44
一体誰が、家事など慣れればどうという事は無い。などと偉そうにのたまったのか。
俺だ。
いやでも、間違いではないはずだった。新庄家に予想外の客が来る事など、どうして慣れる事ができるだろう。
父さんの意向は未確認なので不明だが、勇姫と進藤はカレーを御所望だ。元より冷蔵庫の中身にはあまり期待が持てないのだから、予定通りカレーを作る以外に道は無い。厳しい時間制限が無くなっただけでも上等である。
夕食用の炊飯ジャーを確認する。タイマーセット良し。水の量良し。放置でオーケー。いや、ダメだろ。二人増えたのだから米が足りないかもしれない。
「進藤!お前たくさん食べる方か?!」
俺は声を張り上げた。進藤が台所に急いだ俺の後ろをついて来て、そのまま父さんと勇姫がいる居間に到着済みである事は、僅かに軋む床板のお陰で察しがついていた。
『ああ、結構食べる方だぞ』
よし、では四合追加だ。カレーが嫌いな日本人が存在する道理がない。この程度は必要だろう。
急遽朝用の炊飯ジャーから内釜を取り出し、四合の米を投入し、手早くとぐ。濁りがなくなるまで水を取り換え、内釜の外側の水気を拭ってから炊飯ジャーに戻し、蓋を閉めてスイッチオン。
これは俺が食べる用兼、父さんのお替わり用の米だ。時間がないので米に水を吸わせる時間が取れない。そんな米をお客様に出せはしない。元々用意してあった夕食用のご飯を主に居間の三人用にして、こっちのおそらく味が落ちるであろうご飯は主に俺が、食が進むようなら申し訳ないが父さんにもこっちを食べて貰う。竜兄、せっかく美味しい米をこんな風に扱ってごめん。
父さんが台所のテーブルに置いておいてくれた袋から、先ほど買ってきた食材を取り出す。
ニンジン、ジャガイモ、玉ねぎ、お肉。それとブロッコリーに、いつものカレールウ。明日の朝食用の材料は冷蔵庫にしまう。
三人分の夕食を想定していたせいか、分量が少々心許ない。冷蔵庫の中は寒々しい。何かないだろうか。具の少ないカレーを客人に出すのは、臨時とはいえ台所を預かる俺のプライドが許さない。しかし、冷蔵庫の中を何度あらためても、使えそうな食材は無い。
いや、ある。あるではないか。今こそ、カレーに入っている、つまりかさ増しに使えそうな食材を探さなければならない。と言う先入観を捨て去る時だ。外見のインパクトが重要な場合だってあるのだ。
冷蔵庫の扉、その最上段。そこには真っ白でつるっとした、可愛らしくも神々しい鶏卵が、肩を寄せ合うようにして鎮座している。
茹で卵を飾り切りにしてカレーに添えれば、見た目のインパクトは充分だ。それにシンプルな茹で卵であればカレーの味に影響を与える事はほとんどないだろう。よし。そうする。
茹で具合の好みなど、もはや誰にも尋ねない。問答無用で鍋を用意し、水と塩を適量入れて、生卵を投入し、火にかける。十分放置で茹で卵は完成だ。
次は野菜の皮をむき、気持ち大きめに切る。食感も大切だ、大きさがわからないほど小さくして、ルウに溶かし込んでしまうのも悪くは無いが、とびきり甘い我が家のカレーでそうしてしまうと、食材の味が死にかねない。それに見た目もごろごろしている方が、俺は美味しそうに見えると思うのだ。
牛肉に限った話ではないのだが、肉には独特の臭みがある。充分に時間がある時は心行くまで臭み消しの下処理をするのだが、生憎と今日はあまり時間がない。一口大に切った牛肉を適当な大きさのボウルに放りこんで、日本酒をぶちまける。
ちなみにこの日本酒も倉内酒造からの、具体的にはいさみ姉さんから貰ったものであり、ラベルが貼られていない。どれほどの値打ちがある物なのかは不明である。
いさみ姉さんの、自信作である。と言う言葉から察するに、目玉が飛び出るほどの高級品の可能性があるのだが、残念な事に新庄家には酒飲みがいないので、もったいない気もするのだが、使わない方がよりもったいないので料理酒として使われている。気休め程度の臭い消しに使われている。といさみ姉さんが知ったら、怒るだろうか。いや、今度は料理専用の日本酒を開発すると豪語するに違いあるまい。
日本酒まみれになった牛肉を揉む。少し時間を置くと血液が出てくるから、待っている間に寸胴を用意して根菜から火を通す。
油はバターをたっぷり使う。鍋の取っ手を掴んで少し揺すりながら均一に火が通るようにする。洗い物を減らす為である。
茹で卵が仕上がる。お湯を捨て、冷水に浸して、邪魔にならない所へよけておく。後で殻を剥き、飾り切りをするが、それは最後で良い。
次はフライパンにバターを少量落とし火にかける。フライパンが温まるまでに、血の気が混ざってきた日本酒を若干申し訳なく思いながらも捨て、使いかけの蜂蜜を使おうとするも固まっていたから、今日買ってきた新しい方の蜂蜜を開封し、蜂蜜を肉に馴染ませ少し置く。家のカレーはそもそも甘いし、肉が柔らかくなるらしいのでそうするのだ。
フライパン上のバターが溶けきったら弱火にし、玉ねぎを炒める。弱火なら多少目を離しても焦げる事は稀である。バターが馴染む程度にフライパンを揺すり、馴染んだ所でそのまま様子見。これらの作業を進めながらも寸胴から意識を離してはならない。根菜は油断すると焦げている上に火が通っていない。なんてひどい事になる事がある。可能な限り寸胴を火から放さないように注意しながら焦げ付かないように揺する。
タマネギも油断するとすぐに黒こげになるのでマメに様子を見てはフライパンを揺する。
菜箸を一本持ってニンジンとジャガイモの具合を確認するが、まだまだだ。
タマネギは色合いが変わってきたなら、火を止める。
寸胴に注意を払いながらも、ここでブロッコリーの下処理をする。これはさっと湯通しする程度で済むように、大胆に茎を切り落とす。切り落とした茎を捨てる事はしない。茎の皮を大まかに包丁で削ぎ落し、芯の部分を細かく短冊切りにする。主食部分は手でパリパリ毟るように小さくすれば充分だ。適当な小さめのざるに全てまとめて入れておく。
根菜の具合を見る、僅かに芯が残っている程度になれば、寸胴に適量のお湯を入れ、火の通ったタマネギも放りこみ、中火でそのまま煮込んでしまう。大量のバターが浮いて来て、何とも言えない香りになる。
僅かに油気の残るフライパンをキッチンペーパーで綺麗に拭い、強火で余熱する。キチンと熱が行き渡るのを確認し、肉を投入。肉はやや赤さが残る程度火を通せばそのまま寸胴へ入れてしまう。どうせ煮込めば中まで火が通る。硬い肉より少しでも柔らかく肉汁が残る方が良い。
フライパンをさっとすすいで、洗剤を垂らしお湯を張る。冷え切った脂汚れを落とすのは気分が滅入るのだ。
根菜の具合を菜箸で確認する。まだ少し、芯がある。ルウを溶かすのはこのタイミングだ。根菜が完全に仕上がってしまうと、せっかく大きく切った根菜の形がルウを溶かす時に崩れてしまう。
我が家のカレーは異なる種類の甘口カレールウをブレンドして作る。ブロック状のカレールウを一かけらずつ溶かす。ダマを残さないようにである。
適正な量のルウを溶かしたら、ひとまず味見をする。良い味だが、この後蜂蜜を大量に入れるので、少し強めの味を出す必要がある。もう一かけらルウを足す。味見をすると狙い通りの強い味が出来あがっている。
使いかけで半分固まってしまった蜂蜜の蓋を開け、スプーンでざりっと蜂蜜をすくい、半ば完成しているルウに放りこみ、ゆっくり混ぜる。蜂蜜が程良く馴染んだら味見をする。まだ足りない。もう一すくい。もう一すくいと蜂蜜を足す度に味見をする。古い蜂蜜がすっかりなくなったあたりで、いつもの味がほとんど出来あがった。
まあ、よろしかろう。
根菜の状態を確認すると、充分に火が通っている。
では最後の仕上げに取り掛かる。
茹で卵を冷水から出し、きちんと冷えている事を確認する。この何をするにも具合の良い鍋は、すすいでブロッコリーを茹でるのに使う。お湯を張り少量の塩を入れ、強火にかける。沸騰するまで少し時間がかかるから、その間に、茹で卵の処理を始める。
無心で殻をむく。ここで失敗すると残念な感じになってしまうから、急ぎつつも慎重に。四つの卵を無事に剥き終わると、鍋がぐつぐつ言い出す。ブロッコリーを投入して、鮮やかな緑に変わるタイミングを見計らってお湯を捨てる。茹であがったブロッコリーは、きちんとキッチンペーパーの上に並べて水気をとる。
茹であがり、皮をむかれ、つるんとした茹で卵に、慎重に包丁を入れる、卵一つにつき、一つ仕上げる。六枚羽の扇風機の扇の様なシンプルな形に仕上げる。これでカレーの上を僅かばかり華やかにしてくれるだろう事は間違いない。
ここで、冷蔵庫からマヨネーズをとりだす。カレーには入れない。この四つの茹で卵を飾り切りするために出てしまった、細かく刻まれた卵の切れっ端。捨てるなんてとんでもない。当然俺が食べるのだ。
調理中のつまみ食いは、料理人だけの特権である。茹で卵うまい。ついでに、ブロッコリーの茎の皮にもマヨネーズをつける。まさか切れっ端の、見栄えの悪い物を人に食べさせるなんて事はできない。しかし捨てるのはもったいないので俺が一足先に頂きます。良いブロッコリーだ。
口をもごもごさせながら、カレー皿の半分にご飯をよそって反対側にはルウをかける。ブロッコリーを乗せて、最後に飾り切りした茹で卵をちょこんと乗せる。なかなか悪くない見栄えに仕上がった。
フライパンは、食後に片付けよう。洗剤が馴染んでいるから、しばらく放っておいても大丈夫だ。
自分なりに綺麗に盛り付けたカレーを、三人の元に届けよう。さあ、夕食の時間だ。と意気込むが、俺は気がついてしまった。あるべき物がない。
福神漬け買うの忘れた。
俺は、バカだ。




