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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第二章 気がつけばローマ市民
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43

 我が家は山の麓にある。比喩ではなく、事実そうなのだ。

 俺の祖父である新庄剣二郎が、静かな環境を求めた結果であるらしい。

 駅前から三十分ほど、汗を流しながら歩いて、ようやっとたどり着く。太陽が大分傾いてきていた。

 小高い山を背にした道場と母屋が見える。俺が生まれる前などは、母屋と道場が雑木林の中に隠れるようにあって、ろくに整備していない獣道じみたあぜ道が一本あるだけの粗末な有様だったらしいのだが、今では雑木林をすっぱり切りはらって見通しを良くし、乗用車が十台は駐車できる広めの駐車場が作られている上に、景観を気にして松の木などが植えられていたりする。

 それに道場の影に隠すように、樹齢五十年を超えるような十本の枝垂桜が爺ちゃんの意向により植えられているので、花見時期などは親しい人たちを呼んで花見を楽しんだりもできる。

 だが今は、我が家の自家用車が家のそばに停まっているだけで、駐車場に他の車は無いようだから、今日稽古をしに来た門下生はすでに帰ったか、そもそも誰も来ていないのかのどちらかだろう。

 うちの道場では、日曜日の定期稽古以外は、基本的に自由参加であるし、道場は常に解放しているので、時間帯すら自分で自由に調整し稽古ができる。毎日稽古をしに来ても良いし、逆に日曜日以外は来なくても構わない。

 月謝は月に何度稽古を受けに来ても、一律一万円である。それと二週続けて無断で定期稽古を休んだ場合は月謝をお返しして、本人または保護者と相談の上、今後剣道を続けるか否かを決定して貰う。無理に教えても上達しないし、冷たいようだが、やる気がないなら別の事に時間を使った方が良いはずだからだ。

 門下生にはいろんな人がいる。趣味で剣道を楽しみたい人もいれば、真剣に強くなりたいと稽古に励む人もいる。地域柄剣道が盛んなので、ある程度の年齢になれば、とりあえず道場に通わせる。という親御さんも多い。

 師範である俺の父、新庄勝太郎の温厚な人柄のお陰か、我が家の道場は生活に困らない程度には賑わっている。本当にありがたい事である。


「ただいま」

「お邪魔します」


 母屋の玄関を開けて先に勇姫を中に入れる。

 母屋も道場も、爺ちゃんが建てたものだ。もう築六十年近い古い建物だが、作りがしっかりしているのか痛みはほとんど無い。とはいえ古い建物である事には違いがないから、不便な所には手が加えられている。

 俺が剣術を習い始めた頃などは、稽古終わりに爺ちゃんと父さんと三人で薪を割って、土間の竃で炊いたご飯に塩を振って食べたものだが、爺ちゃんが亡くなってからは、時折土間の掃除をするくらいで、土間は使用していない。稽古終わりの塩むすびは、異様に美味かった記憶があるのに、惜しいものだ。


「あれ?お客さんかな」


 勇姫が不思議そうな声で言う。

 靴を脱ぎ、手慣れた様子で靴を綺麗に整えた勇姫を確認し、俺も中に入る。

 玄関に見慣れない靴が一足ある。良くある有名メーカーのスニーカー。父さんの物ではないし、俺の物でも、母さんの物でもない。

 客人という可能性もあるが、表に車は無かった。ここまで徒歩で来るような人がはたしているだろうか?一家に一台以上は乗用車があるのが当たり前のこの地域の住民達が、わざわざ時間をかけて歩いてくるとは思えないのだが。


「おかえり。勇姫ちゃんもいらっしゃい」


 俺と勇姫の声を聞いたらしい父さんが、気楽な様子で出迎えに来てくれた。

 勇姫は思わず見とれるような美しい所作で父さんに向かって一礼し、楽しげに微笑んでいる。時折見せるこういう仕草を見ると、やはりいわゆる、育ちの良い、良い所のお嬢様なのだなと実感する。俺の前では落ち着きをなくすことも多いが、やはりきちんとした子なのだ。

 父さんは俺の隣に勇姫が居る。という事に、何の疑問も抱いていない。ただ温厚そうに微笑むばかりである。


「お腹すいてるでしょ?すぐに夕食作るから」

「良一郎に、お客さんが来てるんだ」

「俺にお客さん?誰?」

「もう道場の方に居るから、早く行ってあげなさい。もう何時間も待っていてね、流石に気の毒になってきた所だったんだ。荷物は私がキッチンまで持っていくから」


 どうやら、本当に客人が尋ねてきているらしい。

 俺に客だなんて、一体どういう事だろう?

 特に誰からも、家に来るとは聞いていない。


「わかった。じゃあ勇姫はちょっと待っててくれ。会ってくる」

「うん、おじさんと待ってるね」


 勇姫と父さんを残し、少し床板がきしむ渡り廊下を渡って、道場へ。

 襖を開ければ、薄暗くなった稽古場に見慣れない制服姿の男が右手一本で木剣を持ち、所在なさげに立ちつくしていた。

 その男は、即座に襖の開く音に気がついて、俺の方へ振り向く。


「よう新庄、大分待ったぞ」

「進藤か?」


 見間違うはずはなかった。進藤心一は有名人である。県内で一、二を争うインターハイ常連の天才剣士。その剣は筋目正しく、まさに王道をゆく。といった風格すら感じる正統派のものだ。過去に数える程度は試合をした事がある相手。俺が高校最後の試合で負けた相手。

 だが、今の俺にはそんな事は一切関係がない。だからどうした。と言う感じである。


「県大会以来だな」

「何をしに来たんだ?」


 言葉が刺々しいものになってしまったとしても、一体誰が俺を責める事ができると言うのか。


「高校卒業前に、どうしてもお前と話がしたかった」

「ちょっと待ってくれ」


 俺は、思いがけない来客に少し混乱しながらも、大切な事はきちんと覚えていた。

 進藤は何か俺と話をしたい様子だが、この感じだと長くなりそうな予感がする。残念ながら俺にはあまり時間がないのだ。


「なんだ?」

「もう三十分だけ待ってくれないか?」

「は?」


 父さんの話し通りならば、長い時間、俺の帰宅を待っていた進藤に対して、本当はこんな事を言いたくなかったのだが、生憎と事前連絡の一つもよこさなかった進藤が悪い。

 三十分だけ待ってくれ。の意味を、いまいち理解していない進藤は、面食らったような、少しだけ間抜けな顔をさらしている。申し訳なく思うが俺には時間がないのだ。


「もう少ししたら日が沈む。夕食の支度をしたい。今日はカレーの予定だったが、なんかテキトーな時間がかからない奴にするから。ちょっとだけ待っててくれ。進藤、晩飯はまだか?」


 カレーを作るには時間がかかる。どんなに急いでも一時間はかかってしまうだろう。米は良い。タイマーを設定してあるから、勝手に炊きあがる。しかしルウを作るには、材料を切り、炒め、市販のルウを溶かし、それから煮込む必要がある。ジャガイモが最大の難敵に違いなかった。どれほど効率的に調理したとしても、一時間以内で完成させるのは、俺の技量では不可能と言ってよい。せめて圧力鍋があればどうにかできたかもしれないのに。

 それに、進藤をここからさらに一時間以上も待たせるのは流石に申し訳ない。勇姫には申し訳ないが、カレーは次の機会にしてもらって、手軽でありながらも、多少は見栄えの良い何か別の料理を振舞うしかあるまい。


「あ?ああ、食ってない」

「わかった、じゃあ良ければ食っていけ。進藤はこここいらの生まれではないよな?ご両親が心配しているだろうから、まずは自分の家に電話をしろ。母屋の方に父さんと、倉内がいる。テキトーに話し相手になってやってくれ、じゃあ後で」


 とにかく俺は焦っていた。もはや進藤の様子を観察するような余裕もない。父さんは師範として丸一日勤めていたのだ、昼食をきちんと取る人だからそこは心配していないが、もう日が沈むような時間である。体を動かす仕事なのだから絶対に腹をすかせている。父さんを待たせるのは申し訳ない。

 であれば、最も優先すべきは父さんの空腹を満たすことで、次いで遠方からわざわざ訪ねてきた進藤の対応、最後に勇姫にカレーを食わせること、と言うような優先順位となる。勇姫は明日も誘えば良い。カレーは明日にしよう。そう決めた。

 決めたのなら、行動だ。まずは頼りにならなそうな冷蔵庫の中を一応は確認し、手抜き料理といえども最低限他人様に出しても恥ずかしくない料理を作らなければならない。なんという難題だろうか。

 俺の作れる料理は面白みも派手さもない家庭料理ばかりで、洒落た物なんて作った事はほとんどない。だがやる。やらねばならぬ。経験は裏切らない。今まで身につけた技量をもってこの難題を打ち破るしかないのだ。


「はあ?いや、待てって!これから夕食の支度なのか?」

「そうだ、父さんが腹をすかせて待っている」

「それは、すまない事をした」

「いや、もう三十分だけ時間をくれればい」

「どうせご馳走になるなら、カレーが食べたい。三十分でも一時間でも、二時間でも待つぞ」


 道場から母屋に戻る。気の急いた今だけは、僅かに軋む床板が鬱陶しい。

 後ろからついてきた進藤は、初めこそ状況を理解できず混乱した様子の声色だったが、すっぱりと切り替えたのか、迷いなく言った。


「そうか、じゃあそうさせて貰う。ちなみにうちのカレーはとんでもなく甘い。甘いのは大丈夫か」

「任せろ。オレは大の甘党だ」

「そいつは安心した」


 そうして俺は、台所へと駆け込んだ。二時間でも待つと言われても、早いに越したことはないだろう。

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