、丸々信じているティベリアの幼い精神性なのではなかろうか。
確かにウェスタの巫女として不信心なのはもってのほかなのだが、それにしても二十を過ぎて、ここまで邪気がないというのも、どうなのだろう。
いや、私が邪気にまみれている。とかそういう話ではない。
一般的な認識として、神を信じるのは悪いことではないし、むしろ神を信じ日々を懸命に生きることこそが素晴らしいことなのではあるけれども、しかして妄信的になってしまうことは、何も生み出さないとも思う。
むしろ、私のような考え方の方が、異常なのだろうとも思うのだ。陰謀の巣窟と呼ばれる家に生まれ、巫女になった今ですら無数の家業の手伝いに駆り出される私を取り巻く家庭環境というのは、控えめに言っても普通ではない。
やはり、カエサルが全て悪いのだ。
まあ、それは今はどうでも良い。
「で、それが何で数字につながるわけ?」
しかし、ここまでの話で、数字に関わり深い要素は、何もないように思う。
ただただ、ローが恥ずかしい目にあった。ということが私に知られたというだけの話である。
内心の話とは言え、女神ディアナに半ば喧嘩を売ったらしいことは、あとで注意しようと思ったけれども。
「ローのサンダリアがダメになっちゃったみたいで」
「それが?」
「だから、新しいサンダリアを買いに行こうと思って。買い物の練習にもなるでしょう?」
「職人を呼べばいいじゃない?」
履物を作らせるのに、わざわざ自ら工房に訪れる貴族が、どこに居るのか。
手紙をしたためるか、使いを出して、いつどこに来てくれと頼めば十分だろうに。
「たった一足のサンダリアのために職人を呼ぶの?」
「カエサル家では、呼ぶわね」
予備があるから、履物がダメになって困る。という状況になったことがない。だから厳密に言えば、わからないのだけれども、貴族は、たった一足の履物を作らせるためだけに、わざわざ出かける、なんてことはしない。
貴族は、ただ偉そうにしているだけの存在ではない。貴族にしかできないことを行っているからこそ、貴族として市民に認められている。
建築や行政など、ローマには専門的な知識が必要になる仕事はいくらでもあるが、専門的な知識を学ぶことができる余裕があるのは、大抵は貴族や、裕福な一部の市民だけなのだ。
ただの単純労働に知識は必ずしも必要ではないが、例えば建物の図面を引き、適切な場所を選定するのには相応の専門知識が必要である。
専門知識がある者が、単純労働をすることはできても、逆は不可能なのだ。
ゆえに、履物を買いに行く時間があるのなら、貴族にしかできない仕事をしろ。と後ろ指をさされることにもなりかねない。
そう言う所が、ティベリアはわかっていない。
「職人に来てもらって、採寸してもらって、後日完成品を持ってきてもらった方が、お互いに手間が少なくて済むじゃない?」
今まで、何度似たような話をしただろうか。
何度話したところで、ティベリアは納得しないのだが。
「直接行った方が早いよ?」
リイヌム家の実情は、貴族家というよりも商家や職人家に近い。
そもそも、ティベリウス帝に取り立てられ、新しい貴族氏族として生まれたティベリウス氏族は、通常であれば要職に就くことが難しい、立場の微妙な、しかし有能な者たちを纏めただけの氏族である。
リイヌム家の初代当主となったルキウス・クラウディウス・ホネストゥスは、マルクス・ユニウス・ブルトゥスの清廉な共和の精神に心酔し、師弟のような関係にあった。
ルキウスは、かのフィリッピの戦いにも参加し戦ったが敗戦。捕虜となる事をよしとしなかったブルトゥスと共に、短剣で自らの喉を突いたが、生来の頑強さゆえに死にきれず、アウグストゥスの温情を得て生き残ったとされる。
まだ年若かったルキウスはそれから苦しい生活を長く続けたが、人材の不足に悩まされていたティベリウス帝が、はとこであるルキウスの不正を嫌悪する実直な性格を認め、直轄領アエギュプトゥスの特権管理の一部を任せることを決めたことにより、以後ルキウスは、ルキウス・ティベリウス・リイヌムの名を名乗ることとなる。
ルキウスは、まもなく病を得て命を落とすも、息子のプリムスが仕事の跡を継いだ。
父ルキウスの苦労とティベリウス帝から受けた恩を身に染みて知っていたプリムスは、リイヌムで、より大きな利益をだし、金欠に悩むローマに貢献するため、東方海路を使う大規模交易を見据えた大型船を私財を投じて建造。
十歳にも満たない息子と妻をアエギュプトゥスに残し、東方に向かうも、プリムスは帰らぬ人となってしまった。
そしてリイヌム家は莫大な損失の責任を取らされ、貴族位を剥奪される。
しかし幼いながらも、リイヌム家の当主となったプリムスの息子であるルキウスは、父が作ってしまった損失をそのままにしてはならないと奮起し、ローマの地で亜麻農園を開設する。
リイヌム家が蓄えた亜麻の知識、アエギュプトゥスで祖父と父が作った伝手を頼りに、亜麻農園の経営を軌道に乗せた。
ローマでは亜麻の生産は不可能と言われており、亜麻の入手のほぼすべてを輸入によって賄っていたローマでは、これは間違いなく偉業であった。
この功績をもって、リイヌム家は再び貴族家として認められることとなる。
一層奮起したルキウスは、奴隷たちと一緒になって、取りつかれたように畑仕事に精を出し続けた。しかし、息子であるクィントゥスの結婚を見届けたあと、亜麻畑の中で仕事をしながら静かに息を引き取ったという。
そして、父ルキウスの後を継いで、今も実直に亜麻農園を経営し続けているクィントゥスこそが、ティベリアの父である。
ティベリウス・リイヌム家という、決して上等とは言えない家格の娘が、どうしてウェスタの巫女に推薦されたのか。ということに疑問を感じ、独自に調べた結果の副産物として、そういう事情を私は知っていた。
有力な貴族の娘であれば、調べようと思えば調べられる程度の歴史である。特別に伏せられているわけでもない。
元になったホネストゥス家自体が、清貧を絵に描いたような実直な家柄であり、リイヌム家にこのような歴史があると知れば、いかにも貴族らしいカエサル家とリイヌム家の人間が、その精神性からして全く異なるということがよくわかる。
だが、ウェスタの巫女をはじめとした神官の世界は、貴族らしい貴族社会である。
ティベリアにいくら言っても通じないと理解はしていても、誰かが言わなければならない。
そして、ティベリアの至らない所を補うのは、私の役目でもある。
誰かに指示されているわけではない。
私がやると決めた役目である。
だから私は、このように言う他に方法がない。
「そう、わかった。で?いつ行くの?私もついていく」
まして、護衛のリクトルが必ず同行するとはいえ、男と二人で街を歩く。というのも、ウェスタの巫女としての外聞が悪い。
色付きのパルラを使って顔を隠し、私とティベリアの二人がついていれば、ローの事は、うっぷん晴らしのために外出した婦人に付き合わされる哀れな荷物持ちの使用人か奴隷、程度にしか思われないだろう。
「午後から!」
「今日?」
「今日!」
徹夜明けのせいか、ティベリアの様子がおかしい。陽気に過ぎる。
必ず昼には起こすからと約束し、無理矢理寝かしつけるのには、少しだけ骨が折れた。
十二月二日、誤記入修正。
ティベリアの父の名前はクィントゥスでした。
申し訳ありません。




